第2話 魂量の儀
部屋の外に出ると、そこはもう家の外で、どうやらこの部屋はワンルームだったらしい。しかしそんなことよりも、目の前の景色に驚かずにはいられなかった。
「嘘……だろ? 何だよ、これ……」
舗装もされていない土の道。その道の両側に、木や石でできた建物が立ち並ぶ。その建物の前では、野菜や果物、服や日用品など、商品をそのまま野晒しにして売っていた。そんな景色が道のだいぶ先まで続いているようである。
道行く人も、草履のような申し訳程度の靴に、布を継ぎ合わせただけのような服を着ているだけ。
いわゆる貧民街というやつだろうか、初めて見た。まるで文明レベルが一回りも二回りも違う。
いや、それは失礼か。日本より貧しい国ではこんな光景、当たり前なのだろう。教科書や映像資料でしか目にしたことはないが、発展途上国と呼ばれる国にはこれくらいの景色はざらにあるのだと思う。
ということはもしかして、俺は海外にでも連れていかれたのかもしれないと、そんな可能性も浮かんできた。
俺は部屋にあった草履のような靴を拝借して、“アストレリア”へ行こうと市場の方へ向かう。
身体が動いたのよりも後に、どうして“アストレリア”がこっちだと思ったのだろうと疑問が沸いた。しかし、身体が自然にそちらへ向いたのだ。まるで、“アストレリア”がそっちにあると最初から知っていたかのように。
市場を歩きながら気付いたが、文字だけでなく、周りの人が言っていることも、問題なく聞き取れた。当たり前のように日本語で話しているように聞こえる。
そもそもここが日本ではないという先入観は、どこから来たのだろう。ここはやはり、日本のどこかなのではないか。先ほど感じたこととは矛盾して、そうも思い始めていた。いや、そう思わなければ、不自然で仕方なかった。
市場を抜けると、広い通りに出た。通りの両側にレンガのようなものが敷き詰められた部分があり、どうやら歩道になっているらしかった。広い通りの真ん中、土がむき出しの場所は、車輪の跡のようなものが薄っすらと見えたので、間違いないだろう。
ようやく舗装された道に巡り合えて、そんなことでいちいち安心していた。
俺は慣れたように歩道を歩き、少し位の高い者が住まうであろう住宅街を歩く。先ほどの貧民街と比べると、この辺りの住宅の質は明らかに上がっていた。
白塗りの壁に、やたらと凝った装飾、広い庭は綺麗に手入れされて、咲き誇る花々が色鮮やかで美しい。
こちらの通りはどちらかというと、一昔前のヨーロッパの街並みに似ている気がした。こちらも実際に見たことはないが、テレビや絵画などで見たことがある。
しばらく道を進んで、ふと、歩を止めた。大きな教会のようにも見える白い建物。大きなガラス窓はステンドグラスになっていて、上に伸びるように、屋根は真っすぐ尖っている。なんとか大聖堂とかいう名前がついていそうだ。
——ここだ。ここが“アストレリア”だ。なぜそう思ったのかはわからない。でもこの建物を見て、なんとなくそう思った。
思い切って建物の中へ入ろうとすると、門のすぐ脇に控えていた屈強な男に止められた。門番や警備員のような人だろうか。
腰に下げている長い棒状のものは、まさかとは思うが刀剣の類ではないだろうか。少し平たい棒状の上部に、十字架のように左右に伸びる部分がある。
「この“
やはりここが“アストレリア”で間違いないらしい。
言い返そうとしたが、今の俺の恰好はパジャマにサンダルのようなもの。確かに外を出歩く恰好とは言い難い。とても説得力のある抵抗ができそうにはなかった。
「あの、これなんですが……」
俺はポケットから二つ折りにされた紙を取り出し、門番に渡す。すると、男は苦虫を嚙み潰したような表情になりながら、門を通してくれた。
「……扉のベルを鳴らして、司官様がいらしたらそれを見せろ。ほら、とっとと行け!」
追い立てられるように扉の前に行くと、確かに扉の脇には備え付けの小さな金色のベルがあった。思い切って押してみると、少しして、白髭を蓄えた背の高い老爺が現れた。
この人が司官様だろうか。背が高いのでわからないが、前から見る分には、頭髪は後ろまですっかり禿げ落ちているように見える。
「あ、えっと……司官様ですか?」
「いかにも。何か用かな?」
見下ろされる視線に少し萎縮しながらも、俺は先ほどの紙をハゲにも見せた。するとハゲは内容を検め、俺を見定めるように眺めまわしてきた。
「ふむ……ついてきなさい」
何を納得したのか、そう言って建物の中へ入っていく。俺も遅れないように、その後に続いた。
中は床も壁も、大理石のようなつるつるとした白い石でできており、何をするところなのかわからないほど、何もない建物だった。
空間の無駄遣いとも思える開放的な廊下を通り、広間へ案内されると、その中央に大きな壺が一つ置かれていた。白いアンティーク調の壺の中には一杯に水が溜められていて、だだっ広い広間の中に、ただその壺があるだけだった。
水を浴びろとでも言われるのだろうか。聖なる建物のようだし、司官様という役職自体、神官や司祭を連想させる。この先に進む上で、手や身体を清めることは必要なのかもしれない。
そう身構えていると、壺の前でハゲが言う。
「これから
「えっと……何をすれば?」
そんな怪しげな儀式、本当に俺が受けても良いのだろうか。今更になって、不安が押し寄せてきた。
「この
長くなりそうだったので、とりあえず壺の中に手を入れるところまでやってみることにした。
すると突然、爆発したように壺から白い煙が立ち昇り、一瞬にして壺の水がなくなってしまった。俺の手に触れたとたん、沸騰したように蒸発し、干上がってしまったというのが正しいだろうか。
これで良かったのだろうかと、ちらと隣のハゲの顔色を窺うと、何やら口を丸くして青ざめた顔をしている。どうもマズいことになったらしい。
少し間をおいて、我に返ったようなハゲは、俺の手と壺の中とを何回か見直していた。現実を受け止めるのに必死なようだった。
「す、少し、そこで待たれよ!」
そう言い残して、ハゲは慌ただしく広間から出ていった。
何もわからない俺を独り、こんなところに残していかないでほしい。そう思っても、ハゲの背中はどんどん遠くなっていく。心細くなりながら、俺はその場にぺたんと座り込んだ。
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