アストラム・ドール

斎花

第1話 僕が呼んでる

 いつもと何も変わらない、平凡な一日。何かと面白おかしいことがあっても、終わってみれば、いつもと大して変わらないバカみたいな一日。

 そんな俺の日常は、何の前触れもなく、突然に終わりを迎えた――――。



 — ◇ ◆ ◇ —



「こら、奏太かなた! テスト明けだからってあんまり遅くまで起きてないで、早く寝なさい! 明日も学校でしょ?」


 母さんに言われるまでもなく、俺自身もそのつもりでいた。それなのに口うるさく言われるもんだから、少し気分が悪くなって、無言のままリビングを出た。


 遅くまで羽目を外していたら明日の朝がキツくなるなんてことは、自分が一番わかっている。高校生とは言え、まだギリ成長期。睡眠時間はある程度確保しておきたいというのもあるし、言われなくてもちゃんと寝るつもりだった。

 俺ももう高校生になったんだ。自分のことは自分で管理できる。いつまでも子供扱いされて、あれこれ口を出されるのはうんざりだ。


 当の母さんには直接言わない文句を頭の中で唱えながら、二階の部屋へ続く階段を上っていく。


 思ったよりも眠かったのか、何だかふらついているような気がする。せめて何か支えをと、手すりに手を伸ばしても、その手は空を切り、手すりを掴むことができない。


――何かおかしかった。


 目の前の景色がぐらぐらと揺れ、畳みかけるように、乗り物酔いでもしたような気持ちの悪さが襲い来た。


 あれ、何だ、これ……立ち眩み……貧血……?


 眩暈が収まるのを待とうと思わずその場にしゃがみ込むが、一向に収まる気配はない。


“……ぁ……いで、……たち。みん……ひ……つにな……ぅ——”


 ぼんやりと何か声のようなものが聞こえた。母さんだろうか。俺の異変に気付いて様子を見に来てくれたのか……?

 しかしその声に意識を向けようとしたその時——不意に目の前が真っ暗になった。


 倒れた感じはない。痛みもない。

 何も聞こえない。何も見えない。何も感じない――。



 — ◇ ◆ ◇ —



 次に目を覚ました時には、見覚えのない場所にいた。目を覚ましたら病院の天井が……ということもない。本当に、まったく知らない場所。

 それなのに何故だろう。不思議と落ち着いて、心がざわつくような感じはない。感じていた気持ち悪さも綺麗さっぱりなくなっていた。


 階段にいたはずが、今いるのは木の床の一部屋。どうにも物が多く、散らかっていて、本来の広さよりも狭く感じられる。

 窓からは日が差し込み、外では小鳥の囀る声が聞こえる。都会の交通騒音はまったく感じられない。よく耳を澄ますと、外から活気のある話し声が聞こえてきた。


「あんた、また太ったんじゃないの?」


「いやねぇ、あたしくらいになると、こんくらいじゃ太ったって言わないのよ」


 そんなことを言いながら、馬鹿笑いし合っていた。大した話ではない。近所のおばちゃんだろうか。


 ここはどこなんだろう。……誘拐、にしては拘束されているような感じもない。窓もあるし、簡単に抜け出せそうだ。


 とりあえず、状況を把握しなければ。俺は冷静にもそう思い立った。自分の身に起こったことがあまりにも現実味がなさ過ぎて、むしろ夢か何かなのではないかとも思えていた。

 服も寝る前に着ていたパジャマのまま。スマホは……ないか。思い返せば、階段でうずくまった時に取り落としたかもしれない。あれば色々と調べられただろうに……悔やまれる。


 ふと視線を落とすと、座り込んでいた足元に、何か紙が落ちているのに気づいた。二つ折りにされた二枚の紙。表には、“これを見つけてくれた人へ”と書かれていた。

 中を見てみれば――表に書かれた文字を見た時から感じていたが――見たこともない文字のはずなのに、意味を理解することができた。


“これを見ている人がいるということは、僕はもうここにいないだろう。どうか僕の代わりに、この紙を持ってアストレリア・・・・・・に行ってほしい”


 “この紙”というのは、二つ折りにされたもう一枚の紙のことだろう。何かの受付票らしい。文字の意味は理解できても、それがどれほどの価値のものなのかはわからない。


 この部屋の主は、この受付票を持って、“アストレリア”という場所に行かなくてはならなかった。だけど、何らかの事情で行けなくなってしまった。いや、もしかしたら……彼はもうこの世にはいないのかもしれない。

 このメモを置いたということは、ここに誰かが来ることを想定してのもの。自分の亡き後に誰かがこれを見つけて、自分の代わりにやり残したことを果たしてくれるだろうことを期待して、これを遺したに違いない。


 せっかくなので、この“アストレリア”に行ってみることにした。この部屋に閉じこもっていても、これ以上何か情報が得られるとも思えない。外に出てみれば、また何かわかるかもしれない。

 ちょっとした冒険のようで、未知の体験に、少しわくわくし始めている自分もいた。当然、明日も学校があるなんてことは、すっかり忘れていた。

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