吸血鬼の幽霊さんは待っている

せい

1

「ねえ、出来るだけ早くこっちに来てね」



 彼女はけらけらと笑いながらそう言う。私が

「早くって、何年くらいで行けばいいの?」

 と問うと。

「200年くらい?それ以上は嫌」

 と言った。

 金色の巻き毛をくるくると手で弄びながら言うその少女に、私は溜息をひとつついてから、返す。

「……あと80年後くらいには、あなたの願い事は全部叶うと思うけど」

 彼女は鮮やかの緑の瞳を丸くしていた。彼女の生きた時代には死の香りがすると言われたその緑色シェーレ・グリーンの瞳は、すぐに三日月になって

 「ああ、忘れてた」

 なんてまたけらけらと笑い出す。

 私はいつか来る終わりの時を想い、彼女の瞳を見つめていた。


 

――彼女と出会ったのは、3年ほど前。 

 祖父から受け継いだその家は、今のこの現代では住むのに適してるとは言えなかったが、それでも古いなりの価値があって、今まで残ってきた。屋敷とも言えないくらいの大きさの家に詰まっていたのは、古びた調度品と祖父と祖母が過ごした2人きりの静かな日々。湖の近くに建てられたそこは、都会に疲れ地方での仕事を探していた私を、黙って受け入れてくれた。

 蔦が所々に絡まった茶色の家の扉は、今すぐにでも油を差したくなるような音を立てたのを、覚えている。中に入ると祖父から写真で貰った通りの内装が見えた。けれども一つだけ、写真にはなかったものが私の視線の先にいた。

 

 一人の少女。

 ぱっと見て17か18くらいの年に見える彼女は、窓辺のひとりがけのソファに座り、外を見ていた。

 くるりとした長い金髪が頬にかかったその横顔は、絵画の中からすり抜けてきたのかと思うくらい幻想的、かつ綺麗で。それでいて、この家の前にある湖のように静かで、つまらなさそうな表情をしている。私は、少しして、その少女に見蕩れていた自分がいることを自覚した。 

 扉の開いた音に対しての反応も遅く、ゆるゆるとした動作でこちらを見て、私の視線が自分に向けられていることを悟ると、驚いたような声を上げた。

 

「……あなた、私のこと見えてるのね!」

 

 その言葉に私は大体の事情……というかこの少女の正体がわかってしまった気がした。

 彼女の言ったその台詞は本や映画であまりにもよく見るものだったし、祖父からはポルターガイストの報告を受けていたからだ。

――人を害するようなことはしないから。そっとしておいて大丈夫。きっと家にいるあの幽霊は悪い子じゃないよ。妻と孫を愛し、穏やかに生きていた優しい祖父に生前、そんなことを言われたので、気にせず静かに生活をしようと、そう思っていた。

 

「……あなたは誰?」

「……なんか、話が早すぎるわ、あなた。わたしがどうしてここにいるのとか、幽霊なのとか、気にならないの?」

「自分で答え言ってるじゃん」

「あ」

「……ふふ、ほんとに幽霊なの?えっと……名前。名前教えて」

「もう、失礼な子!……ルシールよ」

 ルシールね、と口で彼女の名前を復唱する。

 不思議な気分だった。なにせ、私の目からは見ると、彼女の体はほんの少ししか透けていないし(手先とかをよく見ればって程度だ)モノクロでもない。鮮やかすぎるくらいの緑の瞳もこの家とおなじ、いやそれ以上に古めかしい目と同じ色のワンピースも、全てがきちんと色づいていたからだ。ついでに会話もちゃんと出来る。

 発音の癖が、片手で数える程度しか会えなかった祖母に似ていたような気がしたのも、私に緊張を思い出させなかった原因かもしれない。

 

「それで、ルシールはどうしてこの家に取り残されているの……って聞きたいけど。まずは荷解きかな」

「少しくらいなら、手伝ってあげてもいいのよ」

「できるの?」

「ちょっとこう……物を手元に引き寄せるくらいはね」

「……」

「そんな顔しないでよ!1人よりはいいでしょ」

「まあ……それじゃお願いしよっかな」

――実際、1人よりはよかった。

 あー、あの服このタンスに入れたいけどちょっと立ち上がらないといけないなー。という時に彼女はご自慢の幽霊の特権ポルター・ガイストで引き寄せてくれたし。うっすら埃の被ったティーセット類を掃除していた時は、

 「あなたのおばあ様は、これを1番よく使っていたわ」

 なんて、教えてくれたりもした。

 大好きだったが私の家と距離が遠すぎたため、手紙と写真でしか分からなかった祖父と祖母の記憶が、家のあちらこちらから立ち上ってくるようだった。

 

「ここの冬はとても寒いらしいの。ちゃんと準備してね」

「もっとセーター持ってくればよかったかなあ」

 荷解きをして食事をして寝る、ただそれだけをした3日間程で、私と彼女の会話は徐々に生活に馴染んでいった。

 一緒に住むも何も、ルシールはこの家とその周りくらいしか移動ができなかったし、それに、そもそも私の彼女の間には距離なんてものは最初からなかったような気もするので、私は彼女と共にいることを拒まなかった。

 それは同じ甘さと感傷の中で少女という期間を過ごしたもの同士の、奇妙な共鳴なのかもしれないのだった。

 

「ねえ、なんでこんなに良くしてくれるの?……ルシール、幽霊なのに。怨念とか、ないの?」

「私自身もどうしてここから離れられないかわからないの。ずーっと暇だったんだから。誰も私の事見えないし……だから、あなたにはここにいて欲しいの」

 そう言って、にっこりと笑った。

 都会から逃げてきた。とはいえ少しの気分転換のつもりでこの家に来た私は、その笑顔を見て、そんなことは言えないかも、こっそり胸の中で思った。


  

 それから、1ヶ月ほど経って。新しい職場に行く日が近づいていたある日。

 ようやく新生活に伴うあれこれを済ませた私は、ルシールの話をちゃんと聞いてなかった、と思い出す。

「「ねえ」」

 私はソファで本を、ルシールは今はもう使わない暖炉の上に立てかけた写真を見ている時だった。私たちのその声はぴったりと重なってしまい。少しだけ笑い声を上げながら、会話を始める

「いや……そろそろ聞いてもいいかなと思って。ルシールの身の上話?ってやつ?」

「わたしもそう思っていたの。……でも、ちょっと問題があって」

「何?」

「あんまり覚えてないのよね……。こう、ざっくりとしか。ずいぶん長い間、幽霊だったから」

 寂しい、という感情をとっくに通り越したように軽く、彼女は言った。

「いいじゃん、それでも聞きたい」

 私はもう彼女のことを昔からの友達かのように接していた。私とルシール。2人以外存在しない家での生活は、静かとも騒がしいとも言えず、けれどもいつも清浄な、甘い香りが漂っているようだった。

 

「……それじゃ、紅茶とお菓子を準備なさい。私の話を途中で切って、わけがわからなくならないようにね」

「はーい」

 見た目でいえば、恐らく私の方が少し年上なのだろうが、彼女は見た目の古めかしさ同様、言葉遣いや態度も私よりずっと長く生きてきたというのを感じさせた。

「何がいい?昨日作ったアップルクランブル?それとも……あ、違う。ルシール食べれないんだった」

「もう、何回目?」

「ごめん、だってそんな気がしないから」

 シナモンの香りのする、祖母のレシピで作ったアップルクランブルと、少し遠くの現代的なスーパーで買った標準的な紅茶を用意してテーブルに座ると、ルシールはふよふよと浮かんできて、向かいの席に座った。

 

「……さて、じゃあこれから言っておかないとね。

 私は吸血鬼なの」

「うん……えっ」

「吸血鬼」

「いや、聞こえてたけど……えっ、ほんとに?」

「ちなみに、あなたは私の子孫ってわけじゃないから、あなたはただの人間よ」

「えっ……ええ……」

「続けるわね」

 

 最初の出会いの時の余裕はどこへやら。ルシールの告白にすっかり飲まれた私は、困惑しつつも彼女の話を聞く。吸血鬼。でもそうか、幽霊になっちゃったら血も飲めないから普通の人間とそう変わらないかもしれない。陽の光は……?

「幽霊だからかしら、大丈夫なのよ」

「なるほど……確かに……?」

 それじゃあ人間と大して変わらない。それなら、人間と違うところといえばやっぱり。

「私は200年生きたわ。この姿のままでね」

 やはり、そういう話になってくる。

「この家ができるずっと前のおはなしよ」

 

……それからルシールが話してくれたのは、奇妙で、けれどと人間とかけ離れている訳でもない家に生まれた女の子の話。この家の前にあった家は、は今よりも木が生い茂る中にひっそりと建てられていた。それは、とある吸血鬼の夫婦がが住まうための家で、ルシールはそこの一人娘だった……

「珍しい話ではなかったのよ、少なくとも、私たち吸血鬼の間ではね」

 昼間は棺で眠り、夜は動物や人間の血を狩り集める。そんな生活を送っていた。

「動物の血だけじゃ、美味しくないもの。人間の血は生きるために必要だったの」

 そう言うルシールの瞳は先程までの柔らかい雰囲気は身を潜めて、冷たく、捕食者の瞳をしていた。冷たさを感じても怖くないと思うのは、私が彼女と過ごした生活のおかげなのだろうか。

 

……それから、夫婦に愛され育った吸血鬼の一人娘は成長し、しかしその小さな世界の中、別のものが欲しくなったという。

 

「……100年が経った頃。昼間、暗い家の中から見た、女の子たちの事が羨ましくなった。笑いながら芝生に寝転がってはしゃぐ姿が。ひとりではなくて、誰かとそうするのが」

 

「それなら、今からでも出来るんじゃない?……私でよければ」

「……そうかも、ね」

 一瞬、ルシールは目を泳がせた。私の言葉は欲しかったものではなかったのか。それとも。別の何かを思ったのか。

 吸血鬼と、最初聞いた時は驚いたけれど。そもそも幽霊か見えているのだから今更。と、何より。ルシールは私とそこまで変わらない存在に思えて、私はいつもの調子で会話ができるようになっていた。

「……ま、いいや。ルシール。それからの話は?」

「それからの100年はあんまり覚えてないわ。パパとママと仲良く過ごした。それだけ。独り立ちはあと100年くらいしたらって、言われたの」

「それ、吸血鬼にとっての標準?」

「少し遅いくらいね。でも……別に、永遠に生きられるんだから誤差の範囲だけど」

「なるほど……でも、じゃあどうして」

 

「死んだのかってことでしょう。永遠に生きられるはずの吸血鬼の私が」

 吸血鬼は変わらない。けれど、人間の社会は変わっていった。森の外は機械と金属に溢れた社会に。

 

「美しい、緑色だった」

 

 ルシールは自身の着ているそのワンピースの裾の端を掴んだ。深くて、何よりも鮮やかな色を放つその生地は、昼下がりの光を受けてゆらゆらと煌めいていた。

 私は、その時彼女の瞳に、これまでには無いものを見た。美しいなんて。それだけではない。もっと、熱く、揺らめくものを。

「知り合いの商人が持ってきてくれた、遠い都会で流行っているというその緑色の服たちは、私の瞳とそっくりだった。森とも湖とも違う、とても、綺麗な……」

 彼女は金色の睫毛に縁取られた瞳を、少しの間閉じていた。それまで感じなかった彼女の感情の裏側、仄暗い何かが見えるようで、陽の光の中に舞う埃は、そんな彼女の輪郭をそっとなぞっているようだった。

 

「あの少女たちとも同じかしらって、思ったの」

 流行りのを共に着て、買い物をして、カフェでお菓子を食べたり。時にはパーティなんかもあって。

「そういう時、選ぶのはきっと自分の瞳と同じ色でしょう。友達に選ぶなら、その子の瞳の色でしょう。だからいつか、そんな日が来たら着れるようにと……」

 鏡に自分の姿が映らなくとも、ルシールはその服を何度も着た。何度も、何度も。暗い部屋の中で、夜の中で。太陽の光を、照明の光を、誰かと一緒に浴びる日を夢見ながら。

 その瞬間のルシールの姿を、私は瞬きの間に想った。寂しげにひらひらとそのワンピースの裾を揺らしたのかと思うと、その場に自分がいないことが、なんだか惜しく思えてしまった。

 

「でもね、あの美しい緑は……」

 体を蝕んだ。

「シェーレ・グリーン」と呼ばれたその色は、従来とは違う鮮やかな美しさで多くの女性を虜にしたが、そこには強いヒ素が含まれていた。

「簡単に言うと毒よ。……私は人間ほど早くは効かなかったけれどね。けれども、吸血鬼の体にもその毒は効いてしまった。原因は……わかんないけど。吸血鬼は古い生き物だから、新しいものに耐えられなかったのかもね……」

 

 不死の身体なんて、結局、そんなものよねえ。

 彼女はどこか寂しそうに笑う。

「血を飲めなくなった。寝たきりになって、そのまま死んじゃった。パパとママは私の面影がある家を見るのが、悲しくて、辛くて。だから取り壊して、遠くへ……」

 それで空き地になって、いくつもの年月が経って。何も知らない人間の家が建った。なんてことない、悲劇に見舞われた吸血鬼の娘の話はおしまいだ。

 

 けれど、ルシールの話はそこで終わらなかった。

「……でもね、その時の私は人間の少女と同じかも、なんて思った。血を飲まなければ、ねえ、少しは近いでしょ」

 懇願に近い声で、彼女は私を見た。だから私は、今度は彼女がそうしていたみたいに、軽く言ってやった。

「たしかにね。ルシールと会った時同じこと思った……日の下にも出れるんなら、人間とおんなじじゃん、って」

「ふふ、そうでしょ」

 

……そこで、紅茶が底をついた。私は少し考えてから椅子から立ち上がり、歩き始める。彼女は私の動きを目で追っていた。

 

「ねえ、ルシール。外行こ」

 

「……どうして?」

「湿っぽい話したから」

「あら、こういうのは嫌いだった?」

「そういうわけじゃないけど。この気持ちで一日終わるのは嫌」

「……あなたらしいわ」

「じゃあ行こう。ほら、今日は天気いいから」


 私の後を浮きながらついてきたルシールは、いつの間にか私を追い越してドアの前に行き、床に足をつけた。

 なにかの儀式のように、ドアノブを持ったまま、彼女は動きを止めてしまった。

 だから、私はぼんやりと透ける彼女の手に、自分の手を重ねた。後ろから抱きしめるような形で。同じくらいの身長の彼女の金の髪が、私の頬に重なっていて、けれども彼女は幽霊だから、くすぐったくも何ともなかった。

 

「ルシール。怖いの?」

「怖くないわ。なんだか緊張してるだけ」

「嘘だ」

「嘘じゃない!」

「じゃ、せーので開けよ」

 

 せーの。

 ふたりの重なった声に押されるように、ドアは開いた。私の祖父母が居た頃から少し時間が経って庭は荒れ始めていたが、それでも青々としていて、草花の間に2人分の椅子が添えられた飴色のテーブルが、静かに佇んでいた。

 ルシールは私の腕からするりと(比喩なんかじゃなくて、言葉通りに。彼女の体はそうできているのだから)抜け出して、裸足のままで走り出した。

 

「待ってよ!」

 彼女を追いかけて、小さな庭を抜けて、すぐ側の湖の近くまで。芝生のあたりに来ると、ルシールは突然立ち止まり、ばさり、とうつ伏せに倒れた。大丈夫かと思って焦って近づくと、くすくすと笑い声が聞こえた。

「……心配させないでよ」

「ごめんなさい。だって」

「……いいよ。大体わかる」

 

 私は彼女の隣に座り込んで、ゆっくりと上げた彼女の顔を覗き込んだ。

 

「嬉しいんでしょ。私みたいに同じ歳くらいの子と話せるのが」

「よくわかるじゃない」

「あの話を聞いて分からない人は鈍感すぎ」

 

 私の声を聞いてまた笑った彼女を見ていると、なんだか少しむかついた。

 

「私が、もっとおばあちゃんだったらそんな顔しないの?」

 同じ少女じゃなかったら。そんな、私だけが特別だなんて瞳はしないのだろうか。その緑の瞳は、興味を失うのだろうか。なんだかそれは、少し嫌だ。

 ルシールは驚いたような顔をする。けれど、またへらりと笑って。 

「そしたら、同じ幽霊になれるのが近くて嬉しいって、思うかも」

「……酷くない?」

「どうして?……だって、みんないつか死ぬわ」

「それはまあ、そうかもしれないけど」 

「どうせ私が見えるのなら、寿命を全うしたあとも私といてくれてもいいじゃない?」

 それから、彼女は私をじっと見つめて。


「ねえ、私が見えちゃったのなら。観念して、ここにいて」

 

 なんとなく思っていたけど、彼女はかなり強欲だ。

 自分を着飾るものに殺されて、幽霊になっても、最初に欲しいと思った人間が欲しくて欲しくてたまらなくて……だからきっと、彼女はあの家にずっと居た。

 いちばん美しい自分の姿で、自分を愛して共に日の下を歩いてくれる人が来るまで。

 それを理解した瞬間。

 私はなんだか全てを受け入れられた。

 彼女が待っていたのは、きっと、私なんだと。

 誰かの特別だと思えたこと。運命を受け入れるのなんて、それだけで十分だ。

 

「しょうがないなあ」

 

「……え、なに、ねえ!」

 寝転がる彼女の横に手をつけて、その首元に顔を寄せた。芝生よりもずっと鮮やかなシェーレ・グリーンが、私の視界の半分。もう半分は、くるくるの髪と、青白い肌。

 

 強欲で美しい吸血鬼のルシール。この行為の意味が、あなたにはわかるでしょう。

 

 私は彼女の首を噛んだ。何回も、何回も。

「……ねえっ、くすぐったい!」

「当たるわけないでしょ、ルシール、幽霊なんだから」

「わかってる!けど、なんか、なんとなくよ!」 

 これから先、何十年、何百と共に居る予感がした相手に捧げるものが、私には何一つなかった。いいや、幽霊相手には、物なんて意味が無い。この身一つだ。だから、そうした。食欲でも命を奪うためでもない。ルシールという存在に対する、これは、この感情は私の――

「ねえ、交代してよ」

「え、わっ」

 後ろの服を彼女の力で少し引かれ、それに転ばされた……というよりも、驚いて自分から仰向けに寝転がった。

「……は、あははっ!くすぐった!」

「ね、私の気持ちがわかるでしょ」

「うん、なんか、なんとなくね。気持ち的にくすぐったい!」

 髪の感触も、私の腕を掠ったはずのルシールの体の感触も。やっぱりそれはわからなかったけれど。

 彼女の鋭い牙は、私の首筋に何回か触れた。

 それだけは、信じている。

 私の首元から顔を上げたルシールはやっぱり少し光に透けていて。けれど私は手を伸ばして、見上げた彼女の頬を撫で、髪の毛で遊んだ。ルシールはまた笑って。

 私たちはしばらくの間。そうして太陽の光を浴びていた。



――それから、何回もの朝が来て、夜が来た。片手でも、両手でもぜんぜん足りないほどの日々の中。

 私はこの片田舎で、祖父から受け継いだ家で、仕事に通って。仕事仲間も町の知り合いもでき、静かに生きていた。……傍から見れば。

 

 けれど、私の目からすると、少し違う。

「ただいま〜」

「おかえりなさい。今日は早かったじゃない」

「だって、雪が降り始めてるんだもん。早く帰らないとこの家に辿り着けなくなっちゃう」

「じゃあ明日は休み!?家にいるの?」

「わっ、ルシール。急に目の前に来ないでよ……ルシールの言う通り、明日はずっと家にいるからさ」


 暖炉は、今の時代にはやっぱり使わないけれど。

 その代わりのストーブの前で、私は毛布に包まりながら、ルシールはいつもの緑のワンピースのままで。二人でもたれ合いながら、ストーブの前に座り込んで、ミルクティーでも飲みながら、話をする。

 今日のおやつはアップルパイだ。これも、祖母のレシピ。貼りつけてあったメモに、祖父が大層喜んでくれたことが書かれてあった。仲のいいことで……もう、2人はいないけど。本当にこの家はあの2人の記憶で、溢れている。

 

 そして、そういう風に話をするとき時、彼女はたまに、こう話し始める時があった。

 

「ねえ、出来るだけ早くこっちに来てね」

 

 その言葉から始まって、ある時は、人間の寿命の平均を忘れかけたり、ある時は、人間の苦しくない死に方を議論したり。今日は、こんな話だった。


「私の寿命まで待ってくれるんじゃなかったの?」

「そう思ってたけどね。でも、やっぱり欲しいわ」

「前から思ってたけど、やっばりルシールって強欲。……ご両親も、そんな感じ?」

「あら、あなたに言われたくないわ。その言葉そっくり……いや、おじい様とおばあ様もそんな感じ?って、言うわね」

「いや、私は……おじいちゃんもおばあちゃんも、別に強欲じゃないし」

「そう?わたしは、そうだと思うけど」

「なんで?」

「あなた、知らないの?だって、この家があなたに渡されたのは……2人の記憶を壊したくなかったからよ」

 壁に掛けられた絵に、傾いた夕日が差し始めていた。あの絵に書かれているのは、祖父が書いたものだというその絵は、祖母の好きな花が書かれている。

 

「あなたなら、このまま残しておいてくれるって、思ったんでしょう。もう死んじゃったのに、それって欲張りだわ」

 

「……そうかもね」

「ね、だから。わたしが欲張りでも、許してね。

お互い様でしょう」

「……しょうがないなあ」

 いつかも言ったその言葉に、私は全てを込めた。祖母と祖父みたいに長生きしたとして、ざっくり80年くらい。その間も、そして私が死んだその先も。私はこの吸血鬼の幽霊に、全てをあげる。緑色の瞳の、美しいルシールに。

「ねえルシール。お互い幽霊ならさ、血とか吸えるのかな」

「それ、いいわね。……そうなら、素敵ね」

「うん」

 

 もう埃の積もらない棚の片隅に置いておいた、母からの手紙の返信をしなくては、と思った。

 「そっちで暮らして、元気になりましたか?そのうちこっち帰ってきませんか?」

 私は、こう返す。

 

「ごめんなさい。私は帰らないよ。この家が好きだし……それに、ここで歳をとって死にたい理由ができたの」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吸血鬼の幽霊さんは待っている せい @Sei1216

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画