死んだ目の同胞へ

編纂ミネストローネ

森の異端児

 たぬきにとって、世界は、退屈なほど「柔らかい音」で満ちていた。


 湿った土を踏む足音。

 腐葉土が崩れる鈍い音。

 兄弟たちがじゃれ合い、互いの毛皮を噛む時に鳴る、くぐもった摩擦音。


 そのどれもが、たぬきの興味を惹かない。

 輪郭がぼやけていて、あいまいで、眠たくなってしまうからだ。


 だからたぬきは、兄弟たちが遊びに夢中になっている隙に、いつも巣穴を抜け出した。

 鼻を頼りに、苔むした獣道から外れ、何者かが切り開いた開けた場所人間たちの「キャンプ跡」へと足を向ける。


 そこに、運命の出会いがあった。


 草むらの中に、不自然なほど滑らかな『銀色の石ア〇ヒ・スーパード〇イ』が転がっていた。


 自然界には存在しない、完全な円筒形。

 太陽の光を鋭く反射するその物体に、たぬきは吸い寄せられるように近づいた。


 鼻先で、そっと触れた。

 ひやりとした冷たさが、鼻の頭から背骨へと駆け抜けた。


 ――カコン。


 触れた瞬間、それは聞いたこともない声を上げた。

 硬く、高く、どこまでも澄んだ音。

 水滴が落ちる音よりも鋭く、氷が割れる音よりも伸びやかだ。


「……ッキュ」


 たぬきは驚愕のあまり、喉の奥で変な音を漏らして、右前足を上げたまま固まった。

 目は限界まで見開かれ、呼吸すら止まる。


 動けない。

 これはたぬきの悪い癖だ。驚きが許容量を超えると、身体が石のように動かなくなる。いわゆる『石化たぬきはもうおしまいです』だ。


 けれど、たぬきの心はもっと聞きたいという衝動でいっぱいになっていた。


 石化が解けるのを待って、たぬきはもう一度、爪先で『銀色の石ア〇ヒ・スーパード〇イ』を弾いた。


 ――カコン。


 ああ、たまらない。

 森の音はすべてが湿っているのに、こいつだけが乾いている。

 偶然吹き込んだ風が、銀色の石の空洞を通り抜け、「ヒュオオ」と低い唸り声を上げた。


 歌っている。

 この石は、歌うんだ。


 たぬきは夢中になって、その『歌う石ア〇ヒ・スーパード〇イ』を転がし始めた。

 地面の小石にぶつかるたび、カラン、コロンと軽快なリズムが生まれる。それはたぬきだけの音楽だった。


「グルルッ!」


 突然、背後から低い唸り声が響いた。

 ビクリと振り返ると、母さんが鬼の形相で立っていた。


「ピギッ……!」


 たぬきはその瞬間、右前足を上げたまま『石化たぬきはもうおしまいです』した。


 母さんはたぬきの首根っこを容赦なく咥えると、そのままズルズルと巣穴の方へ引きずっていく。

 遠ざかる『銀色の石ア〇ヒ・スーパード〇イ』。

 たぬきは必死に短い手足でくうをかしかしと掻いたが、母の咥える力には敵わない。


 森の奥へ連れ戻されながら、たぬきの耳には、あの「カコン」という冷たくて硬い音が、いつまでも焼き付いて離れなかった。

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