仕様変更~それは、業務の一環だった~

純友良幸

お題「株式会社」「だんだん高くなる」「バス」

「いい? ここに『雲』って紙を貼るの。神棚の上を人が歩くのは失礼だから、ここは空ですよっていう意味で、上に二階以上のフロアがある建物ではこういうのを貼るのよ」

 経理のサナエさんは天井に向けて、筆文字で『雲』と一文字書かれた半紙をあてがうと、画鋲を親指で押し込みながらそう言った。

 半紙の下には何年かぶりに新調されたのだという神棚が設えられていた。


 ウチは地方の小さなバス会社だ。建物は古く、二階には休憩室がある。一階の事務所にある神棚の上を、非番の運転手がドカドカと歩くことになるから、この紙切れ一枚が結界代わりになるそうだ。

 新人の運転手である僕は、口を開けてそれを見上げながら

「へえ、そういうもんですか」 

 と答えた。

「そういうもんよ。どこの会社でもやってるわ」

 僕は

「なるほど」

 と頷き、そしてすぐにそのことを忘れた。業務には何の関係もないことだ。

 実際、僕が運転手として勤めだしてから一年ほどは特に変わったことはなかった。


 変化は、先代社長が急逝し、都会から戻った息子が新社長に就任してから始まった。

「形式」にうるさい新社長は、神棚の上の『雲』という紙を許さなかった。

「嘘はいかんよ、嘘は」

 朝礼で社長は神棚を指さした。

「紙に『雲』と書いたところで、上には休憩室があるし、さらに上には屋根がある。神様を騙しているようなものだ。株式会社として、コンプライアンス的にどうなんだ」

 コンプライアンスの意味が違う気がしたが、誰も何も言わなかった。 そして翌週、さっそく神棚の真上の天井が四角く切り抜かれた。二階の床もぶち抜かれ、屋根には天窓が設置された。

 これで神棚の上は正真正銘の「空」になったわけだ。 冬場は寒風が吹き下ろしてくるようになったが、サナエさんは無言で事務所の暖房の設定温度を上げただけだった。僕も黙ってハンドルを握った。


 それからしばらくして、路線の改定があった。 不採算路線が廃止されるのかと思いきや、追加されたのは奥地の山頂へ向かうルートと、高台の過疎集落へ向かうルートだった。

「社長、あんなところへバスを通して、客がいるんですか」 

 僕が日報を出しながら訊ねると、社長は満足げに頷いた。

「『高い』というのは良いことだ。上を目指す企業理念の表れだからね」

 しかし、それらの路線で客はほとんど乗らなかった。なのに、会社はなぜか儲かっている。新しいバスが二台も納入された。給料も遅延なく振り込まれている。だから僕もさして疑問に思うことなく、毎日急勾配の坂道を登り続けた。


「まだ足りないらしいわよ」

 給湯室でサナエさんがコーヒーを淹れながら言った。

「何がですか」

「高さよ」

 一日の業務を終え事務所に戻ると、工事業者が入っていた。

 屋上の天窓が外され、そこへ鉄骨のやぐらが組まれていく。神棚は事務所の壁から取り外され、やぐらの頂上に作られた祠へと移設されることになったらしい。

 神棚へ毎朝の水と榊を供えるのは、一番若手の僕の仕事になった。

 事務所から屋上へ上がり、そこからさらに垂直な梯子を十メートルほど登る。風が強い日は体が煽られ、手桶の水がこぼれて制服にかかる。

「業務の一環だ。労災も降りるから安心しろ」

 社長は下からメガホンでそう言った。


 バスの路線はさらに伸びた。

 今度は隣県の峠の頂上まで行くことになった。冬場はチェーン規制がかかる標高だ。乗客はゼロだった。僕は誰もいないバス停で時間調整をし、また山を降りる。ガソリン代の無駄ではないかと思ったが、経理のサナエさんが処理する伝票の桁は増える一方だった。

 ふと、書類の束に目が止まった。

「サナエさん、この勘定科目の『奉納費』って何ですか? 前は『接待交際費』でしたよね。あと、『売上』が『初穂料』になってますけど」

 サナエさんは老眼鏡の位置を直しながら、めんどくさそうにキーボードを叩いている。

「ソフトの仕様変更よ。気にしないで」

「はあ」

 まあ、僕としては給料が出るなら何でもいいんだけど。


 ある朝、出社すると、やぐらがさらに増築されていた。

 今度は足場用の鉄パイプが複雑に組み合わされ、避雷針よりも高く、空へ向かって突き立っている。神棚はその遥か彼方、霞んで見えないほどの高さに鎮座しているはずだった。

 僕はため息をつきながら、水を入れたペットボトルを腰に下げ、お米と榊の枝を入れたリュックを背負うとヘルメットをかぶり、ハーネスを装着した。これだけの高さになると、もう手桶を持っては登れない。

「気をつけてね」 

 サナエさんが下から声をかけてくる。

「また高くする話、出てるみたいよ」

「マジですか。これ以上高くしてどうするんです」

「なんでも、次の株主総会で定款を変えるんですって。株式会社じゃなくなるらしいわ」

「へえ、有限会社に戻るんですかね?」

「さあねえ」

 サナエさんは興味なさそうに、自分のデスクへと戻っていった。手には『御神酒』とラベルの貼られた一升瓶を持っている。おそらく、僕が降りてきたらもう一回、あれを上に運ばせるつもりだろう。

 僕は鉄パイプに足をかけ、登り始めた。


「次からちょっと楽になるみたいよ」

 給湯室でサナエさんがイチゴ大福をほおばりながら言った。

「何がですか」

「神棚のお世話」


 翌週、事務所の壁が一部取り壊され、ガラス張りの立派なエントランスが作られた。そこには、不釣り合いなほど最新式の高速エレベーターが設置されていた。

「社長がね、毎朝の梯子登りは業務効率が悪いって。最新式よ。これで往復の時間が三十分短縮できるわ」

 サナエさんは新しい備品の減価償却についてブツブツ言っていたが、僕は正直助かったと思った。あの高さまで自力で登るのは、そろそろ限界だったからだ。

 僕はエレベーターに乗り込んだ。

 ボタンは「地上」と「天上」の二つしかない。 静かな駆動音と共に、箱は滑らかに上昇を始める。ガラス張りのエレベーターからは、眼下の景色が一望できた。 駐車場に並んだバスたちが、ミニカーのように小さくなっていく。 僕の担当車が、整備場に入っているのが見えた。タイヤをさらに巨大なものに履き替え、車高を上げているところだ。最近追加された路線は、雲を突き抜けるような山頂や、人が住んでいるかも怪しい高地の集落ばかりだ 。車高を上げないと物理的に走れないらしい。

 気圧の変化に負けて、耳がつんと痛くなった。


『まもなく、天上です』

 女性の声のアナウンスが流れ、ドアが開いた。

 そこは雲の上だった。 突き抜けるような青空の下、風が吹き荒れている。鉄骨の足場だけの無機質な空間に、小さな祠が置かれ、白木の神棚だけがポツンと収められていた。

 僕は榊の水を替え、二礼二拍手一礼をする。

 作法は完璧だ。マニュアル通りにこなす。

 地上に戻ると、サナエさんが新しい制服の入った箱を抱えて待っていた。

「お疲れ様。明日から制服が変わるから、サイズ確認しておいて」

「またですか? デザイン、今のままで良くないですか」

「社長の意向よ。ほら、ここ」

 サナエさんが指差したのは、胸元の刺繍ワッペンだった。昨日までは「○○バス株式会社」と書かれていたはずの場所だ。新しい刺繍は、金糸で複雑な文様が描かれており、文字は**「○○バス大社」**と書かれていた。

「……サナエさん、『株式会社』が抜けてますよ」

「いいのよ」 

 サナエさんは興味なさそうに、古い制服を回収ボックスへと放り込んだ。

「登記が変わったの。税金関係の処理が全部変わるから、私はこれから残業よ」

「へえ、大変ですね」

 僕は新しい制服を広げてみた。生地は今までより上等で、手触りがいい。

「まあ、給料が出るなら何でもいいです」

 僕は着替えるために更衣室へ向かった。

 明日も始発は早い。バスが走る場所がどれだけ高くなろうと、僕のやることはハンドルを握ることだけだ。

 空はどこまでも青く、業務は滞りなく回っていた


(了)


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仕様変更~それは、業務の一環だった~ 純友良幸 @su_min55

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