一目惚れした王子の話
叶
第1話 出会い
入学式の準備が整って、人混みを避けるように向かった先は本校舎から遠く離れた旧校舎。
古びたそこは人を寄せ付けない不気味さがあった。
ここらば誰も来ないだろうと建物を潜ると、目の前に開けた草原のようなものが広がった。
四方を建物に囲まれたその中央には枝垂桜は聳え立っている。
光が見え隠れする姿は幻想的で、この学園にこんな場所があったのかと思わず足を止めた。
偶然突風が桜を襲い、幾つもの花弁が紙吹雪のように辺りに降り注いで舞う。
桜をつけた枝が大きく揺れて、先程まで見えなかった幹がその隙間から姿を現す。
そこでようやく木の側に人がいることに気がついた僕は細めていた目を瞬いた。
まさか、人が居るとは思わなかったな。
風に靡かせて乱れた桜色の髪。
不意に目が合ったその瞳は黄金のように輝やき、神秘的な印象を与える。
一瞬、ほんの一瞬だけ桜の妖精が現れたのかとらしくない考えが浮かび、否定するように軽く首を振って顔を上げた。
すると、僕に気がついた少女はペコリと頭を下げて礼を取る。
その身には真新しい制服が纏われていた。
「君は、新入生かな?」
すぐにその正体に見当がついた僕はゆっくりと近づきながら問いかけた。
ここは入学式の会場から随分離れている。
もしかしたら道に迷ってここまで来てしまったのかもしれない。もしくは制服を着用しているが、不正に入手した不審者、という可能性も否めない。
迷子ならば上級生として会場まで送り届ける義務があるし、侵入者ならば逃してはいけない。
そう考えて、あと数歩程になるまで距離を詰めた。
「はい。入学式まで時間があるので少し探検をしていました。」
可愛らしい鈴の音を鳴らした少女は少し照れたように髪を耳にかけながらはにかんだ。
あどけない顔立ちに僕を見て警戒しない姿はどう見ても前者のようだった。
「そっか。……良ければ学内を案内しようか?」
口にした後、自分でも驚いて笑顔のまま固まってしまう。
僕は、今なんて……
変に思われてないかと少女を見ると、大きな瞳がさらに大きく開かれていた。
「ごめん、今のは……」
「良いんですか!?」
少女と言葉が重なる。
その瞳はキラキラと輝いていて、不審に思われていないことに安堵の息を吐いた。
「あっ、無理にとは言いませんが……」
「いや、是非案内させて欲しい。」
この機会を逃したくない。直感的にそう思った。
気持ちの表れか食い気味になってしまい、しまったと伺うように少女に視線を向けると嬉しそうに顔を綻ばせている姿が目に入る。
その可愛らしい姿に頬が緩んだ。
「その前に自己紹介しないとね。私はオーエン・ウィルソン。君の名前は?」
“らしくない”
少女に会ってからずっとだ。
偽名を名乗ったのも、自主的に関わろうとしたのもそうだ。
“王太子”としてではなく、僕自身を見て欲しい。
僕を知って欲しい。
何事に関しても無関心な僕がここまで貪欲になるなんて、正直驚いている。
だけど、この感情に名前を付けてしまってはいけない気がして、今は興味のまま流されることにした。
「初めまして、私はリリーと言います。」
「……家名は?」
「名乗ることを許されていなくて……」
辿々しい礼でリリーと名乗った少女。
彼女は僕の質問に悲しそうに眉を下げた。
この学園には貴族しか通うことが許されていない。
しかも、貴族として血が流れている者は絶対に通わないといけないというおまけ付き。
“名乗ることを許されていない”ということは、婚外子で仕方なく親に入れられた可能性が高い。
礼儀作法からしても、そこまで身分のある出ではないのだろう。
“王子”と“家名を名乗ることさえ許されない少女”。
ふむと顔に手を当てて考える素振りを見せる。
これだけ身分差があるのなら、普通は関わり合うことすらないはずだ。
それでも、出会ってしまった。
「それは言いづらいことを聞いてしまったね。申し訳ない。」
「いえ、そんな……お気になさらないで下さい。」
困ったように手を振る姿はとても愛らしい。
貴族のご令嬢なら笑みの中に鋭い光を浮かべていただろう。
もしくは失礼なことを聞いたと罵るか。
どのみち弱みを見せることは良しとされないので、いかに相手より優位に立つかの腹の探り合いが始まる。
それとは違った新鮮な反応に心がくすぐられたのは事実だ。
「……レディ、貴方をエスコートする光栄に預かれますか?」
畏まって手を差し出せば、彼女は頬を赤く染めた。
でも、どう手を出せば良いか悩んでいる姿は僕に照れているというよりはこういう動作に恥ずかしさを感じたようだった。
僕の地位と顔に寄ってくるご令嬢は少なくない。
自分で言うのも何だが、国王を除けば一番高い身分で顔立ちも悪くない。
ともなれば、アプローチしない方が損だろう。
貴族としては間違っていない。
だけど、そんな人ばかりを見てきたので彼女の反応は新鮮だった。
「えっと、よろしくお願いします。」
おずおずと手を重ねられ、自然と笑みが溢れる。
エスコート慣れしていないのも、可愛いな。
……本当、自分でも制御不能なこの気持ちがもどかしい。
作り笑いじゃない笑顔。
これを女性に向けたのはいつぶりだろうか。
「行きたいところはある?」
「図書館を見たいです!」
元気よく答える彼女にクスッと笑うと、恥ずかしそうに目を逸らされた。
その表情に悪戯心に火がつきそうになるのをすんでのところで抑えて笑顔の裏に隠す。
「そんなに行きたかったんだ?」
「うぅ、はい。珍しい本があると聞いたので……」
「うん、きっと見たこともない本が沢山あると思うよ。」
「楽しみにしておいて。」そう付け加えて笑顔を浮かべると、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。
表情がよく変わるので、見ていて飽きないなと思いながら図書館へと足を向ける。
「ここだよ。……期待に添えられたかな?」
「はい!初めて見る本がいっぱいあります!」
わぁと感嘆を漏らしてキョロキョロと館内を見回す彼女に自然と目が引かれる。
今は入学式の直前なのでもちろんのこと人はいない。つまり、貸切状態だ。
本来なら入れないが、少し無理を通してもらった。
そこまでして彼女に図書館を見せたかったのかと問われれば否とは答えられないだろう。
まあ、目の前の笑顔を見られただけでその甲斐があったと思ってしまうのだから、僕も大概だ。
ずらっと本が並ぶ本棚を目で追う彼女が視線を僅かに止めた。
……が、すぐに視線を進め始める。まるで誤魔化すようなその動作に僕は止まった先に何があるのだろうかと好奇心から題名をなぞった。
“歴史を変えた薬”
背表紙にはそう書かれてあった。
「薬学に、興味があるの?」
口を衝いて出たのはそんな言葉だった。
彼女の瞳が見開かれたのを見て、笑顔のまま冷や汗を流す。
余計なことを詮索してしまったかもしれない。
「バレちゃいました?」
ニコッと悪戯が成功した子供のように笑う彼女は怒っているわけではなさそうだ。
ただ不意の言葉だったから驚いただけのようだった。
「おっしゃる通り私は趣味で薬草の研究をしています。でも、研究職は男性のイメージが強いから、人には言わないようにしてるんです。だからウィルソン先輩も内緒にしてもらえませんか?」
コテンと首を傾げて人差し指を口の前に持ってきた彼女に頷いて見せると、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「確かに男性が研究を行っているイメージはあるね。」
共感の言葉を口にすると、「そうなんです!」と勢いよく僕の方を向いた。
その方針を決める立場にある者としては曖昧な笑顔を浮かべる他ない。
「あっ、別に文句を言いたいわけではないんです。ただ性別で就職先が決まってしまうのは勿体無いなって思っただけで……ってあれ、これって文句になってます?」
慌てて否定しようとしたようだが、上手くいかず最後には不安そうに聞いてきた彼女に笑みが溢れた。
「大丈夫だよ。それは立派な意見で文句ではないと思う。」
クスクスと笑いながら答えると、彼女はほっと胸を撫で下ろしていた。
「……でも、“勿体無い”、か。確かにその通りだね。」
肯定されるとは思っていなかったのか驚いている彼女を横目で見ながら、性別で決まってしまう現状に思いを馳せた。
「能力で判断されるべきだと、私も思っているよ。……まあ、それが難しいのが世の中だけどね。」
牽引者としては耳が痛い話だ。
これでも尽力してきたつもりだったが、まだまだ反映されていないようだと改めてわかった。
もっと策を講じるべきかな。
「……どうかした?」
これからの案を考えていると、視線を感じて彼女の方を見る。すると、目があった。
「ウィルソン先輩は、柔軟な考えをお持ちなんだなって。」
「そう、かな?」
「はい。男性がやって当たり前だって言われるのがオチだと思ってましたから。」
そんなことはないと言い切れないのが歯痒い。
困ったように笑顔を返すと、彼女はふっと真面目な表情を浮かべた。
「だから私、嬉しいんです。ウィルソン先輩みたいな人がいてくれて。」
くるっと彼女が回るとスカートと髪が舞う。
まるでそこに一輪の花が咲いたような光景に思わず見惚れてしまった。
胸が、高鳴った。
「オーエン、で良いよ。私も君のことを名前で呼ぶんだから。」
彼女のことをもっと知りたい。
彼女に近づきたい。
ドクンドクンと心臓が音を立てる速度が速くなる。
「はい!オーエン先輩。」
……あぁ、彼女が呼ぶ名前が“本当の”名前だったらどれほど良かったか。
少し残念に思ってしまったのも、仕方がないと見逃して欲しい。
こんな衝動は初めての感覚だったのだから。
だから、
「リリー、日曜日は空いてる?」
無意識のうちに“次”を望んでしまったのは、きっと不可抗力だ。
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