1-10.

 ふと、硝磨しょうまが何かを思いついたように、時計と地図とを交互に見合わせた。


「室長、何かいい案 思いついた?」


「ああ。確実かどうかはわからないが、試してみる価値はあるだろう。木崎きざき常塚つねづかに縛られているとすれば、誘いに乗ってくるはずだ」


 硝磨はまず、科乃しなの綾希子あきこに作戦を伝え、細かい箇所の修正を図り、目黒署の玲桜れお、逗子からこちらへ帰還途中のつかさへ連絡を取る。今回の作戦には、二人の存在が不可欠なのだ。


「そんな単純な方法とはねー。逆に思いつかなかったよ」


「それは褒めてるのか?」


「当然でしょ。さっすが、わたしたちの室長だよね」


 そう言いながら、科乃の手は目の前のテーブル下の籠からラムネ菓子の袋を取り出し、早々に開けて平らげるのだった。



 木崎の自宅のある練馬区小竹町まで、あと十分ほどで到着すると司から連絡があり、いよいよ作戦準備に取り掛かる。


 司は近くの駐車場に車を停め、徒歩で木崎の自宅へ向かった。同乗していた刑事二人は、自宅のベランダ、窓のある東側の部屋の前でそれぞれ待機。アパートの一階なので、何かあった際には窓やベランダから逃亡する可能性もある。たった二人では確保まではいかないかもしれないが、いないよりはマシといったところだろう。

 司は堂々と玄関の方から、部屋の呼び鈴を鳴らす。すると、木崎は無用心にも扉を開けて応じた。


「これを」


 そう言って、司は通話が繋がった状態の携帯電話を彼に差し出した。

 見知らぬ人物から携帯を渡されるというのは普通なら警戒して然るものだが、彼にとっては、逆に警戒心を薄めた部分もあった。それもそのはず、彼の常塚とのコンタクトは基本的に電話で行われ、今は常塚は拘束されていることも知っている。彼女から新しい指示が来ることはないと思っていたが、状況によっては変更を余儀なくされることもあるかもしれない。何せ彼女は今、警察に拘束されているのだから。それに、警察ならもっと手荒に強引な手を使ってくるだろう。だから隠れるように接している彼は味方なのではないか。そんなことを考えてしまったのだ。これも作戦の内で、あえて情報を与えないことで、自分にとって最も納得のできる理由をつけてしまうという心理を利用したものだった。


 司から携帯を受け取った木崎が躊躇いもせずに耳に当てると、やはり聞こえてきたのは常塚の声だった。


『私は当初、愛を知りたくて彼らと接するに至った。だけど、今回の計画を進めていって、余計にわからなくなったわ。だってそうでしょう? 母親に誰かを殺すように指示されたとして、本当にそれを実行するのが息子なりの愛なの? そもそも、息子に人殺しをさせるのも、母親の愛なの? どうして彼らは、それを愛だといって疑わなかったのかしら。反抗する息子が一人くらいはいるかと思ったけど、誰一人としてそんな子はいなかった』


『あなたは反抗されたかったの?』


『されたいというわけじゃないけどね。でも幸か不幸か、彼らには思いもしなかったのでしょうね。間違っている親に反抗し、止めるということを。……子育てというのは、大変なものね』


 それを聞いた木崎の頭には、様々な考えと感情が渦巻き、膝から崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。


「母さんは……反抗されたかった? 何でも言うことを聞くのは……ダメな子? じゃあ、僕がしようとしてることは……?」


 洗脳状態にある時、人は簡単に相手の言うことを鵜呑みにしてしまうものだが、そこに二律背反が与えられたらどうだろうか。どちらも正しいことで、どちらも為すべきこと。しかし、どちらともを為すことはできない。その矛盾に苦しみ、その先を考えることができなくなってしまう。


「どうして……どうしたら……っ!」


 司は隠れている二人の刑事に合図して、錯乱状態に陥った木崎を拘束し、救急車を呼んだ。これで名目上は、突然苦しむように暴れ出したので、救急車を呼んだ。ということになったはずだ。詳しい事情を聞いたり、常塚に引き合わせれば、事実関係も明らかになるだろう。

 救急車には二人の刑事に同伴してもらい、司は一人、タクシーに乗り込んで警察庁へ帰還することになった。木崎の身柄を無事に確保した旨を硝磨に連絡すると、ご苦労様、気を付けて戻ってこい、という素っ気ない返事だけが返ってきた。


「まったく、硝ちゃんも口下手なんですから……」



 ――三月二十二日、午前十時頃、警察庁。


 確保した常塚、木崎の両名の取り調べから、事件の全容が明らかになり、概ねSIRの推察通りの顛末であったことがわかった。ただ、卵巣を摘出していた常塚の目的だけは、頑なに口を割らず、摘出された卵巣を発見することもできなかった。病院に搬送された磯島いそじまは奇跡的に一命を取り留めたものの、まだ意識は戻っていない。状態の回復を待って、彼の取り調べも行われることになっている。


「とりあえず、後は検察が上手くやってくれるでしょ。これでアタシたちの役目はおしまいね」


「やれやれ、骨の折れる事件でしたね……。できれば、こういう難事件はあまり起きてほしくないものですが」


「そうは言っても、そういう事件を扱うのがうちの部署だ。今後も“スクール”出身の犯罪者が現れないとも限らないしな」


「そうなったら、対処できるのはわたしたちだけだからね~。しょうがないね~」


 相変わらず、四人は言葉は交わしていても、それぞれが自由に過ごしていた。司は今回の事件の資料をまとめてデータベースに落とし込み、硝磨は上への報告書を作っているものの、玲桜は鏡の前で何やら前髪が気になっている様子。科乃はといえば、すっかり彼女専用になっているソファに寝転がりながら、玲桜の焼いたクッキーを貪り、ティーバッグの紅茶を嗜んでいる。


 そんなところへ、綾希子が両手いっぱいに荷物を抱えて戻ってきた。走ってきたのだろうか、いつもはぴっしりと整えられている黒髪は、ところどころ乱れている。


「おかえり、綾希子。どうしたの? その荷物」


「いえ、せっかくなので、少しパーッとやりませんか? と、思いまして……」


 荷物持ちを手伝いに、息を切らした綾希子の元へ科乃が向かうと、荷物はどうやら食べ物やお酒の類のようだった。


「だってよ、皆さん、どうする~?」


 科乃が呼びかけると、司と玲桜は快い答えを返すも、硝磨は乗り気でない様子だった。


「硝ちゃん、アキちゃんのせっかくのお気持ちを無下にするもんじゃありませんよ」


「そうだよぉ、あんな事件の後だからって、気を利かせてくれたのにぃ」


 本当はもう少し仕事を進めておきたかったが、なんだか自分だけが悪者になっているみたいでいい気はしない硝磨は、仕方なく仕事を切り上げて、居住区の方へ向かうのだった。



 テーブルに並べられていくお惣菜の数々に、我慢できなくなった科乃が唐揚げを一つ先取りする。


「こら、行儀が悪いぞ、科乃」


「しなのんも飲む~?」


「ダメです! 科乃さんはまだ未成年なんですから」


 ちょっとくらい、いいんじゃないの? と自分の立場も忘れた発言をする玲桜に、珍しく綾希子が説教を垂れていた。その横で、司が硝磨にこっそり耳打ちする。


「硝ちゃん、私、お酒ダメなんですよ……。ですが、飲まないのも気が引けますし……一杯だけ飲むので、残りは飲んでもらえませんか?」


「わかったよ。その代わり、ここで吐くなよ?」


「……善処します」


 綾希子が音頭を取り、事件の解決を祝して乾杯を交わした。普段の事件ならともかく、今回のような難解な事件なら、こういうのもあってもいいのかもしれないと、硝磨は結局 満更でもない様子だった。


「そういえばさぁ、しなのんって最高傑作なワケじゃん? ってことは、しなのんと同スペックの者はいないってことだよね? “キョウダイ”もいなかったの?」


「うーん、まあ、いないわけではないかな。でも、わたしが最高傑作って言われるのは、遺伝子配列的に最高の脳力を備えていて、かつ、それを最大限引き出せるだけの訓練を施し、実際にそれが観測できた例だからってだけなの。だから、同じ遺伝子配列を持つ素体はそれなりにいたよ。でも、結局 訓練が上手くいかなくて廃棄されるのがほとんどだったかな」


 それを聞いていた綾希子は、彼女らの会話の中で度々当たり前のように出る“廃棄”という言葉の意味を、わかってはいるが、恐ろしくて確認はできないのだった。


「そっかぁ……。いや、何て言うかさ、敵にしなのんみたいなのがいたら、めっちゃキツいなぁって思ってさ」


「……玲桜、冗談でもやめてくださいよ」


「じゃあ逆に、わたし抜きで事件解決っていうのは?」


「そっちの方がまだ……いや、どうだろ。しなのんが居てくれる方がいいかも」


 そんな三人のやり取りを、硝磨は一人、微笑ましそうに眺めていた。


水瀬みなせくん、ちゃんと楽しめてますか? ……あんまり酔わないんですね」


 隣に座る綾希子が硝磨の手元を見ると、テーブルには既に空いた缶が二、三本置かれていた。


「ええ、まあ。酒には強いみたいで。不思議ですよね。施設にいた頃のように閉じた生活をしているはずなのに、あの頃のような不快感がなくて。毎日賑やかなお陰かもしれませんね」


「それでも、室長として大変なことも多いですよね。たまには息抜きをして、溜めこまないようにしてくださいね」


「お気遣い、ありがとうございます」


 こうして一連の事件の幕が下りても、SIRの役目は終わらない。事件が起きる限り、彼らの役目は終わることはないのだ。

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