乙女部の終末《ラグナロク》

東間 澄

第一幕「世界は完成している」

第一幕:マチネ「完成」

梓北しほく女子高等学校の演劇部は、一つの「王国」だった。


窓から差し込む初夏の光が、埃一つないフローリングに鋭い矩形を描いている。

その光の境界線を、開智かいち理央りおは寸分の狂いもなく踏み越えた。


黒いセーラー服。糊のきいた白いスカーフ。

胸元には、あずさを模った校章が、定規で測ったような角度で留まっている。


「おはよう。抜き稽古、始めようか」


理央が声を放つと、部室の空気が一変した。

談笑していた部員たちが一斉に背筋を伸ばし、理央の方を向く。

それは敬意というよりは、磁石に引き寄せられる砂鉄のような、あるいは神託を待つ信徒のような、純然たる反射だった。


「…やっぱり、理央様が来ると空気が締まるね」


誰かが小さく、溜息混じりに囁いた。

理央の耳はその声を拾いながらも、表情を変えない。


彼女はこの世界を「理解」していた。

誰が自分を慕い、誰が自分を恐れ、誰がどの角度で自分を仰ぎ見れば最も美しい絵になるか。


この「乙女部」において、理央は演出家であり、主演男役であり、そして、信仰の対象だった。



「おはよ〜理央、今日もきっちりしてるね。スカーフ、首が絞まりそうなくらいカ・ン・ペ・キ!」


ふわりと、秩序を乱す風が吹いた。

小鳥遊たかなしサラだ。


彼女だけは、理央の結界を軽々と踏み越えてくる。

サラの長い髪は校則の境界線上にある明るい茶色で、スカーフはわざとらしく少しだけ緩められている。


「…小鳥遊、準備して。今日は第三場、王子の独白から」

「はいはい、了解。理央様の隣に立つ『道化』の準備、ちゃーんとできてるよん」


サラが不敵に笑う。

彼女の手元には、妙に膨らんだカラフルなファーのペンケース。

中には筆記用具ではない、得体の知れない「ノイズ」が詰まっていることを理央は知っている。


稽古が始まる。  

理央が舞台の中央に立てば、そこはもはや築四十年の校舎の一部ではない。

北欧の凍てつく大地か、あるいは神々の住まう黄金の館か。


理央が演じるのは、いずれ全てを統べる若き王子。


その凛とした声が、少女たちの鼓動を支配していく。


彼女たちの瞳には、熱い羨望が宿っている。


この閉鎖された女子高という箱庭の中で、理央は完璧な「秩序」だった。


ここには男の低い声も、外界の騒音も届かない。

ただ、理央という神が統べる、純粋培養された美しさだけがある。



一週間後、他校との合同公演があった。

市民ホールの通用口で、歩く理央の横を他校の生徒たちが通り過ぎた。


「…見た? 梓北女子の演劇部。あれ、もはや部活じゃないよね」

「わかる。“乙女部”だっけ? なんかすごかった、宗教みたいでちょっと引くかも」


忍び笑いの声が遠ざかる。


理央は足を止めなかった。

むしろ、その言葉を最高の賛辞として受け取り、わずかに口角を上げる。


理央はその青みがかった漆黒の短髪を耳にかけた。


——宗教、ね。結構じゃない。


私がこの世界の神である限り、この美しさは永遠に完成されている。

卒業という「終末」が来るその日まで、一糸乱れぬこの舞台を守り抜く。


それが、理央が自身の「普通の青春」を代償に得た、絶対的な知恵だった。


いつの間にか理央の背後にいたサラが、スマホをいじりながら小さく呟く。


「…ねえ理央。宗教ってさ、外側に信者がいなくなったら、ただの『ごっこ遊び』になっちゃうんだよ?」


理央は振り返らなかった。


まだ、世界はどこも壊れていない。

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乙女部の終末《ラグナロク》 東間 澄 @azuma_sumi

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