【短編】第三月曜日

比良見 透

第三月曜日

お題「手」

 鍋の蓋を開けると、ふわりと鰹節の香りが台所に広がった。まだ開けないで、という鋭い声にごめんと返して蓋を戻す。まな板の上には玉ねぎ、調理台の上には鶏肉が並んでいた。

「玉ねぎはね、縦じゃなくて横で切るの。だって、」

「おばあちゃんが言ってたから、でしょう?」

 今日は第三月曜日。お姉ちゃんに言っていたのと同じことを言う母は、私の返答がお気に召したようで今日も満足そうに微笑んだ。玉ねぎを掴むと指先が痛くて、ふと見ると小さな傷ができていた。母に気付かれないように指先をきゅっと握り、何事も無かったかのように玉ねぎを薄く切り始める。指先と鼻の奥がツンとして、視界が滲んだ。

 玉ねぎをボールに移して、まな板をひっくり返す。プラスチックトレーに載せられた鶏もも肉は冷たくて、妙に指先にまとわりつき、鳥肌がたった。皮の部分を下にして、肉に刃を当てがう。そのまま真っ直ぐ刃を引くと、そこから肉が分かれていった。

「ああ、もう。それじゃ大きすぎるでしょう?あの子と違ってあなたはいつもそうね。」

 母の目が、ゆっくりと逆三角形になっていく。言われていない言葉に、胸がざわついた。

 ……お姉ちゃんが家を出てから、意地でもお姉ちゃんの名前は出さないくせに。唇を軽く噛んだ後に、唾と一緒にそんな言葉も呑み込んだ。

「……大きいお肉食べたいなって思ったから大きくしちゃったのかも。ごめんなさい。」

 吊り上がった目が一度伏せられてから、「もう、仕方ないんだから。」という猫撫で声が聞こえる。

 私はごめんね、と笑いとため息が混ざった声を投げ返す。鶏の脂でべたつく手を冷たい水に曝したけれど、気持ち悪さは離れていってはくれなかった。

 

 鍋から黄金色のお出汁を深めのフライパンに移していく。母が余ったお出汁でお味噌汁を作るのも、いつもの流れだ。その間に私はフライパンに醤油と、味醂と、砂糖と酒を大さじで測って足す。匙から零れ落ちた醤油が黄金色に落ちて、黒く滲んで広がっていった。火をかけて玉ねぎと鶏肉を加えて、火が通ったら溶き卵を載せて、三つ葉を散らす。もう一度手を洗ってタオルで拭いていると、炊飯器がピーッと鳴いた。炊飯器を開けると、手を湿らせるような熱気と、ごはんの優しくて甘い香りがする。母が口を開く前に、しゃもじで軽くご飯を混ぜ合わせると、お米が光って見えた。

 

「お父さん、今日も遅いみたいだから食べちゃいましょ。あなたもできたてのほうがいいでしょう?」

「そうだね、じゃあご飯よそっちゃうね。」

 お腹は空いてないけれど、二人分丼に炊けた米を敷いて、黄色と緑の具材を綺麗に盛り付けた。いつもの席に座って、手を合わせてからレンゲでご飯を口に運んだ。玉ねぎが入った具が甘ったるくて、どろりとした白身が喉を通っていく。

「ふふ。あなたのおばあちゃんもねえ、ママにこうやって作り方を教えて、一緒に親子丼を食べたのよ。家族の味、って感じでいいでしょう?」

 右斜め前から、上機嫌に母は笑っていた。つい癖で左の席を見たけれど、困ったように笑うお姉ちゃんがいるわけでもなく、ただそこにはしばらく使われてない椅子があるだけだった。

「……そうだね。」

 意味のない四文字を口に出して、進まない食を誤魔化すようにご飯をレンゲで混ぜた。左も、目の前も空白のテーブルには、母の楽しそうな声だけが広がっていた。クロゼットの中にある、トランクケースを頭に浮かべて、いつもみたいに母に微笑む。


 「ごちそうさま」と手を合わせる。

 ポケットの中には、薄くて柔らかい感触があった。

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【短編】第三月曜日 比良見 透 @Hirami-Toru

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