『追放された終焉公爵は余命五年らしいので、帝国を潰してから死ぬことにした』
@saijiiiji
第1話
プロローグ:断罪
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玉座の間は、静寂に満ちていた。
黄金に輝く天井、大理石の床、壁を彩る歴代皇帝の肖像画——アルカディア神聖帝国の威信を象徴するこの空間に、今は冷たい緊張が漂っている。
俺は、その中心にいた。
両手首を繋ぐ鎖が、かすかに音を立てる。銀色の拘束具には封印の紋様が刻まれ、俺の魔力を押さえ込んでいる。
膝をつけ、と言われた。
断った。
だから今、二十人ほどの騎士が俺を囲んでいる。全員が剣の柄に手をかけ、いつでも抜けるように構えている。
馬鹿らしい。
この程度の拘束で俺を抑えられると思っているのか。本気を出せば、この鎖など一秒で引きちぎれる。騎士どもを皆殺しにして、玉座の間を血で染めることもできる。
——やらないが。
いや、正確には「やれない」か。
親父が、大人しくしていろと言った。暴れれば、弟の命はないとも。
チッ、と心の中で舌打ちする。
「レオンハルト・ヴェルトール・グリューネヴァルト」
高い声が、広間に響いた。
玉座の前に立つ宰相——痩せぎすの老人が、羊皮紙を広げている。
「本日、汝をこの場に召喚したのは、汝に対する重大な告発があったためである」
告発。
ああ、そうだろうな。
「三日前の夜、皇太子殿下の寝所に何者かが侵入し、殿下の御命を狙った。幸いにも殿下は無事であられたが——」
宰相の目が、俺を射抜く。
「侵入者は、終焉公爵家の紋章を持っていた」
ざわり、と空気が揺れる。
貴族たちが囁き合う。俺の背後で、騎士たちの殺気が増す。
「加えて、目撃者がいる」
宰相が手を振ると、広間の扉が開いた。
現れたのは、見覚えのある顔だった。
——アルベルト。
俺の従者だった男。五年間、影のように付き従っていた男。
その男が、今、俺を告発する証人として立っている。
「アルベルト・ホフマン。汝が見たことを述べよ」
「はい」
アルベルトは俺を見なかった。視線を床に落としたまま、震える声で言った。
「三日前の夜、私は——レオンハルト様が、部屋を出ていくのを見ました」
嘘だ。
「その手には、抜き身の剣がありました」
嘘だ。
「そして、レオンハルト様は——『皇太子を殺す』と、仰いました」
——嘘だ。
広間がどよめく。貴族たちの視線が俺に集中する。
俺は、アルベルトを見つめた。
目が合わない。合わせようとしない。
買収されたか。脅されたか。家族を人質に取られたか。
どれでもいい。
「なるほど」
俺は口を開いた。
「それで?」
宰相が眉をひそめる。
「それで、とは何だ」
「証人は一人か? 物証は? 動機は? ——俺が皇太子を殺す理由はなんだ」
「そ、それは——」
「三日前の夜、俺は確かに部屋を出た」
広間が静まり返る。
「皇太子の寝所に向かった、それも事実だ」
囁きが広がる。騎士たちが剣を抜きかける。
「——刺客を追って、な」
沈黙。
「侵入者がいるという報せを受けた。俺は駆けつけ、刺客を斬った。皇太子の喉元に刃が届く寸前でな」
俺は玉座を見上げた。
そこには、皇帝と——皇太子が座っている。
皇太子フリードリヒ・フォン・アルカディア。十六歳。俺より二つ下の、ひょろりとした少年。
三日前、俺が命を救ってやった男。
「なあ、皇太子殿下」
俺は薄く笑った。
「俺の剣が、あんたの喉を守ったこと——覚えてるよな?」
皇太子の顔が強張る。
目が泳ぐ。唇が震える。
「私は……」
「フリードリヒ」
隣に座る皇帝が、低い声で遮った。
「答えなくてよい」
「し、しかし父上——」
「黙れ」
皇帝の一言で、皇太子は口を閉じた。
俯いたまま、小さく震えている。
ああ、そういうことか。
俺は理解した。
この茶番の台本を書いたのは、皇帝自身だ。
「終焉公爵」
玉座から、皇帝の声が降ってくる。
ヴァルター・フォン・アルカディア。五十代半ばの、威厳ある男。——のはずだった。
今、俺の目に映るのは、恐怖に怯える老人だ。
「グリューネヴァルト家は、代々帝国に仕えてきた」
皇帝は言う。
「しかし、その力は——あまりにも強大になりすぎた」
そういうことか。
「辺境を守る盾であったはずの汝らは、今や帝国そのものを脅かす存在となった」
そういうことだったのか。
「皇太子暗殺の企ては、その野心の表れに他ならない」
最初から、こうするつもりだったのだ。
グリューネヴァルト家を——潰すつもりだったのだ。
「よって——」
「つまらねえ」
俺は遮った。
皇帝の目が見開かれる。
「な、何だと」
「つまらねえって言ったんだよ、陛下」
俺は笑った。
腹の底から、嘲笑が込み上げてくる。
「濡れ衣を着せるにしても、もう少しマシな芝居を打てなかったのか? 証人一人、物証なし、動機も不明——こんな杜撰な茶番で、帝国最強の公爵家を潰せると思ったか?」
「貴様——!」
「ああ、思ったんだろうな」
俺は皇帝を見据えた。
「なんせ、俺の親父は既に捕らえた。弟も人質に取った。俺が暴れれば、二人とも殺す——そういう手はずだろ?」
皇帝の顔が引きつる。
図星だ。
「グリューネヴァルト家が怖いか、陛下」
俺は一歩、前に出た。騎士たちが剣を構える。
「『終焉』の力が怖いか。俺たちがいつか反旗を翻すんじゃないかと、夜も眠れなかったか」
「黙れ!」
「安心しろよ。俺たちにそんな野心はなかった。——なかったんだよ、今日までは」
鎖が軋む。
封印の紋様が、かすかに明滅する。
「だが、まあ——」
俺は肩をすくめた。
「お前がそこまで俺たちを恐れるなら、いつか本当に反逆してやってもいい。今日の礼はきっちり返す——覚えとけ」
「こ、この——無礼者がッ!」
皇帝が立ち上がる。その顔は恐怖と怒りで歪んでいる。
「者ども、この男を——」
「陛下」
静かな声が、広間に響いた。
俺の背後から、一人の男が進み出る。
白い法衣、金の装飾、胸には七芒星の紋章——聖教会の大司教、グレゴリウス・サンクトゥス。
帝国の宗教的権威の頂点に立つ男。
「ここは私にお任せを」
大司教は穏やかに微笑んだ。その目は、俺を見ている。
冷たい目だ。
爬虫類のような、感情のない目。
「終焉公爵。いえ——レオンハルト」
大司教が近づいてくる。
「あなたの罪は重い。しかし、神は慈悲深い」
「神? あんたらの飼い犬のことか?」
「ふふ。相変わらず、口の悪いお方だ」
大司教が俺の前で立ち止まる。
「死刑にはしません。教会の名において、あなたを——追放といたしましょう」
追放。
処刑ではなく、追放。
——嫌な予感がする。
「帝国領内への立ち入りを禁じ、貴族としての身分を剥奪する。グリューネヴァルトの名を名乗ることも禁止します」
大司教の手が、俺の胸に触れる。
「そして——」
その瞬間、俺の体を激痛が貫いた。
「ッ——!!」
声にならない悲鳴が漏れる。
体の中で、何かが凍りついていく。血が、骨が、魂が——凍っていく。
「『終焉凍結』。教会に伝わる古い秘術です」
大司教の声が、遠くに聞こえる。
「あなたの『終焉』の力を、あなた自身の命と結びつけました」
何を、言っている。
「今後、あなたが『終焉』の力を使うたびに——あなたの寿命が削られます」
「なッ——」
「全力を出せば、一瞬で死ぬでしょう。力を抑えれば、多少は長生きできるかもしれません」
大司教が微笑む。
慈悲深い、聖者の微笑み。
「残り寿命は——そうですね、五年といったところでしょうか」
五年。
たった、五年。
「どうぞ、その五年を大切にお使いください。——追放者として、野垂れ死ぬ五年間を」
俺は大司教を睨みつけた。
だが、体が動かない。呪いの激痛が、全身を縛りつけている。
「連れていけ」
皇帝の声がする。
騎士たちが俺を囲む。引きずり起こされ、広間の出口へ向かわされる。
視界の端で、貴族たちが俺を見ている。
蔑み、恐怖、安堵——様々な感情が入り混じった目。
玉座の上では、皇帝が冷たく見下ろしている。
皇太子は、俯いたまま顔を上げない。
大司教は、変わらぬ微笑を浮かべている。
そして——
「——待て」
広間の扉が、轟音と共に開いた。
現れたのは、漆黒の鎧を纏った長身の男。
黒い髪に、金色の瞳。俺とよく似た顔立ち。だが、表情は氷のように冷たい。
ヴィルヘルム・グリューネヴァルト。
俺の、父親だ。
「殿下」
父は玉座に向かって一礼した。だが、その声に敬意はない。
「息子の処遇は承知しました。しかし、一つだけ——」
「何だ、グリューネヴァルト公」
皇帝の声が震えている。
父を、恐れている。
「息子を城の外まで送ることをお許しください。それが——最後の親心というものです」
沈黙が広がる。
皇帝は迷っている。父を警戒している。しかし——
「……よかろう。ただし、城門までだ」
「感謝いたします」
父が俺の腕を掴む。
「行くぞ、レオンハルト」
「……親父」
「黙れ。歩け」
父に引かれ、俺は玉座の間を出た。
背後で、扉が閉まる音がした。
---
城の廊下を、俺たちは無言で歩いた。
俺を監視する騎士が十人ほどついてきている。父の背中が見える。広い背中だ。子供の頃から、ずっと追いかけてきた背中。
「親父」
「黙れ」
「……ユリウスは」
「聖都に送られた。教会の管理下だ」
弟は、人質か。
「お前は?」
「私はこの後、処分される。地下牢行きだろう」
「逃げろよ。お前なら——」
「ユリウスを見捨てろと?」
沈黙。
そうだ。弟を人質に取られている以上、親父は逃げられない。
俺だけが——逃げられる。
いや、違う。
「逃がされる」んだ。
「親父」
「何だ」
「なんで、俺を」
「……」
父の足が止まった。
城門の前。帝都の外へ続く門。
父が振り返る。
その顔は——いつもと変わらない。冷徹で、感情を見せない、完璧な公爵の顔。
「生きろ」
父が言った。
「五年と言われたそうだな。——五年あれば十分だ」
「十分? 何が——」
「お前は私を超える」
父の手が、俺の肩を掴む。
その手が、かすかに震えていた。
「グリューネヴァルトの誇りを忘れるな。お前は——俺の、息子だ」
「……親父……」
「行け」
父が俺を突き飛ばす。
同時に——父の体から、膨大な魔力が噴き出した。
「なッ——!?」
騎士たちが悲鳴を上げる。
父の「終焉」の力。普段は完全に制御されているそれが、今、解放されている。
「行け、レオンハルト!」
「だが、お前は——!」
「私のことは気にするな! 走れ!」
騎士たちが父に斬りかかる。父がそれを迎え撃つ。
剣戟の音。悲鳴。血飛沫。
俺は——走り出した。
振り返らない。振り返れない。
振り返ったら、戻りたくなる。
戻っても、何もできない。今の俺には——何も。
「くそッ——!」
城門を抜ける。帝都の街並みを走り抜ける。
人々が振り返る。叫び声が聞こえる。追っ手が来る。
関係ない。走れ。走れ。走れ——!
---
城壁を越えた。
帝都の外。広大な平原が広がっている。
太陽が沈みかけている。赤い光が、世界を染めている。
俺は走り続けた。息が切れる。足が痛む。胸の奥で、呪いが疼く。
どれだけ走っただろう。
追っ手の気配が遠ざかった頃、俺はようやく足を止めた。
振り返る。
帝都の城壁が、遥か遠くに見える。
あの中に、親父がいる。弟がいた。俺の全てがあった。
今は——何もない。
「五年、か」
呟く。
声が、枯れている。
大司教の声が蘇る。
『残り寿命は——そうですね、五年といったところでしょうか』
五年。たった五年。
俺は、十八だ。つまり——二十三歳で死ぬ。
笑える。
「ハッ——」
笑いが漏れた。
乾いた、何の感情もない笑い。
生まれてから十八年、俺は最強だった。グリューネヴァルト家の嫡男。「終焉公爵」の二つ名。帝国最強の神話継承者。
誰にも負けなかった。何をやっても一番だった。退屈で、つまらなくて、生きている実感がなかった。
それが——今日、全部終わった。
家も、名も、力も、寿命も——全部、奪われた。
「……くそ」
膝をつく。
地面に手をつく。
砂利が手のひらに食い込む。痛い。痛みを感じる。生きている証拠だ。
「くそ……!」
拳で地面を殴る。
一度。二度。三度。
血が滲む。痛みが走る。それでも、止められない。
「くそ……くそ……っ!」
悔しい。
悔しい、のか?
違う。
悔しいんじゃない。
——怒っているんだ。
俺を陥れた奴ら。濡れ衣を着せた奴ら。親父を捕らえ、弟を人質に取り、俺の全てを奪った奴ら。
許さない。
「絶対に——」
顔を上げる。
帝都の方角を睨みつける。
「絶対に、許さねえ」
立ち上がる。
足が震えている。体が重い。呪いが全身を蝕んでいる。
それでも——立てる。
「見てろよ」
呟く。
誰に言っているのか、自分でも分からない。
皇帝か。大司教か。俺を裏切った奴らか。
それとも——自分自身か。
「五年で十分だって、親父は言った」
一歩、踏み出す。
「なら——五年で終わらせてやる」
何を終わらせる?
復讐? 違う。そんな単純な話じゃない。
弟を助ける。親父を助ける。グリューネヴァルトの名誉を取り戻す。
そして——俺を陥れた奴らに、思い知らせる。
誰が正しくて、誰が間違っていたのか。
「俺はまだ、終わってねえ」
夕陽が沈んでいく。
闇が、世界を覆い始める。
俺は歩き出した。
どこへ向かうかも分からない。何をすればいいかも分からない。
ただ一つ、分かっていることがある。
——俺は、生きる。
五年だろうが、一年だろうが、一日だろうが。
最後の一秒まで、足掻いてやる。
「終焉公爵レオンハルト・グリューネヴァルト——」
闇の中、俺は嗤った。
「今日から、反逆者だ」
---
# プロローグ:終
---
**▼ 次話予告**
追放された終焉公爵は、辺境の町で一人の少女と出会う。
銀色の髪、金色の瞳——奴隷として売られようとしていた彼女の正体は。
**第一話「名無しの剣士」**
*「助けた理由? さあな。気まぐれだ」*
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