第4話 女たち
<scene 8 夜のエッフェル塔>
どこにも招かれはしないのだが、旅装にはいつもスペンサー・ジャケットと首が隠れる高さのウィング・カラーのシャツを用意した。それに、ペイズリー柄のタイで、夜の街を行く。
エッフェル塔を見てみたかったし、一度パリのバーで飲んでみたいとも思っていた。
バーでジントニックを飲むまではやった。
で、迷子になった。
エッフェル塔をあきらめた帰途、交差点で地図を覗き込んでいると、信号を渡ってきた女性が声をかけてきた。長いカーリー・ヘアにニットのカーディガン。20代前半だろう。夜空のスクリーンから降りてきた女優のような美人だった。
「どこへ行きたいの?」 にこにこしている。
どう答えていいやら地図に目を落としていると、彼女も同じように覗き込んで、地図を持つ中指に彼女の体が触れた。
見ると、柔らかなお乳のあたりだった。茫然として顔に目をやると、彼女はいたずらっぽく笑った。
信号がまた青に変わり、ひとが近寄ってきたので、適当にごまかしてその場を逃げた。痴漢にされたくはない。冤罪にされかねない場面だった。
もし、太い気持ちでその女性を誘ったら、何かいいことがあったかもしれないし、あるいはカモられただけだったかもしれない。約束の女性を探していたわりには、果敢さに欠けていた。
さて、話しは変わるが、李賀は恋愛詩を能く書いた。
といっても相手は伝説の芸妓「蘇小小」、言い換えれば象徴的イメージの女性だが、そこに行き着く前、長安の下級役人時代には娼家に通ったという。
病弱で、短い生涯を独身で過ごした。
「大提曲」は蘇小小目線で書かれており、しかも彼女から荊州の娼館に引き留められるというリッチな空想である。
詩とは全体、己の思いを表現するものだが、李賀はある種の客観をくるりと使い、芸妓視線から描写した。
郎食鯉魚尾
妾食猩猩唇
あなた様は鯉の尾を食べ、私は猩々の唇を食べました
猩々は類人猿の妖怪の事だが、その唇とは、詩人李賀の喩だろう。であれば、鯉の尾は何の喩であるのか、妖艶な妄想が広がる。
超訳的に詩の続きを書けば、「都会へ帰るなんてイヤ。ここに帰って来る舟の便は少ないんよ? 今日は菖蒲の花どすけど、明朝は楓が散ってはることですやろ」といったところか。
李賀には脳裏に映像が見えていたと思われ、そのため色彩使いに長け、菖蒲の紫にカエデの赤が鮮やか。さらには今日と明朝の間に春と秋が過ぎるという時の錯綜を駆使して夢幻の女性を表現した。
人は、自分の皮から外へ出ることができない。
例えば美しい恋人がいたとして、しびれるようなセックスをしたとしても、感じるのはあくまでこちら側の快感だけだ。相手の快感まで感じはしない。
それでも
しかし、それは常に相手そのものではない。あくまでこちらの主観が相手に貼り付けた虚像なのである。
それが寂しいと言っているのではない。むしろそれは、李賀の詩のように美しいアニマだ。
オナニーをしなかったせいか、宿で性夢を時々見た。
とんでもなくリアルな映像で、白人女性とセックスする夢もあった。
足の十指を全て、均等に口で咥えてしゃぶっていく。次に、膝裏を舐めると、彼女は身を捩じった。開発されていないのだろう思い、しばらくお尻の腰に近い部分にキスの雨を降らせた。それである種の耐性ができることは知っていた。くすぐったいが気持ちいいに変わるのである。感覚のセッティングが変わるわけだが、これは蝶が芋虫の背中を割って外に出ようとするような、愛おしい悦びだ。その後、大腿からまた膝裏へと、キスの位置を下げていく。今度は、とろけるような喘ぎ声が漏れるのを聞けた。いざ挿入という場面になった。入れようとすると、彼女の陰毛が一緒に入ってしまい「痛い」と言われた。
そこで目が覚めた。なんという夢だったろうか。ベッドの上に座って、しばらく茫然となった。
その時にはわからなかったが、あれはアニマの仕掛けた夢で、合一の痛みが具体的に現れたものだったと思う。
蛇足ながら、パリの華を添える意味で、映画作品にもなっているイヴ・サンローランに触れたい。
彼は、パリ16区を根城にしていたという。
サンローランは、「永遠の女性」のモチーフを、ファッションに定着させた。
アルベール・カミュと同じく、アフリカはアルジェリアの出身である。
引退会見では、「私はランボーが述べた火を盗む者たちとして進んだ」と述べている。また、プルーストを引きつつ、あるトライブ《種族》の存在を示している。(私の用語では、魔族と呼ぶが)
まるで証言台にでも立つように、ランボーにいう「地獄墜ちの者ども」の一員であると、自己存在証明をしたことになる。
─── 詩人は、火を盗む者なのです
と、ランボーは書簡に書いたが、サンローランが脳裏にイメージしたのはその一節だろう。
そしてランボー自身もまた、ギリシア神話プロメテウスの説話から引用しているだろう。プロメテウスは神界から火を盗んで人間に与え、その刑罰として果てしない苦役を課された。
等価交換、それが「火を盗む者たち」の宿命だ。
<scene 9 モンマルトルの娼婦>
「お兄さん、遊んでかない?」
昼間からモンマルトルで声をかけられたこともあった。
即座に「ノー・サンキュー」と答えたが、見るとなかなかよさそうな娘で、少し煩悩が頭をもたげ、しげしげと見やった。
「なによ、私はこれが仕事なの。わかって!」
彼女は怒って言った。何がわかって欲しかったのか。
好きで街娼をやる者はあまりいないだろう。旅行中に誘拐されて人身売買組織に売られることも少なくないと聞く。また、欧州のドキュメンタリー映画で、年間50万人が誘拐されて性奴隷になると語られていたが、貧困国の女性はたとえ一度抜け出ても、金銭目的で再度そこに戻っていくのだという。数年で飽きられるから、各都市を渡り歩くとも。
李賀は、そんな人たちを慈愛の目で見ていたのだが、私は・・・。
その娘は真剣な眼差しで私を見た。こちらも対峙してその間2秒。
(こっちゃ無職でね。カネなどないのさ)
女遊びなどしないと決めてモンマルトルを歩いていた。
色とりどりに華やかな人混みにもまれて、考え事をした。
ロートレックの映画を観たことがあって、モンマルトルは訪れてみたかった。
キャバレーの前では散々迷ったが、昼間からシラフで入って行く勇気は出なかった。
ロートレックを描いた映画「赤い風車」で彼は、性悪の街娼を追いかけ、理解ある女性に去られ、飲んだくれて死んだ。
ユング風に解釈すれば、アニマの段階であるクレイ(泥の女)とマドンナとの対比が味わえる優れて悲劇的な映画だ。
どこをどう歩いたのか、また前の場所に出てしまった。客引きの女の子は、まだそこにいた。
「あら、気が変わったのね!」
彼女は目をパチクリさせて言った。
「あ、いや。道に迷ってね」
「なんなのよ、一日に二回もがっかりさせないで」
ロートレックは生きているうちに作品を売ることができたが、アーティストは生前評価されることの少ない人たちだ。あまつさえ死後も評価されない人たちが大半だろう。どちらにしろ彼らは、将来の盛名に賭けているのではなく、そのとき己の信じていることをしているだけだ。
北海を泳ぐ鯨が信じていること、そこいら辺の道路をほっつき歩く猫が信じていること、どれも変わらない。
李賀は鬼才の名を欲しいままにしたが、生前、自分の詩を解する者はいないと嘆いていた。ランボーは、詩集すら出版しなかったが、何かに護られでもしたかのように、その詩は私たちに届いている。
ランボーも李賀と同じく、幻想の伴侶を「地獄の季節」の中で描いた。
これはユングのいうアニマだと私は考えている。
詩人に限らないが、精神に過剰が蓄積すると、副人格が明白に稼働し始めることがある。ランボーにおいてもそうであるものの、彼の詩を総合的に解析すると、幾分かは生得的なものだったと私は考えている。
けれども、例えば「オルタンスを探せ」と名前までわかってしまうのはどうかと思う。
別のありがちな場合には、「わらわは××の神じゃ」などと語り始めることもあるようだ。(そこから新興宗教が始まったりもする。)
何を信じるかは人の趣味性の問題だが、私はそんな者を神だと信じはしない。そんな者にさせないためにも、副人格をあえてネズミと呼んでいた。
けれども、この精神現象自体は面白いものだと思っている。何らかの理由で人間に与えられた神のデザインだからだ。
ランボーが詩集地獄の季節の「愚かな処女」で、どう書いたかみてみよう。
「私は未亡人です・・・ ─── 未亡人でした・・・ ─── ええ、そうなんです、一度は真面目にやっていたこともありますし、なにも骨になるために生まれてきたわけではないのです!・・・ 彼はほんの子供でした・・・ 彼のミステリアスな繊細さに魅かれました。私は人としての義務をすべて忘れて彼についていきました。何という人生! 生身の生活というものがないのです。私たちはこの世のものではありません。彼の行く所に私も行かなければならない。そんなことにもあの人は私に食ってかかるの、(可哀そうな私)。悪魔なのよ! ─── あいつは悪魔、わかるでしょう、人間じゃないってことが。
穿ち過ぎかもしれないが、未亡人・処女といった人物表現から、聖処女マリアのイメージを受け取る。
詩に「愚かな処女」というタイトルが付されているので、まず未亡人だという独白が妙だが、これは直ぐに過去形で言い直されている。現在は「地獄の夫」の妻となっているからだ。
三連ドットやダブル・ダッシュが多用されるが、これは時間の経過を表現するものだろう。つまり、独白する話者の背後に、陰の質問者(書き手ランボー)がいるダイアローグと想像される。その質問内容を想像してみるのも面白いだろう。
これ程見事なアニマ表現も類例がない。
ユングはなぜか男性にはアニマ(女性性)、女性にはアニムス(男性性)が現れるとしている。どちらの性でもいいではないかと思いもするが、決まっているものらしい。
ならばアニムスを詩中に書いた者として、エミリ・ディキンソンがいる。かなり重いと思われる精神病症状のことを詩で表現してもいる。
家に引きこもり、生前発表したのは七つの詩編だけだったが、今では天才の称号を欲しいままにしている。
彼女の描くアニムスは、聖的で久遠の荘厳さを持っている。引用してもよいが、この文章はアニマにとどめておくべきだろう。
Xの使命 安祥 @ANS6
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