名もなき鳥が落ちたあとの世界で

耳口王士

遺書

 遺書を書いてみようと思った。


 別に死を望んでいるわけではない。ただ、自分が生きている意味を見つめ直したかった。自分がいなくなった後に何を遺せるのか、その輪郭をなぞるために、私はキーボードを叩く。


 そもそも、遺書とは何だろうか。


 辞書を引けば、死後に遺す言葉や、法的な効力を持つ書面といった定義が並ぶだろう。けれど、私が求めているのはそんな事務的な整理ではない。


 道端で名もない鳥が死んでいるのを目にしたとき、私は「可哀想に」と思うだろう。だがそれは、あくまで一つの生命が失われたことへの、記号的な憐れみに過ぎない。その鳥がどんな空を愛し、どんな風を感じて生きていたのか、私は何一つ知らないし、知ろうともしない。


 有名人が亡くなれば、世界は悲しみのニュースで溢れかえる。


 それに引き換え、私が死んだところで世界は何も変わらない。家族や友人は幾ばくかの涙を流してくれるかもしれないが、翌朝にはまた、世界は何食わぬ顔で回り始める。私の生にも死にも、客観的な意味などどこにもない。


 数十億という人類の、取るに足らない一人。


 歴史に名を刻みたいほどの野心があるわけではない。けれど、どうしても生きる意味を求めてしまう。墓石という冷たい石に名前を彫り込むだけの人生ではなく、誰かの記憶という熱を帯びた場所に、自分という存在を刻みつけたい。


 だから、私は遺書を書くことにした。


 これは、私が終わるための準備ではない。私の名前を、私の温度を、誰かの内側に消えない傷跡として残すための、ささやかな抵抗。


 ここに綴られる言葉が、いつか誰かの孤独を刺し、私の生きた証として呼吸を始めることを願って。

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