1-5-3.四月十六日
「わたしは
実際にそうなったことがないからわからないけれど、わたしはきっと、大切な人を生かすことを諦めないし、死ぬことを受け入れないと思う。それは想像でしかなくて、わたしにとっての大切な人が誰なのかもよくわからないけれど、それでもきっとわたしならそうするだろうという確信があった。
そしてきっと、今の一紀くんなら、本気でわたしを愛してくれたとしても、死に瀕したわたしを諦めてしまうんだろうとも思った。いや、本気で愛してくれたならこそ、そうするのだろうと思った。わたしのことを想うが故に、最善の選択をする。自分の望みよりも、わたしにとって一番良いと思えることを選択するのだろう。そして彼の中ではそれは、自然死なのだろうなと思った。それが彼の思う、理想の姿なのだろう。
彼が薄情なわけじゃない。彼には彼の考えがあって、思いがあって、理想とする姿がある。それが、わたしと違うというだけだ。彼にも感情はある。だからこそ彼は葛藤している。自分の理想と感情が食い違っていることに。でなければ、彼の理想通り、何の手の施しようもなく死んでいったお姉さんにここまで執着しないはずだ。
彼は自分の代わりに死んだお姉さんに、自分のせいで死んだお姉さんに、罪悪感を覚えている。もう一度会えたらお礼を言いたいのは、感謝しているからだけではない。自分のその罪悪感を拭いたいからだ。重傷を負ったお姉さんが自然の摂理に従い死んだのに、“生まれ変わり”だなんて非自然的なことを期待するのは、彼がまだ、彼女の死を受け入れられていないからだ。
彼はわたしと同じなんだ。本当の意味で、人を好きになったことがない。心から他人を愛せたことがない。恐らく自分すら愛せていない。だから、本当に愛するものを失う時に、彼が理想通りに動けるはずがないと、彼の感情がそれを許さないと、想像し、理解することができないのだ。
彼はわたしのことも愛していない。だから、わたしが死に瀕したとしても、言葉通り傍に寄り添って死を見届けてくれるのだろう。そしてきっと、わたしの死は彼の心に引っかかり続ける。お姉さんの死と同じだ。彼が本当の意味で誰かを愛せるようになるまで、それは延々と繰り返されるのだろう。
そしてそこに罪悪感を持てなくなった時、きっと彼は平気で他人を見殺しにできてしまう人間になる。目の前にあるまだ助けられる命を、死へと導く死神になる。
「……少し、休憩しましょうか。暗い話になっちゃいましたし」
考えすぎて、少し顔に出ていたかもしれない。普段は気を付けているはずだけれど、彼に悟られるくらいとなると、少し油断し過ぎたかもしれない。
わたしは隣に座る彼の頭を抱え込み、自分の胸元へぎゅっと抱き寄せる。彼は抵抗せずに身体ごとこちらに預けてくれたので、そのまま身体ごと抱え込んだ。
「
一紀くんから戸惑いの声が漏れるが、放さずに抱き締める。息ができないほど締め付けてはいないはずだから、苦しくはないだろう。
わたしは今、とても悪いことを考えている。わたしだって結局は、自分を満足させるため、愉しませるために他人を利用している。それは相手を愛していないからできることだ。愛していたら、もう少し大切に扱う……と思いたい。どちらにせよ、他人を愛せていない今のわたしは、関わる人間全てがわたしを満足させるために存在していると本気で思っているのだ。
それは彼も例外ではない。だからわたしは、彼との関係を刺激的にする一つの目標を決めた。それは、彼に愛想を尽かされる前に、彼に本気でわたしを愛させること。その愛にわたしが応えられなかったら、彼にはつらい思いをさせてしまうだろう。それでも、彼にとって価値のある経験になるはずだ。
「色々話してくれてありがとうね」
「いえ、それは別にいいんですけど……。すみません、訳わかんないことばっかり言って」
自分の価値感がどこかおかしいことには気付いているのだろうか。わたしの反応に違和感を覚えて、それを感じたのだろうか。もしそれで彼に不快な思いをさせていたら申し訳ないな。
「何言ってるの、楽しいよ。……でも、あんまり話したくないことだったら、話さなくてもいいからね」
「大丈夫です。こんなこと、誰かと話す機会もありませんでしたから。志絵莉さんには、ぜひ聞いてほしいです」
恋人がいたことはないと聞いたが、交友関係はどうだったのだろう。合コンに呼ばれるくらいだから、それなりに上手くはやっていたんだろうけれど、彼から友人の話が出てくることはあまりないな。
“あにまる保育園”に関わる話だけじゃなくて、彼のその後の人生についても聞いてみてもいいかもしれない。彼の場合は少し特殊だが、その幼少期の特殊な経験がその後の人生にどう影響したのか、気にならないと言えば嘘になる。好奇心や興味本位で他人の人生を知りたいと思うのは、あまり褒められたものでないことはわかっているが、それがわたしの性分なのだから仕方がない。
「わかった。じゃあ、いっぱい聞かせてもらうね」
それはそうと……、とわたしは一度言葉を区切ると、どうしました? と一紀くんが顔をわたしの胸に埋めたまま視線を上げる。
こうして見ると、母親に甘える少年にしか見えない。彼はわたしに可愛いと度々言ってくれるけれど、彼だって可愛らしい。申し訳ないが、今のところ彼を可愛いとは思っても、カッコいいと思ったことは一度もない。
そんな彼に、わたしはできる限り優しく微笑んで問う。
「おっぱいの感触はどう?」
すると、彼は気恥ずかしそうにみるみる顔を赤くしていったが、素直に感想を吐露してくれた。
「……思ったより、硬いです。もっと柔らかいのかと思ってました」
「それはそうだよ。ブラ着けてるからね。がっかりした?」
「いえ、そんなことは……」
とは言いながらも、彼の微笑みは取り繕ったようにぎこちなく見えた。期待を下回っていたのは間違いないらしい。それでもこの体勢を続けるというのは、服越しでもそれなりの満足感が得られるからなのだろう。
すると、ノックの音がしたと思ったらすぐに部屋の扉が開けられた。一紀くんのお母様だった。お母様は今のわたしたちの状況を見て、大げさに驚いたように開いた口に手をやった。
「あら……! お邪魔しちゃってごめんねぇ……。お母さん、買い物行ってくるけど、盛り上がり過ぎないように……ね?」
などと、意味深に目配せしてくる。絶対何か勘違いしているな、この人。
慌ててわたしから離れようとする
「ご心配には及びません。これは単に、甘えてくれているだけですから。お母様の目を盗んでふしだらな真似をするような子ではないはずですよ、ね?」
と、わたしの腕の中の一紀くんに視線を落とすと、彼は無言のままこくこくと頷いた。わたしはそれを褒めるように、優しく彼の頭を撫でてあげる。
それを見て、お母様は尚のこと頬を緩め、そのまま立ち話を始めた。
「まあ、ごめんなさいねぇ、こんな甘えん坊な子でぇ。この子、年上のお姉さん好きなのよぉ。あ、そうだ! ね、お夕飯食べていくわよねぇ? ちょうどその買い物だから、苦手なものとかないかしら?」
次から次へと話題が飛び出してきて、その勢いに押されてしまう。あと、年上のお姉さん好きって何だ。一紀くん、例のお姉さんに執着しているのはお母様にもバレていたのか。
「あ、えっと、わたしは……」
さすがに夕飯までいただいていくのは申し訳ない。とは言え、時間も時間。お母様からも話を聞きたいし、夕飯の時間を押してまで話を聞き出すのはそれこそもっと申し訳ない。ここは素直にそのご厚意に甘えた方が賢明そうだ。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。好き嫌いやアレルギーは特にありませんので、大丈夫です」
「わかったわ! お父さんも夕飯までには帰るって言ってたから、会えると思うわよ!」
それじゃ、とお母様は部屋のドアを閉めて、慌ただしく出ていった。
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