この恋を殺して、剥製に
無屁吉
この恋を殺して、剥製に
――この恋は剥製にしてしまうべきだ。
内臓を掻き出し、綿を詰め、その傷跡が刻まれた肌に防腐処置をする。そうやっていつまでも腐らぬよう、心の中で保管し、鑑賞しよう。
灰谷海路(はいたにかいろ)は横目で二つ隣の席に座る少女――桜庭真瀬(さくらばまなせ)を見やりながらそんな事を胸中でひとりごちた。
◇
海路はこの春、高校二年生に進級した。
――進級。誰だって当たり前に登る階段のはずだった。だが、その当たり前の階段を踏み外してしまったのが、桜庭真瀬だった。
端的に言えば不運だった。下校中の事故により、彼女は半年以上の空白を強いられた。当時は地方ニュースにもなったものだが、海路もさして興味はなく、話を聞いた際もすぐに忘れてしまっていた。
ただ、その事故の被害者がまさか留年をしていて同級生になるなんてことは夢にも思っていなかった。
「桜庭真瀬です。事故で入院していて留年しちゃいました。年齢は皆さんより一つ上ですがクラスメイトとして仲良くしてくれるとうれしいです」
白い肌が特に印象的なその少女は立ち上がり、着席する。しかしその動作はどこかぎこちない。それは緊張からと言うよりも物理的に関節の可動域が制限されているような印象を抱かせた。海路にはそれが無理やりに肉と皮を継ぎ接ぎされた縫い目のように思え、彼女に降りかかった凄惨さを直視せざるを得なかった。同時に、教室にわずかなざわめきが広がる。それは隠しきれない憐憫だった。
――しかし、進級時にクラス替えもあったからか、はたまた事故に遭ったなんて暗さを感じさせないハキハキした挨拶が好印象を与えたのか、真瀬はすぐにクラスに馴染むことができていた。
海路とは二つ隣の席という近さもあり、話す機会も多くあった。
「灰谷さん、よろしくね」
「う、うん。桜庭さん」
柔らかく海路に微笑みかける真瀬。二人の距離はそんな他愛のない挨拶から、静かに、しかし確実に縮まり始めた。
◇
二人の距離が狭まるにつれ、海路は否応なしに留年を経て戻ってきた真瀬の、未だ見え隠れする空白の影を意識せざるを得なくなっていた。特にそれを強く思ったのが体育だった。
体育の授業のとき、いつも真瀬は制服姿のまま見学をしていた。
普段見学でも体操着への着替えを求める教師だったが、真瀬にそれをしたのは最初の授業だけだった。それを口さがない男子が格好のネタとして揶揄し、すぐさま周りの女子集団から反撃をもらって撃沈するまでがいつしかお約束の流れとなっていた。
真瀬は苦笑いをしながらも女子たちに「ありがとう」とお礼を言う。
真瀬が機能的に体育の授業には参加できないことは教師から説明があったが、体操着に関しては何もない。
海路はいつぞや真瀬と話をしているときに本人からその理由について聞いていた。
「傷跡がね、酷いの」
いつも明るく振る舞う真瀬が、隠しきれずにこぼした翳り。不意に海路の心臓が跳ねた。
「別に運動するわけじゃないんだから、着替えなくたっていいんじゃない」
「ふふ、先生にも同じこと言われたよ。前は見学でも着替えろって言ってたけど。……配慮してくれたんだ。正直ありがたいよ」
そう言って真瀬は苦笑する。
「でも、本当はみんなと一緒に運動できる方がいちばんいいんだけどね!」
そんな風におどける真瀬の声はほんの少しだけうわずっているように聞こえもした。
実際、真瀬はいつも袖口まである、肌に貼り付くようなタイトなアンダーシャツを着て、80デニール以上はあろうかというタイツを履いている。それは五月の柔らかな陽光のなかでも変わらずにその白い肌を閉じ込めていた。その不自由な装いはどこかただ飾られるだけの展示物めいて見えて、不思議と懐かしささえ覚えていた。
だからこそ、男子から彼女を守ろうとするこの空気さえ、海路には展示物を保護するガラスケースのように思えた。
女子たちの痛々しい視線、男子の揶揄、学校の配慮――そのすべてが展示物を囲うロープのように感じる。
ともあれ、おしゃべりな女子のことだ、遅かれ早かれ男子にも伝わるなと海路は冷めた思考を巡らせていた。
思えば――。
海路は体育館の壁にもたれて座る真瀬を盗み見た。その視線に気付いたのか、はたまたたまたま目が合ったのか、真瀬が微笑んで小さく手を振ってきた。海路は横目で見ていたというバツの悪さにぎこちない笑みを浮かべながらも手を振り返した。振り返しながらもバレないように視線をわずかに下げ、真瀬の濃い色のタイツを見つめた。
思えば――、あの真瀬の微笑みの裏に隠れた陰を見たときから、海路は彼女の傷跡のことばかり考えるようになっていた。
◇
「脚から腰、背中にかけて傷があるの」
真瀬が傷について語るとき、必ずその端正な顔つきに影が差していた。年ごろの少女に二度と消えない傷跡がついたのだから当然だろう。
一度海路に傷跡の話をしているからか、二人で話をしているとき、真瀬は傷について時々ではあるがこぼすようになっていた。
別に慰めてほしいわけではなさそうで、ただ思いの吐き出しどころを求めてのことのようだった。海路はあまり余計な口を挟むことなく聞き役に徹することが多い。傾聴しようと意識していたのではない。ただどんな言葉をかけてよいかわからないだけだった。それでも行き場のない感情を表に出したあとは、いくらか真瀬の表情は良くなった。
――それが、なぜか海路は面白くないと思ってしまった。
もはや真瀬は友人と言える関係だ。その友人が楽になるのなら、それは喜ぶべきことだ。
そのはずなのに。
海路は目を伏せ――いや、伏せるふりをして彼女の脚に視線を落とした。漆黒のタイツ、その下にあるはずの大きく長い傷。真瀬という少女に刻まれた不幸の象徴。それがどうにか見えないかと思っている自分に気づいて吐き気を覚えていた。
夕食を終えた海路は自室のベッドに埋もれながら天井を見ていた。LEDの電灯がやけにまぶしい。目を細めると、ふと、真瀬の微笑みが浮かんだ。本来なら一学年上の先輩が同級生としていることの違和感。そして、傷跡について話すときの暗い真瀬の顔。
知らず荒い鼻息が出た。唇に熱い空気を感じ、頬が紅潮しているのが分かる。
どうして自分はこんなにも真瀬のことが気になるのだろう。どうしてこんなにも真瀬の傷が気になるのだろう。どうしてこんなにも自らの苦境を吐露する真瀬にドキリとしてしまうのだろう。
――なぜかフクロウが頭によぎった。
小学生の頃、博物館見学で見たフクロウの剥製だ。大きな、白い羽のフクロウはガラス玉の瞳を何処ともない虚空に向けている。あのとき、周りの級友たちが「カッコいい」とか「怖い」とか口々に感想を言い合っている中、海路は「動物は死んでもキレイなままでいることができるんだ」と感動した事を覚えている。その後少し興味を惹かれ、自分で剥製の作り方なんかを調べたりもした。
――なんで今、あのフクロウなんだろう。
わけもわからず、気づけば右手が自分の右太ももに置かれていた。そこはちょうど真瀬が語った事故の痕跡の場所と一致していた。
海路は想起する。彼女の黒いタイツの下にある、醜い引き攣れた傷跡を。
半開きになったままの唇から吐息が漏れる。
目を閉じ、脳内で真瀬の脚に触れる。彼女の傷をなぞるかのように自らの脚をその手で撫でる。しかし、部屋着にしたスウェットの感触がこれではないと語る。海路は寝転んだままもどかしくスウェットを脱いだ。すそが丸まったそれを蹴飛ばして余計な感触を払う。
指先で想像する真瀬の肌触り。彼女の白い肌を裂くように奔る、不自然に盛り上がった赤黒い稜線。あの傷は一体どのような手触りがするのだろう。
白い肌に刻まれた縫い跡に触れたとき彼女はどんな表情をするのだろう。彼女の跡を転写するかのようにゆっくりと、しかし丁寧に指を滑らせた。
自分の荒い呼吸音が鼓膜を打つ。左手はTシャツのすそをまくり上げ、海路の腹部をあらわにする。そのまま右手は腰のくびれ、腰骨の張り出したあたりまで来た。大事故の名残。赤く、広い範囲に盛り上がった独特の光沢を放つケロイド。思い浮かべた真瀬のそれを、海路は愛撫をするかのように自らの腰を弄った。不意に背骨に電流が走り、身体が弓なりに強張る。熱い息が漏れる。真瀬の赤く艶のある膨らみをその指先で想像しながらくすぐるように往復させた。
噛み殺したうめき声が部屋の壁に跳ね返る。それは妄想の中の真瀬か、自らの体に指を這わせている海路自身の声なのか。
やがて真瀬の傷をなぞっていた右手は腰を越え背中へと到達した。しかし、無理やりに右手で右の背中に触れようとして腕の関節が悲鳴を上げた。その痛みがなぜか気持ちいいと感じてしまう。
海路は左手で自らの体を抱きしめるようにしながら、背中の右側――真瀬の背中に刻まれた傷のあたり――に、深く爪を立てた。まるで剥製をつくる職人がナイフで皮を裂き、綿を詰めるように。ゆっくりと、しかし確実に、深く。
思いの外深く刺さったそれは痛いはずなのに海路に快感を与え、小さな悲鳴を上げさせていた。
――桜庭さんは、もっと痛かったんだろうな。
爪が緩やかに下へ下へと降りていく。海路の肌を傷つけながら、真瀬の傷を少しでも再現しようとするかのように。あるいは、剥製にする動物の、開いた皮を縫い合わせるかのように。
そして――脳裏の真瀬が微笑んだ。海路の心臓を跳ねさせたあの、陰りを浮かべて。
視界が明滅する。下腹部が熱くなる。熱が快楽の波となって体中を駆け巡る。
食いしばった歯から鋭い息を吐く。自らの体を掻き抱く。真瀬の長袖の下の、縫合痕。右の二の腕にあるそこに海路は己が歯を突き立てた。鋭い痛みが閃光となって脳髄を貫いた。
吐息とも悲鳴ともつかない声を必死に押し殺す。小刻みな震えが止まらない。頭に霞がかかったようにぼうっとしていた。
小さな荒い息遣いが部屋にこだまする。いつの間にか全身をぬらしていた汗が湯気のように鼻腔をくすぐった。海路は呆然として自らの体を弄っていた指先を見つめた。
「触っても、いないのに……」
絶頂の余韻に浸る。肩が呼吸のたびに上下する。口端から濡れた感触がこぼれる。いつの間にか枕には唾液が小さな輪郭を作っていた。
得も知れぬ罪悪感。それは真瀬という少女を自慰行為に使ったからか、それとも彼女の傷跡に欲情していたからか。
そして、はたと、海路は気づく。
「桜庭さんのこと……好きなのか」
罪悪感の正体は好きな相手を快楽のためだけに妄想でも消費したこと。しかも、相手が隠したがっているコンプレックスをネタにして。
右手で目を覆う。何も言葉が出なかった。さまざまな感情が海路の中で暴れ回る。
真瀬の事故に負けじとする強い心。尊敬に値する。海路だったら学校に来ることさえできないかもしれない。きっと自分の境遇を嘆き、恨み、ああも温かい微笑みを誰かに向けることなんてできやしない。
しかし、海路の欲情を刺激するのはそんな彼女でも隠しきれない陰だ。ふとしたときに漏れる彼女の本音。癒える事のない心の傷。消える事の無い、肢体に刻まれた事故の痕跡への恨み。それを海路にだけ見せてくれるとき、海路の脳裏に真瀬の傷跡を浮かばせ、何とも例えることのできない怖気が背筋を伝うのだ。
――ああ、最低だ。自分にだけ向けてくれるあの顔は、信頼の証しでもあるというのに。
だけどもその信頼が、永遠に残るだろう彼女の傷を想起させるのだ。
胸中の罪悪感はいつしか背徳感へとすりかわっていた。海路の体内の芯に熱がこもる。海路は再び真瀬の身体に記された大小様々な痕跡を思い浮かべようとして――そのすべてを一度棚上げせざるを得なくなった。
「あ……」
下腹部に感じる違和感。ぬるりという、濡れた、冷たい感触。
「……やってしまった」
下着を汚してしまった事を自覚し、制御不能な生理的反応に暗いため息をついた。脱ぎ散らかしたスウェットを履き直し、脱衣場へと向かう。そして、頭を振って誰にともなく呟いた。
「明日、どんな顔して会えばいいんだ……」
◇
「灰谷さん、一緒に食べよ」
昨日の夜の記憶がまだ海路の体に残っている中、真瀬はそう言ってチェックの巾着袋を掲げながら海路の席へとやってきた。小さな弁当箱の重みで揺れるそれは、ぎこちなさの残る真瀬の足取りに連動していた。
いつからか、海路と真瀬は二人で昼食を取ることが習慣となっていた。いつも笑顔で誰とも愛想よく接する真瀬だったが、海路といるときにはどこか安堵の色が濃く浮かんでいるように感じた。
「いいよ、桜庭さん。今机の上片付けるね」
海路は昨日覚えた罪悪感を噛み殺しながら、微笑みを返しつつ机の上に出ていた教科書や筆記具を物入れの奥へと押し込んだ。そしてかばんからコンビニで買ってきたサンドイッチが入ったレジ袋を取り出す。真瀬が近くにいるとどうしても昨日の夜を思い出し、一人勝手に意識してしまう。手がわずかに震えて薄いビニールが触れ合い、乾いた音を立てる。幸い、真瀬には気付かれていないようで、ほうと息をつく。
海路はサンドイッチの包みを開けながら、目の前に腰掛けた真瀬の脇腹を見やった。
――桜庭、脚から胸近くまでデカい傷があるんだってよ。顔だけは無事だってのが、逆にエグいよな。
男子同士たちが下卑た笑いでささやき合っていたのを思い出す。聞きたくもないのに聞こえてしまったくだらない噂話だ。
――だと言うのに、海路は真瀬の制服の下にある傷を思い浮かべずにはいられなかった。
そんな事考えちゃダメなのに。考えちゃ、ダメなのに。
自制しようとすればするほど目の前で弁当を頬張る少女の裸身を想像してしまう。その身に深く刻まれた醜くも美しい傷跡の数々を想起せずにはいられなかった。
この気持ちは真っ当じゃない。海路だって分かっていた。なのに、止められない。
表面上はにこやかに真瀬と会話を楽しみながら、そのくせ傷跡に欲情し、あげくの果てに彼女に恋をしているだなんてよく言えたものだ。海路は胸中で毒づいた。
「そう言えば、明日博物館の見学だよね。灰谷さん、博物館って行ったことある?」
博物館という言葉に、昨日の秘め事を連想しドキリとしてしまう。そしてすぐに明日が真瀬の言うように行事があることを思い出す。
「え、いや、小学生くらいの頃何かで行ったことがあったような」
突然の言葉に一瞬どもりながらも返す。
「私、実は二回目です。なんたって二年生二回目だしね!」
「いや、笑いにくいよそれ」
イタズラっぽく舌を出す真瀬に、苦笑いをして海路は言う。そんな事には構わず真瀬は続けた。
「明日は一緒に回ろう? 私が案内してあげる。何と言っても私――」
「二回目なんでしょ」
少しだけ呆れを乗せる海路に、真瀬は目を細めつつ喉を小さく鳴らし「その通り」とニコリと笑った。真瀬の顔に暗い色はなく、その事にわずかな不満を感じている自分に嫌気が差した。
そんな海路の内心に気づくことなど当然無く、真瀬は「フクロウの剥製がね、キレイで圧倒されるんだ」なんて笑顔のまま話し続けていた。
◇
博物館に入ると、埃っぽいような古い木材の臭いと微かに刺さる薬品臭が鼻の奥に届いた。
「ああ、来たことがある」
幼い記憶がわずかに顔をのぞかせる。あのときもそうだった。嗅ぎ慣れない異臭に、自分は何というところに来てしまったのだろうなんて思ったものだった。
館内は別に不衛生だったりはしない。むしろ清掃は行き届いているのだろう、目につくゴミや汚れは見当たらなかった。
ただ、長い年月を経た獣皮と防腐剤の臭いが、遠い過去を閉じ込めた止まった時間の臭いのように感じた。
――あのフクロウはどこにあっただろう。
小学生の頃、海路に大きな衝撃を与えた猛禽類の剥製。美しい死を保存した、人類の偉大なる芸術。海路は何よりあのフクロウに会いたいと思った。
「それじゃあ、どこから見に行きたい?」
真瀬が大仰に手を広げておどけて見せる。渡りに船と海路が言う。
「あ、フクロウの剥製が見たいな。桜庭さんもキレイだって言ってたし」
自分が観たいだけなのに、真瀬を理由にした自分にわずかな嫌悪を抱く。しかし、真瀬はそんな海路には気づくこともなく、
「この二回目の桜庭さんにお任せあれ」
なんて言って笑うのだ。
「だから笑いにくいって」
海路はやはり苦笑を浮かべ、先導する真瀬のあとについて行った。そのぎこちなく、引きずったように動く右足から目を離すことはできずにいながら。
――シロフクロウ。そう展示札に記されたその猛禽は翼を大きく広げ、ガラスケースに納められてなお、威風堂々とそこに居た。
薄暗い照明の中で、ガラス玉の瞳が虚空を睨む。それはまるで既に通り過ぎた過去を見つめているかのようだった。
「ね、すごくキレイでしょ。初めて見たときからなんか好きなんだよね。まるで、生きてた頃の一瞬を切り取ったみたい」
どうしてか真瀬が自慢気に言った。その声が海路の耳を通り過ぎようとしたところで「そうだね」となんとか生返事をすることに成功していた。
――生きていた頃の一瞬。
真瀬には展示品の感想以外に特別な意味はないのだろう。しかし海路には真瀬の傷跡がそれと等しいものに感じた。事故にあった一瞬。それが真瀬の肌に剥製のように展示されている。自分はそれを欲望を込めて鑑賞してしまっていた。
翼を広げたその全幅は真瀬の身長ほどもあろうか。展示札曰く、北極圏に棲むというこの種には黒や茶色の斑点を持つものも存在するとあるが、ここで死を保存されている一羽は混じり気など全く見当たらない。
その徹底した純白に、真瀬の肌を連想する。
――ああ。
思わず感嘆する。ここにあるのは死だ。生き物が一番美しい時に、その生を止め永遠に保存する。
「死んでもキレイなんだ」
初めてこのフクロウを見たとき呟いた言葉だ。思えばこれが海路の原点だったのだろう。幼い時の記憶で今までほとんど思い出すことはなかったが、それは澱のように積もり積もって、今も魂の根底で消えてはいなかった。
だから、なのだろうか。海路が真瀬の傷跡に強く惹かれてしまったのは。剥製は死を永遠にする。真瀬の傷跡も永遠に消えない、彼女の肌に保存された不幸。海路は剥製と真瀬の傷を重ねて、同一視していたことを自覚する。
――最低だ。やはり、自分は最低だった。
好きな人の悲しむ顔を見て欲情する。およそ人として許されない感情。この思いを自分はどうしたら良いのだろう。どうしたら――、と胸の中でまとまりのない言葉が渦巻く。そのとき、フクロウのガラス玉の瞳が海路を射抜いた気がした。
「――そうだ、剥製にすればいいんだ」
その呟きは声になっていたか、海路自身もわかってはいなかった。無意識にこぼれたひと言。
剥製は死んだ生き物を美しいまま保存しておける。それなら、この自分の薄汚く決して許されない思いも殺して剥製にしてしまえばいいのだ。
真瀬を汚してしまった夜を思い出す。彼女の苦しむ顔を思い浮かべ、その身に刻まれた痕跡を想起し、自らを慰める。それが自分の恋だというのならそんな美しくないものは殺してしまおう。
――歪んだ恋心という内臓を掻き出し、綿の代わりに日常の思い出を詰め、その友情という傷跡が刻まれた肌に防腐処置をする。そうやっていつまでも腐らないよう大切に、ガラスケースの心の中で保管し、鑑賞しよう。
頬を伝う濡れた感触。それを真瀬に知られる前に制服の袖で拭う。
知らず、海路は手を握りしめていた。直立した膝のあたり、制服の吊りスカートのひだを、指先が白くなるまで強く。その細い指先で、柔らかな生地を無惨なまでにつぶしていた。
ふと、シロフクロウを閉じ込めたガラスケースに視線が止まる。
暗い展示室の照明が、本来透けるはずのそれを鏡に変えていた。そこに居るのはガラス細工のような目を一雫だけ濡らした少女。
真瀬と同じ制服を着た、開いた腹から醜い恋心を捨て、瞳からこぼれた防腐剤を肌に染み渡らせた、海路の剥製。まるでこの美しいシロフクロウと一緒に展示されているかのような錯覚を覚えた。
「あれ? 灰谷さん、ちょっと泣いてる? そんなに感動した? それじゃ、次は恐竜の化石の展示を見に行かない? おっきくてすごいよー! きっとあっちも感動するよ!」
真瀬はそう言って海路の手を取り、引いた。海路は傾く体を制御しながら「うん、行こう」そう答え、シロフクロウの剥製をもう一度だけ見る。ガラス玉の瞳はもうどこも見ていなかった。
――この恋は、剥製にして、しまっておくべきだ。
永遠に。
この恋を殺して、剥製に 了
この恋を殺して、剥製に 無屁吉 @muhekichi
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