見えてしまう君の穢れ
譲羽唯月
第1話 見えない心の扉
朝の通学路はいつものように騒がしかった。イヤホンから流れる淡いメロディに耳を預け、足音を刻む。なのに今日もまた、後頭部にねっとりとした視線が絡みついてくる。
「……しつこいな」
佑多は小さく言葉をはき捨てて振り返る。
案の定、そこに人影はない。ただ、空気が微妙に歪み、胃の底がざわつくような不快感だけが残った。
佐倉家は代々、目に見えぬ穢れを祓うことを生業としてきた。祖父の代から続く古いしきたりだ。
佑多は三兄妹の真ん中。長兄の
「どうして俺なんだよ……」
校門をくぐりながら、佑多は深い溜息をはいた。
今日という日もまた、平穏とは程遠い予感しかしなかった。
二年三組の教室に入った瞬間、背筋に冷たいものが走った。見間違いではなかったのだ。
一番後ろの窓際の席。昨日からクラスに加わった転入生の少女である
その周囲を、黒く細長い無数の“触手”が這い回っていた。数百とも千ともつかぬそれらは、まるで生き物のように蠢き、ゆっくりと空気を掻き回している。
しかし、クラスメイトたちは何も気づいていない。誰かが笑い、誰かがスマホを鳴らし、日常の喧騒が響き合う。
その中心で、摩耶だけが深い静寂に閉じ込められているように見えた。
黒髪は陽光を透かして艶やかに輝き、紫がかった瞳はどこかこの世のものとは思えない儚さを持っていたのだ。
クラスではすでに“近寄りがたい”とか“暗い”と陰口が飛び交い始めていた。
実際、話しかけられても彼女は小さく首を振るか頷くだけで、言葉をほとんど返さない。
そして最悪なことに彼女の席は、佑多のすぐ隣だった。
俺……殺さなきゃいけないのか。
佐倉家の家訓は、冷徹なまでにシンプルだ。
『悪霊に憑かれた者は、必ず排除せよ。憑かれる器にこそ、穢れを呼び込む原因がある』
これまで何度も似た光景を見てきた。
けれど佑多には、どうしても最後の一線を越える覚悟が持てなかった。
いつも結局、兄の怜司に丸投げしてきた。
今回は……俺が、きちんとケリをつけるしかないか……
授業中、休み時間、視線は自然と左隣席の摩耶へと引き寄せられた。
彼女を覆う黒い触手たちは、時折ゆらゆらと波打ち、まるで周囲の感情を味わうように蠢いていた。
放課後。摩耶は誰からの誘いも静かに拒み、足早に教室を後にした。
残った数人が、遠巻きに毒をはき出す。
「マジでムカつくんだけど、あの子」
「転校生のくせに何様?」
「自分だけ特別ぶってる感じで、根暗でキモいし」
佑多は唇を強く噛んだ。何も言えなかった。家訓で、一般人に能力のことは決して口にしてはならないのだ。
佑多鞄を掴み、衝動的に教室を出て行った彼女の背中を追った。
夕暮れの住宅街。人影がまばらな道を、摩耶の細い背中が揺れている。少し距離を置いて尾行していると、突然、彼女が立ち止まった。
そしてゆっくりと振り返ったのだ。
二人は誰もいない道端で向き合う。
「……ずっと、ついてきてるよね」
静かで、透き通った声。佑多は一瞬、言葉を失った。
「いや、その……違うっていうか」
「最初から、わかってたわ。私が“おかしい”ってこと」
紫の瞳は、どこか遠くの景色を映しているようだった。
「この触手……全部、感じてるの。人の心が、全部聞こえてくるし。私、嫌われるのが怖くて。裏切られるのも怖くて。だから、誰も近づかなければ、誰も傷つかないって……そう思ったの。だからいつも人と距離を置いてるの」
声が、かすかに震えていた。
「君は、私を消しに来たんでしょう? だったら、もう……好きにしてもいいわ」
佑多の胸が、鋭く締め付けられた。
「待ってくれ。そんな簡単に決めつけるなよ」
「私、もう疲れたの。ここで終わっても、誰も困らないと思うし。私、友達なんていないから」
一筋の涙が、彼女の白い頬を滑り落ちた。その瞬間、佑多の中で何かが弾けた。
「……俺だって、同じだよ」
ぽつりと零れる。
「うちの家系、めちゃくちゃ特殊でさ。小さい頃から“見えてる”ってだけで、周りから変な目で見られてきたんだ。まともな友達とかもできたことないし。だから……霧島さんの気持ちは痛いほどわかるよ」
摩耶の瞳が、わずかに揺れた。
「俺、本当は……こんなことをしたくない。誰かを消すなんて絶対に嫌なんだ」
「……でも、君の家は」
「わかってる。だからこそ、俺がなんとかするって決めた」
佑多は一歩踏み出し、ゆっくりと右手を差し出した。
「俺の力で、その触手を抑えられる。完全に消すんじゃなくて、暴走しないように封じる。それなら……君は、普通に生きていけるはずだ」
摩耶の瞳が、大きく揺れた。
「そんなことしたら、君が……すごく苦しむんじゃない?」
「いいよ。それくらい、俺にだってできる。昔から、変な修行ばっかりさせられてたし」
自嘲気味に笑って、続ける。
「家には、適当に“処理した”って報告しとく。それでいいだろ?」
長い沈黙が流れたあと、摩耶は小さく頷いた。
「……本当に、それでいいの?」
恐る恐る、彼女の細い指が佑多の手を握り返す。
「ああ、大丈夫だ」
佑多が力を解放した瞬間、無数の黒い触手が一斉に震え、ゆっくりと縮こまっていった。掌から淡い光が溢れ、摩耶の周囲を優しく包み込む。彼女の頬を、もう一度涙が伝った。
でも今度は、絶望だけの涙ではなかった。
「私……本当は、誰かと一緒にいたかった」
彼女は小さな呟く。
「俺もだよ。ずっと一人でいるのは寂しいからね」
佑多は柔らかく微笑んだ。
二人は並んで歩き出した。
夕陽がアスファルトを茜色に染め、長い影を二つ並べて伸ばしていく。
摩耶の周りにあった触手たちは、今は静かに眠るように収まっていた。
――けれど。道端の路地の奥、薄闇に溶け込むようにして、とある視線が二人を捉えていた。無数の黒い腕が、蠢きながら。ゆっくりと、獲物を品定めするように。
見えてしまう君の穢れ 譲羽唯月 @UitukiSiranui
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