受付嬢は今日も完璧だった

蒼川睦弓(むゆ)

受付嬢は今日も完璧だった

 ここは、丸武商事。

 東京都内のオフィスビルの24階に事務所を構え、丸ごと1フロアを貸し切っている。

 1フロアの総面積は1万平方メートル。要はサッカーコート一個と三分の一。

 ……って、広すぎだろ。普通に。


 そう、丸武商事はとても巨大な、いや、もはやマンモス企業と言っても過言ではない会社だ。

 部署一覧は蜘蛛の巣の網目のように張り巡らされ、跨り、広がり、そして連なっている。


 そして、こんなマンモス企業ともなると、当然いる。

 受付嬢、という存在が。


 企業の顔として来客の訪問相手を確認し、電話をかけ、応接ブースに案内する。

 時には笑顔で会話をし、お土産だってもらうこともある、らしい。


 らしい、というのは、俺は実際に見たことがないからだ。

 同僚たちが「目撃した」と言っているだけなので、あくまで「らしい」。

 手土産だの、旅行の土産だのをちょこちょこと持ってくるのは、どうせいやらしい気持ちからに決まっている。


 お近づきになりたいだの、あわよくば食事に行きたいだの。

 そんな不埒なことを考えているに違いない。


 だが、受付嬢は社内の人間から見ても、当然のように高嶺の花だ。

 何せ、持ち物はすべてブランドバッグで固められ、常にいい匂いがしている。

 それだけで「私は高い女よ」と言われている気がして、勝手に気後れしてしまう。


 爪はいつ見てもキラキラしている。

 足は細いのに胸はでかく、尻のラインもやけに完成度が高い。

 何より顔が整っていて、とにかく美人だ。

 お人形さんみたいな大きな瞳に長いまつ毛、ぷっくりと膨らんだ唇。

 うふふ、と笑う甲高く鈴のような声。

 まさに、この世の嗜好品の芸術。


 はふ、とため息を漏らしながら、バインダーを片手に受付をこっそり覗き見る俺は、

 この丸武商事の総務部に所属している。


 こんな俺が、声なんか掛けられるはずがない。

 営業畑でバリバリ成績一位だとか、成績優秀者として表彰されただとか、

 十期連続目標達成だとか、そういう世界とは無縁だ。


 縁の下の力持ち、とはよく言ったものだが、

 何をやっても地味なのが総務である。


 郵便を仕分けなければ、契約書は迷子になり、請求書は机の底で眠る。

 それを未然に防いでいるのが、総務である俺の仕事だ。

 だが、そんなもの、営業トップという肩書の前では、

 アリンコみたいな、いや、ミジンコみたいなものでしかない。


 そう。

 誰も、気づかない。


 分かってる。

 分かってるんだ──!!


 だから、見ることぐらいはしたっていいだろう!?


 俺の憧れの受付嬢、

 甘瀬桜子(あませさくらこ)さん!!


 そう心の中で叫びながら、今日も俺は郵便物を処理すべく、

 そっと受付を後にしたのだった。


 この丸武商事の受付嬢は、実は三人いる。

 営業時間が長いこともあり、受付はシフト制だ。


 メンバーは、

 甘瀬桜子さん、

 桃谷綾乃さん、

 そして黒川蜜柑さん。


 甘瀬さんを筆頭に、三人が交代しながら受付を回している。

 それが、この会社の日常だ。


 一方、俺にはシフトなんてものはない。

 フルタイムで、馬車馬のように働いている。


 総務というだけで、部屋の電灯が切れたら呼ばれ

 (それはビルのメンテナンス会社にどうぞ)

 パソコンが動かなくなったら、とりあえず呼ばれ

 (それはIT部門にどうぞ)

 トイレのティッシュペーパーが無くなったら呼ばれ

 (それもビルの掃除のおばちゃんにどうぞ)


 ……暇してるとでも思われているのだろうか。


 それに、派手な営業部と違って、

 「商談に行ってきます」なんて言いながら、颯爽とスーツの裾を翻し、

 無駄に受付嬢へキメ顔を見せながらフロアを出ていく。

 そんな華やかな場面とも無縁だ。


 俺の楽しみといえば、

 日替わりランチのメニューが何かを考えることと、

 甘瀬桜子さんの髪留めが今日は何かを盗み見ることくらい。


 ちなみに今日は、エルメッスの髪留めだった。

 うん……5万円也。


 何とも、ささやかな幸せだと思わないか?


 だが。

 そんな、俺の、ささやかで小さすぎる幸せが、

 あっさりと崩れ去るなんて、誰が予想しただろうか──!!



「何か、また出たらしいな」

「──え、また? 怖いっすね」

「ねー」


 そんなふうにコソコソと言い合う社員たちの背中を眺めながら、

 俺は、今朝スマホで目にしたネットの記事を思い出していた。


 最近、この辺りで変な噂が広がっている。

 若い子じゃない。

 サラリーマンとか、そこそこいい歳をした大人を中心に、

 「危ない薬が蔓延している」という話だ。


 ……無理もない。


 新卒のボーナスが中堅より高い、なんていう、

 夢もなければ金もない、恐ろしい世界だ。

 そんな中で、

 「ふわっと楽に生きられるよ!」

 なんて囁かれたら、

 そっちに逃げたくなる気持ちだって、分からなくもない。


 だが。


 最近になって、その薬を扱っている売人が、

 次々と謎の襲撃に遭っている、という記事が出回り始めた。


 人気のない螺旋階段の下で、男が倒れているのが発見された。

 地面に例の薬をばら撒いたまま、呑気に眠っているかのようだったらしい。


 また別の日には、泥酔しているのかと思い、壁の前でしゃがみ込んでいる男に声をかけたところ、ポケットから、薬がごっそり出てきた――とか。


 どれも、警察が即座に動き、男はその場で逮捕され、連行されている。


 理由は分からない。

 なぜ、こんなことが続いているのか。


 ……いや。

 ありがたい話なのだ。


 もちろん、

 危ない薬は撲滅!

 悪の組織は滅びろ!

 悪・即・斬!


 その気持ちに、嘘はない。


 だが、それでも。

 ただただ、気味が悪かった。


 こんな偶然が、こんなにも何度も続くものなのだろうか、と。


 そんなことを考えながら、

 社長室へ郵便物を運ぼうと廊下を歩いていたら、

 桜子さんが、ちょうど受付から出てくるところだった。


 お花を摘みに行くのか。

 それとも、お化粧直しか。


 いや、どちらにせよ行き先は──お手洗いだろ!


 そんなプライベートな時間までついて行くわけがないだろ、俺のばか!

 ペシッと自分の頭を叩いた、その瞬間。

 桜子さんは、予想に反してフイと廊下を曲がっていった。


 ……そっちには、非常階段しかない。

 お手洗いは、ない。


 もしや。

 別のフロアの誰かと、秘密の逢瀬──?


 いやいや。

 実は専務とか社長とか、そういうお偉い方々との秘密の会合だったり──?


 コツコツとヒールを鳴らしながら、

 お尻をくねくね揺らして歩く桜子さんの背中を見て、

 俺は──静かに、後を追っていた。


 いや、違う。

 ちょっと気になっただけだ。

 ストーカー気質なわけじゃない。

 不純な動機でもない。


 ……いや、ほんのちょっとは、ある。


 総務という仕事をやっていると、自然と身につく技がある。


 それは、気配を消す術。

 秘儀・路傍の石。


 不正が行われる瞬間を押さえる仕事は、実は総務が一番得意だったりする。

 どこにいても不思議じゃないし、「呼ばれたので」という逃げ口上も使える。

 それが、総務という立場の強みでもあり特権だ。


 だから──


 桜子さんが、

 いつの間にか手にしていた

 グレーのジェラルミンケースには気づかなかった。


 静かに、けれど一定のリズムで

 コツコツとヒールを鳴らしながら、

 非常階段を上っていく。


 それを、音もなく追いかけることも、

 それほど難しいことではなかった。


 やがて、

 ガチャリ、と。

 屋上の扉が開き、外へ出ていく音がした。


(なるほど……

 屋上で密会、というわけか……)


 妙に納得しながら、

 屋上へ続く扉の前に張り付く。


 階下から誰かが上がってくる気配がないかを確認し、

 それから、そっと耳を扉にくっつけた。


 必死になって耳をダンボにし、

 神経を研ぎ澄ませて、音を拾おうとする。


 風の音。

 それに混じって――


 遠くのほうで、かすかに、男の声が聞こえた。


 ──やはり、桜子さんは誰かと会っている。

 ──相手は、一体誰だ。

 ──誰なんだ!!


 ここまで来ると、もはや野次馬根性だ。

 知りたくて、仕方がない。


 決して、ストーカー気質がそうさせているわけではない。

 桜子さんのことを全部知りたい、なんて考えは……ちょっぴり、あるが。


 大部分は、ただの好奇心だ。


 あの桜子さんのハートを仕留めたのは、一体どんな奴なのか。


 それが、どうしても気になった。


 音を立てないように、ドアノブを回し、ゆっくりと、それこそ1ミリ単位ずつぐらいの遅い動作で、ゆーーっくりとした動作で扉を開けていく。


 外からの風が階段に吹き込み、一気に音が鮮明になる。


「──あぁ、今なら行ける。」


 姿こそ見えないが、はっきりと低い声が耳に届いた。


「──頼んだ。」


 そっと扉から顔を出し、男と桜子さんが何をしているのか。

 歴史の目撃者になるつもりで身を乗り出したのだった。


 その時、ドンという衝撃音。

 一拍の空白後に、キン、と金属が転がる音。


 思わず目を見開いた先──

 きっと誰も、予想だにしなかったものが、そこにあったのだ。


 そこにいたのは──


 上半身裸のムキムキのゴリマッチョが、映画に出てきそうなでっかいライフルを持っていた。


 ……まぁ、そこまではいいだろう。

 良くはないが、まぁいいとしよう。



 問題なのは、男の腰だ。


 その男の腰のあたりに、何かがぺろぺろ〜っと風に靡いていたことだった。


 ──良く分からない?

 うん、俺にも良く分からない。


 だから、ありのままに目の前にある状況を説明するぞ。


 上半身裸で、

 ムッキムキのゴリマッチョが、

 映画に出てきそうなでっかいライフルを持っている。


 ここまではいいな?

 良くはないが、まぁ、いいとしよう。


 問題は下だ。


 その男の腰のあたりに、

 桜子さんの皮みたいなものが、

 ぺろぺろ〜っと風に靡いている。


 ……皮?


 待て。

 皮って、なんだ!?


 理解が追いつかない俺を置き去りに、ゴリマッチョはライフルを解体し始めた。

 豪快に、ガハガハと笑いながら。


 そして、その腰で揺れているのは――

 やっぱり、どう見ても。


 俺が毎朝受付で見ていた、

 あの完璧な笑顔の受付嬢。


 長いまつ毛。

 ぷっくりと膨らんだ唇。

 そして、大きな胸……。


 いや、違う。

 あれは、受付嬢だったもの、だ。


 こう、何と言えばいいのか。

 塩化ビニル。

 いや、もっと正確に言うなら――


 中身のない、ペロペロ感。


 言い方は最悪だが、ダッチワイフ的な、「入れ物だけ」感。


「……え?」


 思わず、声が漏れた。


 次の瞬間、ゴリマッチョが、こちらを振り向いた。


 桜子さんの皮を腰につけたまま。


「──やべ。見られちまったな」


 呑気な声だった。

 焦りは、微塵もない。


 焦っていない声ほど、恐ろしいものはない。

 つまり――

 何とでもなる、と思っている声だ。


「お前、何見た?」


「イ、イエ……ナニモ……」


 上擦った俺の声に、男はフン、と笑って近づいてくる。


 俺は先手を打った。


「忘れます!

 今見たものは全部忘れますし、

 口外もしません!

 日記にも書きません!

 誓います!」


「なるほど。取引か」


「そうです!

 取引です!

 俺は何も言いません!

 ですから、そちらも俺の存在を――」


「まぁなぁ。

 でも、人の口に戸は立てられねぇ、とも言うしなぁ……」


「誓います!

 誓いますからぁ!

 命だけは!

 命だけは〜!!」


 そう叫びながら、俺は反射的に土下座をしていた。

 命乞いだ。

 もう、なりふりなんぞ構っていられない。


 その頭のすぐそばに、コツ、と音がした。


 ……足?


 いや、違う。

 男の足じゃない。


 ヒールだ。


 恐る恐る顔を上げると、そこには男の顔がある。


 だが、視線を下げると――

 桜子さんの、綺麗な脚。


「……どゆこと?」


 思わず漏れた俺の疑問に、男はニコッと笑った。


「いい方法がある。叩けば、大概忘れる!」


 振りかぶる腕。


「物理はいやっ!

 物理はいやぁぁぁ!!!」


 ヒィン、と情けない声を漏らしながら頭を抱えた俺は、

 もう半分くらい、死を覚悟していた。


 何なら、走馬灯みたいなものも見えた。

 小さい頃に飼っていた子犬のコロが、

 庭をぐるぐる走り回っていた。


(ああ……俺も、もうすぐそっちに行くんだな……)


 だが。


 男の手が俺に届く、その直前――

 屋上の扉が、何の前触れもなく開いた。


 もはや、天の思し召しとしか思えない、

 グッドでナイスなタイミングだった。


 頭を抱えて蹲っていた俺は、ハッと顔を上げる。


 そこに立っていたのは、営業部のエース。

 上条茂だった。


「あれ……?もしかして、お邪魔だったかな?」


 爽やかな笑みを浮かべて屋上に入ってくる上条。

 ――見えないのか?

 男の腰で、ぴろぴろと靡く桜子さんの皮という、異様な光景が。


 ……そう思ったのも、束の間だった。


「違いますよぅ。ちょっと用事があって来ただけです」


 そう言って、そこに立っていたのは――

 いつもの、細身で、胸が大きくて、綺麗な受付嬢の桜子さんだった。


「上条さんは、どうされたんですか?」


「僕?一本、吸いにね」


「あー、ダメですよー。このビル、丸ごと禁煙です」


「知ってるよ。だから、こうして隠れて来たんじゃないか」


 ……会話しているのは、どう見ても、上条さんと桜子さん、二人だけ。


「……えっ。えっ……?」


 理解が、まるで追いつかない。


 さっきまでいた、あのゴリマッチョは――?


「それで?君は何をしに来たんだ?」


「佐々木さんには、荷物を持ってもらおうと思って」


「その割には、蹲ってたように見えたけど?」


「コンタクト、落としたらしくて探してたんです」


 次から次へと飛び出す、桜子さんの嘘。


 ……いや、嘘、なのか?

 もはや、どこまでが嘘なのかすら分からない。


 今だ。

 今こそ、上条に助けを――


「……上条」


 そう声をかけかけた、その瞬間。

 上条から見えない角度で、桜子さんが、にっこり笑いながら、

 中指を立てていた。


「──ヒッ……!!」


「佐々木さん、それ、運んでもらえます?

 重くて大変だったんで〜」


「は、はい……!」


 指差されたジェラルミンケースを持ち上げる。

 ……重い。

 冗談じゃなく、重い。


(え?でも、さっき……

 これ、軽々持って階段上ってなかった……?)


 訳が分からないまま、俺はケースを半ば引きずるようにして、屋上を後にした。


 そして扉が閉まると──。

 

「詳しい話は、また、ゆっくりしましょう。

 今夜十九時。場所は、また連絡しますね♡」


 そう言って、ジェラルミンケースを軽々と持ち直す桜子さん。


 あんな細い腕の、どこにそんな力があるのか。

 そして――

 あんなゴリマッチョが、どうして、こんな体になれるのか。


 謎と、いい匂いだけを残して、

 桜子さんは、コツコツとヒールの音を響かせながら、階段を降りていった。


 そして、屋上に残されたのは――


「ふぅん……やっぱり、ここから狙ったのか」


 双眼鏡を覗き込みながら、路上に倒れた売人を確認する、上条の姿だった。


 その光景を、

 俺は――見ていない。


 見ていない、ことになっている。


「全て夢でありますように!

 全て夢でありますように!!」


 おしまい。

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