魔女の幸福は二度目から

古宮九時

前編

 鉄格子の嵌まった窓からは、小さな城の前庭が見えていた。

 そこには既に見物人たちが集まっている。国中の人が、というほどの人数ではない。むしろ閑散とした様子だ。このまばらさこそが、街の人間たちの関心の薄さを象徴しているようで、ネネファの心は冷える。彼女は、一人一人の表情に目を凝らそうとしている自分に気づくとかぶりを振った。

 ちょうどそこで、扉が叩かれる。


「お時間です」


 迎えに来た少年をネネファは胸を衝かれる思いで見上げる。


「グリュ……あなたが来たのですね」

「魔女の連行は皆嫌がりましたから」


 そうなのだろうとネネファは思う。けれど他でもない彼に言われるのは心が痛かった。

 彼女は無言で両手を体の前に差し出す。少年はその手に木枷を嵌めた。そこに彫られた魔法脈は彼が込めたものだろう。樹形図のように広がって彫られている魔法脈の無駄のなさに、ネネファはこんな時だというのに少し見惚れた。


「腕を上げましたね」


 思わず口にしたのはただの本音だ。けれどグリュは顔を顰める。


「九年も教わればこれくらいはできます。師である貴女には届きませんでしたが」

「あなたは充分に――」


 そこでネネファは口を噤んだ。

 今となっては彼女に拾われ育てられていたことなど、グリュにとっては汚点に過ぎないだろう。

 何故ならネネファ・イニは今日、「穢れた魔女」として処刑されるのだから。



 生まれながらに魔力を多く持っている人間が、世の中には存在する。

 人数は決して多くない。大抵は子供のうちに眠るように死んでしまうからだ。

 古くは「神々に引かれた」とも「魂が沈んでしまった」とも言われる子供たちの死は当たり前の悲劇で、けれどほんのわずか生き残る者たちもいる。

 ネネファ・イニはその一人だ。一人で、その中でも特筆されるほど強かった。

 ――小さな田舎町を、数年で一つの国にしてしまえるほどに。

 城の前庭に作られた処刑台。そこに引き出されたネネファは裸足だ。建物を出る時に靴を脱がされ目隠しをされた。

 弟子であった少年に後ろから肩を押されて彼女はそろそろと進む。


「そこです。膝をついてください」


 言われた通り両膝をつくと、上体を押されて処刑台の上に首を差し出す形になった。

 体がどうしようもなく震える。涙が滲む。けれどそれを見る人間は誰もいない。


「急げ、もうザタン軍がそこまで来ている」


 厳しい声もネネファの知る人間のものだ。この国の王位を継ぐ予定の青年。ネネファの幼馴染で、よき友人だった。元は小さな町から始まった国とあって、中枢にいる全員を彼女は知っている。兵士も、町の人も、みんな。

 その皆が今は、彼女の死を望んでいる。広場は水を打ったように静まり返っている。


「何か言い残すことはありますか」


 グリュに囁かれ、ネネファは息を止める。

 ――大好きだった。この国の人々も、あなたも、みんなも。本当に。

 でもそんな言葉は口にできない。穢れた魔女の吐く最期の言葉など呪いでしかないのだから。


「何も……何もありません」


 それでいい。ネネファは唇を固く結んで首を垂れる。

 十七年、少し長く生き過ぎた。

 本当はもっと穏やかな暮らしがしてみたかったけど、自分にしかできないことは多くて、誰かの役に立てることが嬉しくて、そればかりに夢中になってしまった。

 日々の仕事に追われて、親しい人たちと共に国中を駆けずり回って。


 皆が驚いて、喜んでくれる顔が嬉しかったから。

 できることがどんどん増えていくのが楽しかったから。

 知り合った人たちとどんどん親しくなれて期待した。彼らの憂いを取り払えれば居場所が得られた。そうすれば……愛してもらえる気がした。

 結局は、こんな終わりになったのだけれど。


「魔女ネネファ・イニを、ここに処刑する」


 宣告に、彼女は自分の思考を閉じる。

 離れた場所で、微かに誰かの嗚咽が聞こえる。

 それだけが彼女の受け取れた愛で――直後彼女の首には研がれた刃が振り下ろされた。


 暁闇の魔女ネネファ・イニはこうして死に、彼女を巡る戦争は回避された。



                 ※



 落ちていく。

 落ちていく落ちていく。どこまでも地の底へ。

 体から零れ落ちた己を深い底から呼ぶ声がある。

 その声に引かれてネネファは沈む。沈んで眠りにつく。


 小さな家に生まれて早くに両親を亡くしたことも。

 幼くして魔女を名乗り、人々の困りごとを解消して回るようになったことも。

 思い出は全て温かく、ほろ苦い。

 手は常にあかぎれだらけで、いつもお腹をすかせていた。

 それ以上に、人との繋がりが欲しかった。


 だから周囲に少しずつ人が集まり、町が大きくなっていく様を見るのは好きだった。困難は尽きなかったが、手を尽くした分だけ返ってきている実感があった。

 嵐の日には家々を回って守りを授け、竜巻に見舞われた時には必死で空気の壁を張って流し、路地裏でかつての自分を思わせる孤児を拾って育てて、彼と家族のような師弟となり、王家の成立に立ち会って幼馴染に「俺が王子なんて柄じゃない」と苦笑された。


 皆を愛していた。だから自分よりも国を選んだのだ。全てを滅ぼして逃げてしまうこともできたけれど、できなかった。

 そんな思い出を夢の中で反芻しながら沈む。沈んでいく。

 深い底に、辿りつくまで。


「――っ!」


 目を開けた時、思わず叫び出しそうになった。

 寝台の上に跳ね起きたネネファは、破裂しそうな胸を手で押さえる。

 そして気づいた。


「あ、れ? 生きてる?」


 首を押さえるも繋がっている。確かに首を斬られたと思ったのにだ。

 その瞬間に絶命したので斬られた自覚があるかと言ったら曖昧だが、うっすらと死んでいた時の記憶はある。どこまでも地の底に引かれて沈んでいくような感覚。「呼ばれている」と思うあれが、死者の世界なのだろう。そしてそれは決して短い時間ではなかった。

 だが緩慢に沈んでいく最中、ネネファは何かにぐいと引っ張り上げられる衝撃で飛び起きたのだ。あれはなんだったのか。

 そしてもう一つ――


「体が……小さい?」


 押さえた胸が薄い。それだけでなく手足も。

 十七歳のネネファの体ではない。もっと小さな……五、六歳くらいだろうか。

 ――鏡を見たい。

 彼女は広い部屋を見回す。そこは初めて見る豪奢な部屋だ。ネネファが十人以上寝転がってもまだ余りそうな寝台は柔らかく、天蓋から紗布が垂れ下がっている。

 透けて見えるその先には美しい調度品がそろう上品な部屋だ。


「ここは……」

「失礼します」


 女性の声にびくりと身を竦めているうちに、気配が近づく。

 紗布を手で避けて顔を覗かせた女性は、ネネファと目が合って固まった。


「お、お嬢様! 目をお覚ましになったんですか!」


 そこからは、ただひたすら目まぐるしかった。


                 ※


 広い庭園には見たことのない花が咲き誇っている。

 庭師たちが遠くで草を焼いているのを視界の端に見ながら、ネネファは甘いお茶を飲んでいた。

 白いテーブルを挟んで愛しげな眼で見つめてくるのは彼女の母親だ。


「メルセヴィーナ、元気になって本当によかったわ」

「ありがとうございます……お、おかあさま」


 その呼び方はまだ落ち着かない。自分が何者か自覚した今でもだ。

 メルセヴィーナ・ザユゴはこの屋敷に住む幼い伯爵令嬢で、今年六歳。

 今いる国は、ネネファが暮らした小さな国からは遠い、ずっと遠い大国だ。

 暁闇の魔女ネネファ・イニが処刑されてから既に九年が経っており、世界は平和そのものだ。とてもあの時重大な情勢危機に陥りかけていたとは思えないほど凪いでいる。

 つまるところネネファは、死んでから三年後にメルセヴィーナとして新しく生を受けたのだ。そして本来ならば思い出さないはずの記憶を、高熱を出して寝こんだ際に思い出してしまった。

 誰かのためにと己の身を削って生きて、そして何も残らなかった十七年間の記憶を。


「どうしたの? そんなに不安そうな顔をして。まだ具合が悪い?」

「いいえ! あの……ごめんなさい」


 その記憶があまりにも強烈過ぎて、メルセヴィーナとしての記憶がやや曖昧になってしまったことに胸が痛む。目の前の女性が確かに自分の母親であることも分かっているし、彼女の膝上で絵本を読んでもらった記憶もあるのに、どうしても態度がぎこちなくなってしまう。

 けれどネネファは、うつむきそうな自分に気づくと両手をテーブルの下で握りしめた。


「おかあさま……わたし、がんばりますから」


 もっと違う暮らしがしてみたかったと前世の自分は思っていたのだ。

 ならこれはチャンスだ。そう考えた方がいい。

 幸か不幸か魔力はこの体でも引き継いでおり、できることは多い。おまけにここは森羅の魔女を擁している国だ。上手く魔力を抑えて使えば、自分の存在に気づかれず魔法脈を張ることもできるだろう。


「あら、何を頑張るのかしら、メルセヴィーナ」


 無意識のうちに首を押さえる。まだ大丈夫だ。まだ。


「わたしは――」


 わっと庭師たちの悲鳴が上がる。燃やしていた草が急な風に煽られ舞い上がったのだ。

 炎を纏った草があちこちに広がり、他の葉々に触れて燃え広がろうとする。

 気づいた伯爵夫人が立ち上がり、けれどネネファはそちらを見ることさえしなかった。

 テーブルの下で右手を開き、握る。

 一瞬だけ手のひらに浮かび上がった魔法脈。青く光る線が繋がっている場所は、この屋敷の敷地内全てだ。


「閉じよ」


 燃え広がりかけていた炎全てがすっと消える。

 まるで見えない掌の中に握りこまれたかのように。

 見る人間が見れば恐ろしい力の介在があったと分かる業を一瞬でやってのけたネネファは、ぎこちなく微笑む。


「わたしは、みなさんの役に立ちたいのです」


 今度は穏やかな日々を過ごせるように。

 今度こそ……誰か一人にでも愛してもらえるように。


 幼い娘のそんな願いに、伯爵夫人は目を丸くすると形の良い指を顔の前に一本立てる。


「素敵ね。でも、誰の役に立たなくてもあなたの価値が損なわれることはありませんからね。愛しているわ、メルセヴィーナ」

「……え」


 前の世で、欲しくて欲しくて、でも手に入らなかったもの。

 当たり前のような愛情を差し出された魔女は大きな目を瞠る。


「あら、どうしたの、メルヴィ。何か悲しかった?」


 驚く母親が立ち上がって伸ばしてくる手を見ながら、魔女はぽろぽろと涙を零す。

 もう一度生まれることができた、そのことをようやく幸運だと思いながら。


 

 こうしてネネファ・イニは幼いメルセヴィーナとなって二度目の生を始める。

 彼女は未だ知らない。

 かつての知己の一人が、世界中から追われていることを。

 知らないままの方が、きっとよかったのだ。

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