土足厳禁

ネコタ斑猫

土足厳禁

 「……その概念は、あなた方が信じている神が否定しているものなのではないのですか? 」

 三回。たった三回しか会ったことのない相手に対する発言ではないことは承知していた。しかしながら相手の非礼に我慢ならなかった私はとうとうそんな言葉をその穏やかそうな男性に向かって吐いてしまっていた。

 初めて顔を合わせたのは地元の立ち飲みだった。彼は人の為に労を惜しまない英語に堪能なクリスチャンとして私の前に現れた。たまたま酒場に立ち寄った英語話者の女性に私がつたなくメニューを説明していた時、海外在住歴が長かったという彼が立ち寄り助けてくれたのだ。会話の途中で以前彼が女性の現住所と近しいところに住んでいたことまで判明し盛り上がった。丁度クリスマス前で、彼は女性を熱心に教会に誘っていた。

  「……クリスマスに家族と離れているのは寂しいでしょう。よかったら私が通っている教会にクリスマスの日だけでもいらっしゃいませんか。」

 彼女がその誘いに応じたかは知らない。しかし、柔らかい物腰と丁寧な口調から、私は彼を好もしい人物だと認識した。

 二回目は別の酒場で。しかしお互い話し相手がいたので目礼程度で会話はしなかった。

 そして三回目の今日。


 まだ通い始めて日の浅い酒場で、マスターともまだ親しいと言えるほどの間柄ではなかった。だからどんな会話が客とマスターの間でなされようと関わるつもりはなかった。

 しかし彼は、他の客とマスターとの会話でマスターが性同一性障碍であることを知り、目を輝かせた。

  「僕はね、一度性同一性障害の人にお会いしたかったんですよ。いやぁ、よかった。」

 マスターは長年カウンターの向こう側に立ってきた人間らしい、儀礼的な、しかし相手の意図を測りかねている表情で

  「そうなんですか」

 と答えた。

  「僕はね、前々から性同一性障害には前世が関係しているんじゃないかと思っていたんだ。それを確認したくてね。」

 (何を。

 何を言いだすか、このおっさんは)

 私は愕然と内心で独り言ちた。これまで育て方が原因だの性格或いは性嗜好の問題だの的外れな議論で当事者を長く苦しめてきた性同一性障害が、ようやく器質的な問題と医学的に定義され適切な対応が確立されつつある今このときに。


 (前世だとう??? )


 そんな私の胸糞悪い惑いをよそに、彼は滔々と語りだした。

  「あなたはつまり体は女性だということでしょう?……僕は性同一性障害っていうのは前世が男性だった魂が女性の体に入ってしまったことによって起こっているんじゃないかと考えているんですよ。」

 (その切り口はとうの昔に手塚治虫がリボンの騎士で通過しているぞ! )

 苛立ちとともに内心で突っ込む。しかし本当に問題にすべきは当事者の所感である。私はマスターの顔をそっと見やった。マスターは笑って

  「面白い意見ですね」

 と言った。

 否定も肯定もしないマスターに業を煮やしたのか、彼は重ねて

  「どう思います? そうじゃないと説明が付かないでしょう? あなた自身、性同一性障害のあなたは、自分の魂が男性だと感じたことはない? 」

  「魂、ですか……? 」

 流石に少しばかり困惑した様子だった。私は科学的な見解を提示することでこの話題を散らすべくやむなく会話に参入した。

  「今は胎児の時の母親からの性ホルモンの分泌量が脳の発達に影響した結果身体の性に違和感を持つケースがあると言われていますね」

 これに対しマスターは

  「ああ、私はそっちの方がわかりますね。ホルモンの作用という方が何となくわかります」

 ほっとした表情で答えた。しかし彼は言い募った。

  「いや、違うね。だっておかしいじゃない。自分の性に違和感を持つなんて。体の性と魂の性が違うとしか考えられない」

 (おかしいのは貴様だァァァ! )

 つるりとした表情のまま私は内心で瞬発的に彼の後頭部をひっぱたいていた。しかし一方でそれすらしたくないというのが本音であった。正直関わりたくない。頑迷が伝染りそうだ。


 (どうする、これは思ったより根深いぞ)

 

 おそらく彼に科学的なことを説いても意味はない。彼は異なる視座を持っているからだ。そうはいっても私はここで去るわけにはいかない。いや、別に去ったっていい。何食わぬ顔で食事を済ませ、それじゃマスターまた来週と言って帰ったって誰も困らない。それができないのは、単純に私の生き方の問題だ。

 性自認、性嗜好を含む、性に関わる問題は、とても繊細なものだ。誰であっても、誰のものであっても、土足で立ち入るべきではない領域だ。

 私の目の前で誰かにとっての大切な領域が侵害されている。それを黙って見過ごしたら。


 (私が、私ではなくなってしまう。)


 葛藤している間にも彼の不躾は続いていた。別の客が主人が海外在住していた頃の話を振ったが、そこでも彼は執拗に

  「海外でそんな危ないことしちゃだめだよ。女の子なんだから」

 と頻りに言い、また性同一性障害と知ったその瞬間から、マスターのことを彼女と呼ぶことをやめようとしなかった。


 (ああ、ダメだ。この男性は、性同一性障害の人にすべきではないことを全てやり、そしてそれがすべきではないということを全く知らない。この男性は性同一性障害の人に会いたかったと言いながらこれまで何も知ろうとしてこなかったのだ。そして科学的な視座も持たない。これに、この人間に、一体何を話せば、そのような対応が不適切であるということを伝えられるだろうか)


 懊悩した挙句、私は等々口を開いた。

  「……その概念……輪廻転生というものは、あなた方が信じている神が否定しているものなのではないのですか? 」

 彼は、驚いたような、それとも訝しがっているような、空虚な表情でこちらを見返した。


 (わかった。君がクリスチャンならクリスチャンのテーブルについてやる。君たちの神様のフィールドでお話をしてやろうじゃぁないか。)


  「どういう意味です? 」

  「キリスト教の教義では魂は確かに存在する。しかしキリスト教では魂は死んだあと煉獄にあり、最後の審判の際に肉体を得て甦り天国または地獄に振り分けられる。そのためにカトリックでは長く土葬が主流だった。最後の審判のときに戻る肉体がないと困るから肉体を遺さないわけにはいかなかったんだ。

 つまりキリスト教において魂は輪廻転生しない。

 では輪廻転生とは何に由来するか。

 輪廻転生は仏教の、さらに遡るならヒンドゥー教の概念だ。

 あなたが今仰っている、性同一性障害は輪廻転生の際に発生する魂の性と肉体の性のマッチングミスに拠るという考え方は、あなたの宗教の考え方じゃない。

 そのような考え方を持つことは、あなた方の神に背くことになのではないのですか? 」

 彼は暫時黙った。

  「……いや、輪廻転生はある。僕自身が、アメリカでネイティブ・インディアンに会ったときに、僕がこの土地の住人の生まれ変わりだと言われた」

 彼が自覚しているのかは測りかねたが、論理は更に破綻した。まるで古くなった網のようだ。触れるまでもなく自壊してゆく。

  「……なるほど。そのような御体験をなさったのはとても貴重なことだと思います。しかしながらあなた自身は敬虔なカトリック教徒でいらっしゃるでしょう。その上でもう一度お伺いします。

 あなたが信じておられる宗教の教義と、輪廻転生という概念は、相いれないものなのではないのですか?

 あなた方の、きわめて嫉妬深い神は、あなたが輪廻転生という異教徒の概念を信じることを、お赦しになるのですか? 」


 彼は黙った。


 私は彼が彼自身の中に内包している驚くべき整合性のなさにいっそ感心していた。


 私は人間というものは生きていく過程で新しいものに出会いそのたびに己の中に組み込んで整合性を図っていくものだと思っていた。

 それが人間であり、それが成長であると思っていた。

 彼は行く先々で拾い上げた概念をばらばらのまま袋に放り込んで整理整頓せずに生きて、気持ち悪くならないのか?

 そういえば、彼が最初に見せた英語話者の女性に対する教会への誘いも、必要以上に執拗だったのではないか?

 彼の他者に対する行為は実のところ相手への配慮からではなく、自分の持ち合わせている有効そうな道具を反射的に適用しているというだけなのではないか?

 だから彼は、相手から提案を遠慮されても、他の提案に切り替えることをせず、むしろこのような自明的に最適な提案を拒否する相手こそが心外だと言いたげに振る舞うのではないか?

 

 結局その後彼が性同一性障害の話題に戻ることはなかった。


 私は、彼が、彼自身の神に背かないために、二度と人の繊細な領域に不躾に踏み込まないことを願った。


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