鳥籠の革命譚

斎花

第一章 フォーマルハウト

1.北川さん

 曇り空の下、灰色にくすんだ世界を無理やりに照らす蛍光灯。その白々とした無機質な明かりが、定員の半分もいない教室の寂しさを余計に際立たせる。すうっと吹き抜ける初夏の風も、心なしか少し肌寒く感じられる。

 それでも僕には、この哀愁に満ちた教室が居心地よく感じた。というより、僕はそれほど周囲に何かを求めていなかったから、この教室がどんな環境でも僕にとっては大して変わらなかった。ただ一つだけ、もう一つだけ足りないものが満たされさえすれば、僕にはそれで満足だった。


「おはよう」


 教室の扉が開かれ、彼女は誰に言うでもなく教室中にそう告げた。それに気づいた彼女と仲が良い一人の女子生徒が挨拶を返す。


「あ、おはよう、しーちゃん」


 それ以外にも、教室内の生徒の多くは視線や手振りで彼女へ挨拶を返していた。


 彼女が教室へ踏み入れると、途端に僕の世界は一変する。どれだけ無機質で無彩色な世界でも、彼女がいれば途端に色付いて見えてしまうのだ。


 高校に入って一目見た時からもう一年以上ずっと、僕は彼女の美しさの虜になっている。彼女を見ていれば見ているほど、彼女の見た目以外の愛らしさを知ることができる。そしてより、彼女に惹かれていく。


 彼女が一歩、また一歩と白くて長い脚を伸ばすたびに、ひらひらとスカートが揺れる。歩けばさらさらと靡く肩下くらいまで伸びた髪は、蛍光灯の下では真っ黒く、艶めいて見える。しかし所変わって陽の光に照らされると、ところどころ茶色に輝いて見えるから不思議だ。彼女はどこにいたって美しい。


 結局、彼女が自分の席に座るまで、その姿から視線を放すことができなかった。その上品な所作で椅子に座るところさえ、一瞬たりとも見逃したくなかったのだ。


 でも僕は、彼女に声をかけることができずにいる。彼女から声をかけてもらっても、うまく返せた試しがない。嫌われたくない——その一心で緊張してしまい、逆に失敗してしまう。きっと、話しにくい変なやつだと思われているだろう。これ以上関係を悪くするくらいなら、僕は見ているだけでいい。


「お前、また北川きたがわさん見てたのか?」


 机に突っ伏して寝たふりをする僕の脇を小突くように、からかいの視線を向けてくるのは、短く切りそろえた茶髪の男子。誰かと思えば、同じ中学の倉掛くらかけ拓馬たくまだった。僕に話しかけてくるクラスメートなんて彼しかいないのだから、考えるまでもなかったと、内心一人で勝手に自嘲してしまう。

 軽薄そうな雰囲気の彼でも周りには聞こえないように話してくれるあたり、気を遣ってくれてはいるらしい。


「……別に、何を見てたっていいだろ」


「お前が彼女を見ているとき、彼女もまた、お前を見ているのだ」


「悲しいかな、そうはいかないのが現実だよ……」


 そうあからさまににため息を吐いてみせると、ふと彼女と視線が交わった。その一瞬、微笑みかけられた気がしたが、咄嗟に視線を逸らしてしまい、その真偽のほどはわからなかった。

 いや、たぶん見間違いだ。僕が勝手にそう思い込んだだけ。変に期待しても、苦しくなるのは自分だ。


「そういや、また予告通り、国会議員が殺されたんだろ? “トリカゴ”に」


 その件は、今朝のトップニュースにもなっていた。

 “トリカゴ”――律儀に犯行予告を出して、実際その通りにならなかったことはないという、カリスマ的犯罪集団。その芸術的とも言える完璧な犯行と、日本警察を手玉に取って翻弄する様はネットでも盛んに話題になっている。

 ニュースでは、ただの愉快犯では片付けられない周到性と凶悪性があると報道されていた。そのあまりにも超人的すぎる犯行は、模倣犯が出ないことだけが救いだと。


「予告通りの犯行なのに、何も手がかりを残さないなんて、何者なんだろうね」


「噂だと、大城おおしろが親父さんに捜査協力を頼まれてたりするらしいぜ」


「大城くんって、お父さん、警視庁の偉い人なんだっけ? だとしても、高校生に頼むって……」


「大城はメディアも取り上げる、巷で噂の高校生探偵だからな。まあ、警察もお手上げで、猫の手も借りたいってことだろ」


 “トリカゴ”に、大城くんか……。ベクトルは違っても、世の中すごい人がいるもんだ。



 ◆◇



 この日、僕はくだんの大城くんからとある調査の協力を依頼されていた。いや、厳密に言えば、彼の取り巻きに巻き込まれて協力を断りづらくなったという方が正しいのだが。それでも彼が受けた“依頼”のことが気になっていたのは事実なので、協力すること自体に何ら不満はなかった。


 大城くんは頭が良くて周りから頼られることも多く、今回も、クラスメートの稲留いなとみさんから逃げたペットの猫の捜索を依頼されたらしい。

 稲留さんは僕と同じ中学の出身で、中学の時に何回か話したことがあり、話を聞いて少し心配に思っていた。


上杉うえすぎ君は駅前を探してみてくれないか? 特に線路沿い、高架下なんかをよく探してみてほしい」


 なぜ大城くんがそう指示したのかはわからなかったが、これまで数々の依頼を解決に導いてきた彼の言葉を疑う道理はない。僕は彼ほど頭が良いわけでもないし、何かその言葉を否定するような根拠もない。だから放課後、素直に指定の場所に向かうことにした。



 放課後という時間帯は、夕食の買い出しに来る主婦や学校帰りの学生たち、中には早々と帰路に就く会社員の姿もあり、駅前はなかなかに騒々しい。

 こんなところに本当に猫が現れるのだろうか。それでも大城くんが言うのだから、可能性として候補の一つになるくらいには、捜索のし甲斐があるのだろう。そう信じて、あまり不審にならないよう辺りを気にしながら、とりあえず言われた通りに高架下へ向かってみることにした。


 すると、思いがけない人物の姿が視界に入る。――北川さんだ。なんて美しいのだろう。いつも学校でしか見ることができないその姿を、こんなところで見られるなんて。可憐な制服姿のままで、学校帰りのようだ。彼女の家はこの辺りなのだろうか。


 その姿を見つけた途端、猫を探すという目的は簡単に頭から抜け、北川さんを視界に入れておきたいという欲求にすり替わってしまう。


 いけないとわかっていながらも、一定の距離を保ちながら、彼女の後を辿っていく。彼女はまだ僕には気付いていないらしい。澱みない歩調で人の流れを縫うように進む彼女を、僕は視界から外さないよう、そして気付かれないように、そっと追いかけた。


 話しかけてみたかった。ほんのささいな、他愛のない話でいいから、彼女と言葉を交わしたかった。本当はずっとそう思っていた。

 でも、いざ彼女を前にすると緊張してしまう。彼女の美しい顔を直視していられない。彼女の視線を真っ向から受けることができない。僕は彼女に相応しくないと心の底で理解しているから、そんな惨めな僕を見てほしくないと防衛本能が働くのだろう。そんな自分こそが、本当は最も惨めで醜いとわかっているのに。


 だけれど、この時の僕は違った。歩調を早めて彼女に近付き、その手を取った。どうしてこんなことをしたのだろう。考えてもわからない。考えるより先に身体が動いていた、などと表現される通りなのだろう。

 僕の手は、彼女の手を――正確には、彼女の手首を掴んでいた。決して放してしまわないように。


「……上杉くん?」


 少し驚いたような声を出して、僕の方を振り返る彼女。しかしその表情はわからない。僕の俯きがちな視線は、ある一点、彼女の小さな手に注がれていたからだ。


「……北川さん。ちょっと、いい?」


 間違いならそれでいい。いや、良くはない。こんなことをしでかした僕は、きっともう彼女に顔向けできないだろう。……それでも間違いだったなら、どんなにいいか。


 僕は彼女の手を引いて、人気のない裏路地へと連れ出した。彼女もそれを拒まずに、大人しくついてきてくれた。

 誰かに話を聞かれなければ、場所はどこでも良かった。知っている人が近くにいなければ、それでいいと思った。傍から見たら、僕は強引なナンパだと思われるだろうか。

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