【お題フェス11】ガルネリを捨てた青年【手】

音雪香林

第1話 【お題フェス11】ガルネリを捨てた青年【手】

 遠くの空がうっすらと橙色に輝き始めた薄寒い早朝に、ガルネリを捨てた。


 防音壁に囲まれた部屋での練習に息が詰まったころに足を運んでいた、なじみの公園のベンチに置いてきたのだ。


 家路をたどる足は重い。

 今すぐにでも引き返してガルネリを胸に抱きしめたかった。

 けれど……耳にこびりつく声がある。


「演奏するガルネリはあんなに深く響く情熱的な音色なのに、あなた本人はまるでマネキンみたいに無機質だなんて詐欺よ。もっと素敵な恋ができると信じてたのに」


 ……学生の頃は、ガルネリのおかげで高く評価されるのが誇らしかった。


 それが今は、ガルネリのせいで身の丈以上の期待をされ、結果として相手をガッカリさせてしまう事実に打ちのめされている。


 苦しい。


 なによりも大切だったガルネリがだんだん重くなり、自分を押しつぶそうとする化け物のように思えて……ついに捨ててしまった。


 足元の影がだんだんと濃くなり、はっきりとした輪郭を描き始める。

 朝日が本格的にのぼって来たのだ。


 ああ、世界はこんなに輝いているというのに、僕は……。

 嘆きながらも足を引きずって家へ帰り、放るように靴を脱いだ。


 よろよろと歩を進めて、寝室のベッドにダイブする。


 数日後にスポンサーの催す晩餐会でガルネリを弾く予定で、今日はリハーサルがあるのだけれど……もう僕には関係のない話だ。


 全部……全部捨ててしまおう。

 ガルネリも、僕の人生も。



 ***



 暗い、狭い、苦しい、抜け出したい。

 ここは何処だろう。


 不安にとらわれ息もできない。

 喉をヒューヒューさせていると、身体を揺り動かされた。


 最初は優しく、だんだんと乱暴に。

 僕の意識が上昇していく。


 もうすぐ覚醒するというタイミングで、大きな声で「起きろ!」と叫ばれてパチッと目が開く。


 ドアップの髭面親父は……僕のスポンサーだった。


「起きたか。ついさっき、公園のベンチに置き去りのヴァイオリンを見つけたと連絡があってな。写真も送られてきた。間違いなくお前のガルネリだ。どういうことか説明してもらおう」


 スポンサーは理性的に話そうとしているが、静かな口調ながら怒りがにじんでいる。


「そ……れは……」


 僕は説明するために文章を組み立てようとするが、思考がまとまらない。

 沈黙が落ちる。

 スポンサーはふぅとため息をついた。


「どうせフラれたことから悲観的になってるんだろう。それはそれでまあいい。だが、ガルネリを手放したらお前は後悔する。後悔するお前は見たくない。ほら、いくぞ」


 スポンサーは僕の手首を握って玄関へと引きずっていく。


 僕は、昔アメフトの選手だったという分厚い体のスポンサーに力で勝てるはずもなく、彼の高級車に押し込まれた。



 ***



 公園に着いてからもスポンサーに手首を掴まれ、引きずられるように歩く。


 視界に人間も動物も植物も入ってこないようにと拒むように、僕はかたくなに下を向いていた。


「ああ、みなさんでヴァイオリンを守ってくれていたのですね! ありがとうございます」


 スポンサーが心からの謝辞を述べている。

 僕は『みなさん?』と疑問を持ち、思わず顔をあげた。


 目に入ってきたのは、大勢の赤白帽子をかぶった園児たちと、その先生らしき女性だった。


「ほら、お前もお礼を言いなさい」


 横から重低音で注意してくるスポンサーは、スポンサーというより小学校の先生のようだ。


 僕はというと、彼に逆らい無言を貫く。

 まるで反抗期の男子生徒だ。


 重い沈黙に名も知らぬ幼稚園の先生がハラハラしている。

 申し訳ないとは感じる。


 けれど、僕自身にもどうしようもないんだ。

 どうしたらいいか、まったくわからないんだ。


 そんなとき、園児のひとりが。


「おにーちゃん、お礼よりもいつもこの公園で弾いてる曲を聞かせてよ! あの音好きなんだ~。やわらかくて、あったかくて、たくさんの人に頭をなでてもらってるような感じになるの!」


 ぷくぷくの両手で、やっぱりぷくぷくのほっぺを包み、うっとりした表情でおねだりしてくる。


 いつも公園で弾いている曲、それは「無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲」だ。


 ゲオルク・フィリップ・テレマンという18世紀のドイツの作曲家が書いた作品である。


 彼の曲は親しみやすさと豊かな旋律美が特徴で、当時はバッハよりも人気があったといわれている。


 幼稚園児の心さえつかむガルネリの音色とテレマンの旋律美、おそるべし。

 園児は僕を目が合うとニコーッと微笑んでくれた。


 すると、とたんに荒んでいた心が癒される心地がした。

 僕はハッとする。


 園児の微笑から僕への「好意」が伝わってきたからこそ、癒されたんだ。


 僕はこの園児のように相手へ気持ちを伝えるような表情や言葉を心がけたことがあっただろうか。


「そうだ……弾くことでしか価値が示せない……感情を伝えられない……捨てるべきはガルネリじゃない……努力もしないで『わかってもらいたい』なんて願う身勝手さだ」


 胸が締め付けられる。

 泣きたいような痛みが走った。


 しかし泣いている場合ではない。

 僕に気付きをくれた園児のために、最高の演奏をしよう。


 僕はスポンサーの手を振り払い、おおまたでベンチに近寄って……ガルネリを手に取った。


 顎と鎖骨の間にガルネリをはさみ、右手にもった弓で弦をはじくようにしてコンディションを確かめる。


 ガルネリの状態に問題はない。

 僕は深呼吸の後「無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲」を弾き始めた。


 目を閉じ視界を遮断して音色を紡ぐことだけに集中する。

 聴くのが園児だからとわざとわかりやすく弾くなんてことはしない。


 全力の演奏をささげる。

 それが僕ができる一番のお礼だ。


 曲がいよいよ最後に向かっていくとき、ぱらぱらと小雨が降り始めた。


 小雨に気付いてしまった僕は、集中力が足りないともっともっと深く意識を音色に持っていく。


 弓を動かし続け、やがて最後の一音が奏でられる。

 静寂が満ちた。


 反応がないことを恐れはしなかった。

 余韻を味わっているのだと確信していたから。


 証拠に数秒後、ワッと歓声があがった。

 万雷の拍手に包まれ、僕は顎と鎖骨の間からガルネリを解放する。


 全力を出し切った僕は脱力してしまった。

 そんな僕からスポンサーがひったくるようにしてガルネリを取り上げて。


「雨脚が強くなってきた。早く戻ってガルネリの手入れをしなくては!」


 と近くに止めてあった高級車に向かう。

 僕も脱力してふらふらしながら後に続いた、が。


 曲をリクエストした園児が僕の右手を掴んでひきとめてきた。


「ウィスキーボンボンのおにーちゃん、またね!」

「ウィスキーボンボンのおにーちゃん?」


 はて、僕は特にウィスキーボンボンは好きではないし、出演したコマーシャルにもチョコレートはなかったはずだ。


 園児は続ける。


「おとーさんが、おにーちゃんはウィスキーボンボンみたいにチョコの中にあつい情熱を隠してるんだって。きっとチョコレートを溶かしてくれる人だけ見せる特別な顔があるはずだーって!」


 園児はそういって「ふふふっ」と笑った。

 僕は「チョコレートを溶かしてくれる人……」と反芻する。


 そうか、僕をフッたあの娘はチョコレートを溶かしてくれる人じゃなかったんだ。


 僕の中に情熱がないのではなくて、引き出してくれる運命の人と巡り会っていないだけなんだ。


 いや、もしかしたらガルネリこそがその「運命」の正体なのかもしれない。


 なんて考えていると、園児が「じゃあね。頑張ってね。おにーちゃん!」と右手を一回きゅっと強めに握ってから放した。


 我に返った僕は「うん、じゃあね」と返して高級車へ向かい、振り返る。

 園児は手を振ってくれていた。


 バイバイではなく頑張ってねの意味だと自然に理解する。

 僕は僕なりの精一杯の笑みを返し、スポンサーの待つ高級車に乗り込んだ。


 僕は座席に身体を埋めると、そっと右手に視線をやった。


「こどもの手ってあったかいんだな」


 しばらく見つめた後、ゆっくりと顔をあげる。


「ガルネリには悪いことしたな」


 自分の未熟をガルネリのせいにしていたのだ。

 ガルネリにしたら憤懣ふんまんやるかたないだろう。

 許してくれるかどうかはわからないが。


「これからもよろしく」


 と、ささやいた。

 許してくれてなかったとしても、道具である以上自力で出奔はできない。


 ガルネリを握り、弾き続けることで信頼を積み上げていくつもりだ。

 捨てるなどという暴挙は二度とすまい。


 ガルネリはただの道具ではなく、寄り添ってくれる相棒なのだから。




 おわり


読了ありがとうございました。

今作は以下の作品と対となっております。

 ↓

【お題フェス11】捨てられたガルネリ【手】

https://kakuyomu.jp/works/822139843193225796

お時間がありましたら対の方も読んでくださると嬉しいです。

では、また。

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【お題フェス11】ガルネリを捨てた青年【手】 音雪香林 @yukinokaori

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