『社内起業家(イントラプレナー)は二度死ぬ ―44歳、窓際からの逆襲―』

H川

第1話:甦る死体(リビング・デッド)

俺の名前はH川。

44歳。 役職、なし。部下、なし。

貯金、なし。友達、なし。学歴、なし。

そして先月、妻も家から出て行った。

残ったのは二匹の飾り気のない亀だけ。


俺の勤務先は若者の街、渋谷。

エネルギーとダウナーな空気が入り交じる新宿とも池袋とも違う街。

今の俺の席は、オフィスの端。

コピー機が近くて便利だが、うるさいし紙が詰まったら一緒に直さないといけないポジション。

そのせいか事務のおばさんとは親しくさせてもらっている。

おかげで経費処理で戸惑ったことはない。

彼女はたまに、給湯室でこっそりと俺にだけ「黒砂糖」をくれる。

「H川さん、これ舐めて元気出しなさいよ。脳に糖分、大事よ」 

その黒糖の甘さと、彼女の情け容赦ない優しさが、疲れた脳髄に染み渡る。


かつて「窓際」と呼ばれたその場所は、フリーアドレス制という名のオブラートに包まれ、今は「島流しの場所」となっている。


たまに今の上司に話しかけられることがあるとすれば、部会議のコピーだと!?

そして「君はコピー機の扱いは超一流だからなあ笑

コピー機と話せるんじゃないのか!?あぁ!?次の転職先候補が決まってよかったじゃないか(笑)」

俺はローキックからのストレートのコンビネーションのかわりに、笑顔で原稿を受け取り指定された位置にホッチキス止めをする。

「ちっ、また詰まりやがった。」

通常だと一時間はかかるコピー機の対応も、H川の手にかかればものの4~5分だ。

ゼロッ○スの保守点検係のやつにコツを教えたこともある。

後輩からは「H川さんの数少ない取り柄ですね!」だと!?

ムカついてビンタしようかと思ったが、彼は俺よりも役職が上なので、作り笑顔で

「ありがとうございます!」

と応えるしかなかった。


メールの受信ボックスに未読メールの山は、誰もやりたがらない「権利関係がぐちゃぐちゃな物件」の資料や、事業化はかなり厳しいけど誠意を見せるための案件ばかり。

同僚たちは陰で俺をこう呼ぶ。

『開発部のどぶさらい』と。


俺は、生きながら死んでいる。

昨日も今日も。たぶん明日も明後日も。

同じような日々が続いていくのだろう。


生物学的には生きているが、ただ酸素を吸って二酸化炭素を出しているだけの肉人形だ。そして、組織人としてはとっくの昔に死体(ゾンビ)になっていた。


2. 10年前の光


「俺ならできる」 そう信じて、この大手デベロッパー系の不動産仲介会社の門を叩いたのは、もう10年前のことだ。


前職は分譲マンションの管理会社。

毎日浴びせられる理不尽なクレーム。

管理人の態度が悪い!

そうですか。

業者がタバコを吸ってるぞ!

そうですか。。。知るか!

果てしないサービス残業。

10年前の新築当時の話をされても、よくわからないのが本音で、俺に言われてもなと思っていた。

一旦家に帰って午前2時に出社とか本当に意味がわからなかった。

俺は全てを投げ出して、そこから逃げ出したのだ。

「不動産仲介の営業なら、俺の人生を変えられる。年収だって倍になるはず!!」

こんな動機が転職理由だとは言いづらくて、あらたな自分の可能性にチャレンジしたいといった、それらしい理由にすげかえていた。


だが、現実は甘くなかった。

あの爽やかなCMからは1ミリも想像がつかない実態。

そこは「見て覚えろ」が当たり前の弱肉強食のサバンナだった。

当たり前だ。誰もライバルに懇切丁寧に仕事を教えたりはしない。

新卒じゃないんだろ?有給休暇?

権利を主張する前に義務を果たそうぜ。

数字は人格。


毎日10回以上言われる。

1日5回のミーティングは果たして意味はあったのだろうか。


不器用な俺はうまく狩りができなかった。

営業成績は常に低空飛行。入社以来3年間、一度たりとも予算を達成できないまま俺は「使えない中途社員」のレッテルを貼られた。


3. 束の間の夢と、官僚の壁


鬱々と過ごす日々の中で転機はあった。

いつもはさらっとしか読んでいない社内報。

営業成績が優秀なキラキラした奴らがピックアップされてたり、偉い人の日常や一問一答とか、一応知っておかないと何かあった時に気まずい思いをしてしまう情報誌。


その社内報で見つけた「開発部門・用地仕入れマン募集」の文字。

初めて有益な情報を得ることができた。

「これだ! ここなら一発逆転できる!」

俺は秒速で応募した。


面接してくれた部長に後日、なぜ俺を採ってくれたか聞いたところ、部長は厳かな雰囲気でこう言った。

「他に誰からも応募がなかったからだ」

と、まるで俺以外に応募者がいたら、俺のことは選んでなかったと言わんばかりではないか。


「冗談だよ」と言ってくれるまで黙って待っていたが、特にフォローの言葉もなかったので、少しだけしょんぼりしてしまった。

ムカついたので、焼酎水割りをうんと濃くしてやった。

部長は一口飲んでから

「H川、お前飲め!」となり

ブーメラン現象として手元に戻ってきた。

さすがに濃すぎたな。反省。


前途多難だったが、当初は全員で8人くらいの小さな組織であった。

最初はうまくいった。

まだまだ認知されていない組織と事業内容であったため、泥臭く説明して回るような足で稼ぐ根性プレイなら得意だった。

二年、三年とどんどん組織が拡大していく高揚感。

まるで自分も成長しているかのような錯覚。

俺は初めて「会社に必要とされている」と感じた。

はっきり言って幸せの絶頂期だった。

生きててよかった。本当によかった。


だが、それも長くは続かなかった。 部署が大きくなるにつれ、そこは「官僚組織」へと変貌していった。

求められるのは、土地を見る目ではなく、社内の人付き合い。特に上司の顔色を見る目。

必要なのは、情熱ではなく、社内調整という名の根回しと気配り。


人付き合いが致命的に下手な俺は、次第にレールから外れていった。

同期が部長になり、後輩が課長になっていく中、俺だけが取り残された。


帰宅後、大好きなグラノーラを食べながら、亀吉と亀子に話しかける日々、

「どうしようかな、、他に行くとこないしな」

二匹の亀はコンコンとガラスの水槽を叩く。


「次生まれ変わったら俺も亀になりたいな。

なんとかしないと、なんとか、、、」

亀たちは無言でH川を見上げている。

そんなのどうでもいいからエサくれと言わんばかりに。


4. 残り火


気がつけば、44歳。

手元に残ったのは、離婚届の控えと、使わなかった大量の資料の山脈。

(……俺の人生、ここで終わりか?)

内省を繰り返す。

YouTubeで「40歳からの人生の巻き返し方」とか「まだまだ成長できる40歳!」を朝から晩まで丸暗記する勢いで視聴する。


一方でYouTubeや自己啓発書には会社、仕事だけが人生じゃない。

「やりたいことをやりなさい!」

でた!魔法の言葉だ!

その後に「やりたいことをやった後の責任は取らないからね」を付け加えるべきだといつも思う。


頑張らなくていい系のYouTuberもコンテンツも出てきて、どっちが正解かもよくわからなくなっている。

事務のおばさんはこんな俺でも応援してくれている。


窓の外、東京の空は今日も曇っている。

コンクリートジャングルは無機質で、なんの癒しにもならない。

だが、不思議だ。

これだけ打ちのめされて、ゴミ扱いされてはしっこに追いやられても、今もなお俺の胸の奥底には、小さな残り火がくすぶっていた。


「今に見てろよコノヤロウ」という厄介で、暑苦しいコントロールできない情熱と執念が。


(……まだだ。まだ、こんなところで終わってたまるか)


その時、俺の不埒な視界の端に、一枚の社内ポスターが飛び込んできた。

『新規事業提案制度 "Dream" 募集開始』


その文字が、俺にはこのどうにもならない、完全に詰んでいる現状の全てを破壊する魔法「メガデス」に見えた。

ここここここ

これなんじゃない?

俺の人生一発逆転の希望を託せるものは!

(第一話終わり)


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2026年1月16日 08:00
2026年1月17日 08:00

『社内起業家(イントラプレナー)は二度死ぬ ―44歳、窓際からの逆襲―』 H川 @hkawa

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