悪魔の居場所で
隼ファルコン
第1話 悪魔の出る森
これはとある森に棲む、恐ろしい悪魔の噂。
その悪魔は人を喰う。
ゆっくりと骨を砕き、血を啜り、鳴き声を
この噂は一人の冒険者が発端だった。深く霧が立ち込めていた夜の森。そこで彼は、一つの影を見た。
曰く、後に悪魔といわれるその悪魔は異様な姿をしていたそうだ。
顔よりも大きな角をはやし、頭部を覆い隠すほどの禍々しさ。
影に入れば、その角だけが浮かび上がり、獲物を探す灯のように揺れるという。
そして尻尾。
先端が槍のようにとがった、血を求める刃。
逃げる者の背をやすやすと貫き、抵抗する者の喉を裂く。
その一突きで、村が一つ沈黙した――そんな話まである。
実際に彼を見たものは少ない。いや、あるいはいないかもしれない。
見たという証言は増えるのに、見た者の顔は誰も覚えていなかった。
だが人々は悪魔という実体するかもわからないそれに恐怖し、夜も眠れないそうだ。
悪魔は理由なく襲うのだ。
悪魔は慈悲を知らないのだ。
悪魔は、悪魔なのだから。
恐怖により噂は脚色を増し、やがて恐怖は完成する。
「そんな現状に、我々は反旗をあげなければならない」
傭兵団のリーダーであるアリオは、静かに机を叩く。そしてこの場に集まった計十四名の傭兵、冒険者。その多くが剣に手を置き、誰もがうなずく準備をしていた。
アリオは彼らを一瞥すると一泊の間を置きもう一度口を開く。
「今やこの村に住む人々は、恐怖により夜も寝付けず、不安な日々を送っている。だが誰もが恐怖により行動を起こすことさえままならない今こそ、我々傭兵、並びに旅人の皆が力を合わせるべき時ではないのか」
アリオの演説が始まる。
「立ち上がれ皆の衆!!私はここに、「緊急悪魔討伐チーム」の結成を呼び掛ける!!私と一緒に、この暗闇を打破しよう!!」
演説が終わると同時に、先ほどまで静まり返っていた場が熱狂へと変わる。
アリオに呼応するように声は連鎖的に膨れ上がり、結束を示す。
ただ一人の少女を除いて。
「…………」
――腹が減った。胃が、情けなく鳴きそうだ。
俺は頭の中で小さくその言葉を反芻させる。
切実に。
だが何より、ヴォルフェンが腹を減らしているだろう、という確信があった。
「ったく……
俺は木の根を蹴りながら、ぶつぶつと文句を垂れた。
食料を集めるのは俺だってのに、なんで俺がアイツの気遣いなんかしなきゃなんねぇんだって話。
自分だって空腹だ。だがヴォルフェンの空腹は、放っておくと”機嫌”に直結する。
あれはなかなか恐ろしい。怒った狼牙人は、本当に手が付けられない。
……いや、正確には、あいつが無理をするのが目に見えてるからだ。
まぁ本物に比べれば些細な話なのだろうが。
俺は一度ざっと周囲を見渡す。
森の中は静かだった。
静かすぎるくらいだと思うほどだ。だからこそ、集中できる。
「さてと、本題に移りますか」
俺は枝になった木のみを一つ、二つ、三つ。拾っては観察し匂いを嗅ぎ、怪しければ投げ捨てていく。
「これは……腹壊すやつ。却下だな。
こっちは……ちっ、毒。論外。
……あ、これはいけるな。たぶん」
半分は経験則。そしてもう半分は直感だが、無駄な知識にこだわるよりよっぽどいいだろう。
拾った木の実やらキノコを袋に放り込む。すると自然と尻尾が揺れ動き始める。
噂では槍のように鋭く、逃げる者の背をやすやすと貫き喉を裂くだの言われてるらしいが、実際はそんな大したものじゃない。
自分で制御はできないわ、勝手に周囲の岩とか気に当たって痛いわでほんとさんざんである。
これで村を一つ沈黙させたとか、笑わせる。せいぜい俺が泣くくらいだ。
「だから、痛いって……おい、ちょ動くな俺の尻尾。
お前が勝手に動くと、地味に痛ぇんだよ」
尻尾に対して苦言を呈す。もちろん返答はない。ただの独り言だ。
尻尾に限らず、この無駄にでかい角も邪魔なだけだ。
「悪魔とか言われてるけど、ちっ、人間はすぐ憶測で勝手に話しやがる。見た瞬間逃げやがってよ」
巷で俺は悪魔だのなんだの言われて恐れられているようだが、知ったことではない。
大してよく見てもいないのに、勝手に化け物にされる。そんなの、好きになれるわけがない。ほんと人間ってクソだな。
そもそも角だの尻尾は俺の種族的に普通のことだっつーの。
「……っと、随分遠いとこまで来たな。十分集まったし、そろそろ戻るか」
俺は食料を無造作に入れた袋の中身を確認すると、ヴォルフェンが休んでいる場所に戻ろうとする。
その時だった。
先ほどまでの肌を撫でるような優しい風が、風向きが変わった。
風が運んできたのは、鉄の匂い。
そして、汗と革と、人間の臭い。それも大勢。
「……は?」
次の瞬間、森がざわめいた。
規則正しい足音。抑えきれない緊張。
そして無数の色。
激しく燃え上がるような赤。
灯篭のようにゆらゆらと揺らめく青。
そして一瞬だけ姿を見せる緑。
薄暗く濁った黄色。
そして不敵に微笑む紫が、ちらほらと。
「ちっ……こんな時に」
反射的に木の陰へ身を滑らせる。
袋を抱え、尻尾を引きずりながら、全力で。
――ただの食料調達だってのに……ほんと人間はタイミングが悪いなぁ!?
マジでクソだ。クソ生命代表だろ!?
俺は脳内で誰も聞いていない愚痴を叫びながら走る。
だが背後から、声が上がる。
「特徴的な角に尻尾……見つけたぞ!!」
「だぁ!!マジで役に立たねぇなこのくそオブジェクト!!」
俺は声を大にして自らの頭部と腰についたそれに愚痴をこぼしながら逃走を図る。
枝を蹴り、根を踏み越え、俺は森を駆ける。
背後では人間どもの足音が増え、声が重なり、色が騒がしく渦を巻いていた。
――やばい、やばい、普通にやばい。
逃げ足にはそこそこ自信がある。力がない分、これだけは磨いてきた。
なのに。
「……?」
気配が、ひとつ増えた。
背後ではない。横だ。
視線をやるより先に、足音が聞こえる。
軽い。だが速い。まるで風のようだ。
俺と同じ速度で、呼吸すら乱れていない。
「…………は?」
思わず声が漏れた。
並んで走っていたのは、一人の少女だった。
人間だ。どう見ても。
小柄で、華奢で、武器を構えている様子もない。
それなのに、まるで散歩の延長みたいな顔で、俺の隣を走っている。
「ちょ、お前……!!」
続きの言葉を言いかけて、言葉が止まる。
一瞬、それでいて鮮烈な、色が見えた。
――黒。
それも、ただの黒じゃない。
底が抜けたような、崩れかけの色。
今にも砕けそうで、放っておけば壊れてしまいそうな、そんな色。
「…………」
脳が、完全に止まった。それと同時に足元もゆっくりと勢いを失う。
赤もない。
青もない。
恐怖も、怒りも、覚悟も見えない。
あるのは黒。それと――ほんの、ほんのわずかに混じる、別の色。
緑、紫、藍。
「……おい」
気づいたときには、俺は声をかけていた。
「なんで、お前……逃げねぇんだ?」
少女は一瞬小首をかしげると、事もなさげに淡々と答える。
「走ってるよ」
「そういう意味じゃねぇ」
思わず声が荒れそうになるのをぐっと堪える。
後ろから聞こえる怒号が、それを裏付ける。
「俺は”悪魔”だぞ!?
凶悪! 残虐! 今まさにおたくらが総力を挙げて追ってる化け物なんだぞ?」
「知ってる」
即答だった。
だから余計に、わからなくなる。
「……じゃあ、なんで」
一瞬、少女の視線がこちらを向く。
その瞳は、驚くほど静かだった。
「興味が、あったから」
彼女の色に一瞬、ほんの一瞬、赤が灯る。それを見て俺は、身の毛がよだつ。
「興味って?」
それ以上足を踏み入れることが危険だと分かっていても、俺は聞かざるを得なかった。
「あなたなら……私が”死んでもいい理由を教えてくれる”と思ったから」
「そんなのあるわけねぇだろ」
俺は荒げた息を整えるよりも先にそう返した。すると少女は眉をひそめる。
「そう……」
何を考えているのか分からないが、これだけは分かる。
俺の言葉一つで、彼女は簡単に壊れてしまう。
「でも、少し安心した」
「安心だ?」
「あなたは、私を見てくれてる」
少女は小さく、そしてほんのわずかににこりと微笑む。
図星だった。
俺は、無意識に彼女を見続けていた。理解できない色を、真意を理解しようとして。
「……悪いな。癖なもんで」
「気にしてない」
すると少女はゆっくりと俺を凝視する。
「それよりもあなた、本当にあの悪魔なの?」
俺はその問いに首をかしげる。俺からしたら否定も肯定もできない質問だ。
名付けたのは、そっちだろう。
「だって、噂と全然違うから」
「……はぁ、ま、だろうな。
噂ほど凶暴でもなけりゃ、凶悪じゃないだろ?」
「うん。それに、力も弱い」
「そいつぁ余計だな!!」
そもそもの話、俺を渦巻くその噂とやらは、俺を一目見た人間が勝手に広めたものだ。
対して話してもなければ、襲ったわけでもない。
俺は人間が嫌いだが、嫌いなものにはそもそも関わりたくないタイプだ。
人間ってやつは、特に当てはまる。
「なんだか、拍子抜け」
「悪かったな」
「ううん。安心した。あなたが悪者だったら、私はあなたを倒さなきゃいけなかった」
そう言って、少女は再び前を向く。
「そんなことより、このままだと追いつかれちゃう。
それは問題でしょ?」
「……面倒なことに、まぁな」
図星過ぎて辛い。
だからこそ、ここで強がっても、後ろの人間どもに捕まるだけだ。
それは避けなきゃいけない。俺のためにも、彼女のためにも。
「逃げ道はある?」
俺が選択を決めかねていると少女が口を開く。
「……まぁ、あるにはある」
俺とヴォルフェン以外知らない、森の奥。
そこは人間が嫌う、獣道よりさらに外れた俺たちだけの秘密の道だ。
もちろん、第三者に話したのなんてこれが初めてだ。
「じゃあ、案内して」
「……は?なんで?」
「実は私は、あなたを殺しに来た。もっと言えば後ろの傭兵団の人の仲間。
でも今は、あなたを殺す気がないから」
淡々とした声。
感情の色が、全く分からない。こんな体験も、初めてだった。
「理由は?」
「分からない」
正直すぎて、少し笑いそうになる。
「……はぁ、変な人間だな、お前」
「よく言われる」
一拍の間をおいて、少女は続ける。
「私は、スティア・ルピシアス。スティアって呼んでほしい」
名前を名乗る。
それは人間の文化において、敵意がないという証明だ。
「……俺はマルバスだ」
気づけば名を返していた。
あの悪魔と恐れられている俺が。
敵対しているであろう目の前の人間に。
ふと、名を返していた。
しばらく経ち、背後の喧騒が少しだけ遠のく。
少なくとも追手は来れないであろう場所まで俺たちは来た。
あとでヴォルフェンとしっかりと合流しないとななどと考える。
まぁ最悪それに関してはあそこに行けば自ずと合流できるだろう。
――だがその前に。
「なぁスティア」
「なに」
「一つだけ、聞いてもいいか?」
「いいよ」
「お前……
死にたいのか?」
少女はほんの一瞬だけ沈黙した。
そして。
「……まだ、分からない」
その答えを聞いて、俺は確信した。
――あぁ。
こいつは、俺と似ている。
だからこそ、放っておけない。
悪魔の居場所で 隼ファルコン @hayabusafalcon
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