第6話 隣を立てた日、彼女は血を隠す

あれから、二年の月日が流れた。


森の奥。

朝靄がまだ地を離れきらない訓練場に、一直線の魔力が走る。

次の瞬間――

轟音とともに、大木が根元から裂け、重たい音を立てて倒れ伏した。


「……」


ルイは、しばらく自分の両手を見つめていた。

震えはない。息も乱れていない。

切り倒したのは、何十年もこの森に立ち続けてきた硬木だった。


「……やった」

ようやく零れた声は、かすれていた。

「やったよ、スミレ」

振り返ると、少し離れた場所でスミレが立っている。

その表情は、どこか安心したようで――そして、誇らしげだった。


「うん。今の、ちゃんと抑えられてた

 力に振り回されてない」

「本当か?」


「本当」


スミレは、迷いなく頷く。


「君はもう、守られる側じゃない」


その言葉に、ルイの思考が一瞬止まった。

次の瞬間、耳まで熱くなる。


二年前――

視界も、足も奪われたスミレの前で、ただ立ち尽くすことしかできなかった自分。


その記憶が、少しずつ遠ざかっていく。


「これで俺も…隣に立てるかな」


「もう、立ってるよ」


スミレはそう言って、小さく笑った。


その笑顔を見て、ルイは胸の奥が苦しくなる。



「じゃあ、私は少し一人でやってくるね」


そう告げて、スミレは森のさらに奥へと歩き出す。

人の気配が、完全に消える場所へ。


「危険だから」とは、誰も言わなかった。



「…なぁ、ルイ」


訓練場に残った静けさの中で、シュンが腕を組んだまま口を開いた。


「お前さ」


「?」


「いつ、姉上に告白するんだ?」


「――――は?」


世界が、一拍遅れて動き出す。


「な、ななな何を急に…!?」


ルイは慌てて視線を逸らし、顔を真っ赤にする。


「村の連中、もう全員気づいてるぞ」

「お前が姉上を見る時の目」


「え…」


リリナが、くすりと笑った。


「私たちもね。ルイなら、姉さまを任せてもいいかなって思ってる」


「なっ……!?」


限界だった。

ルイはしゃがみ込み、両手で顔を覆う。


「…隠してた、つもりだったのに…」


「無理だな」


シュンは即答した。


「姉上が少し咳しただけで、顔色変わるんだから」


「…っ!」


視線の先で、スミレがこちらを振り返る。

何も知らず、穏やかに微笑んで。


(告白、か…)


強くなった。

守れる力も、確かに手に入れた。


――それでも。


その想いを口にする覚悟だけが、まだ足りない。


「…今は、まだ」


小さく呟くと、シュンの拳が軽く頭に落ちた。


「なら、生き残れよ」


「…え?」


「告白する前に死んだら、笑えねぇだろ」


その言葉の重さを、

この時のルイは、まだ知らなかった。



スミレは、森の奥で魔力を解放する。


二年前とは、比べものにならない。

制御を誤れば、人一人など簡単に消える。


(…大丈夫)


そう言い聞かせた瞬間――

喉の奥に、焼けるような違和感が走った。


「っ…」


口元を押さえる。

指の隙間に、赤が滲む。


「…まだ、平気」


膝をつき、呼吸を整える。


「時間は…まだある」


木陰から、二つの小さな影が現れた。


「スミレ、本当に言わなくていいです?」

「このままだと、身体が―」


氷の精霊レイと、歌の精霊レイン。

その存在を知る者は、四人しかいない。


「いいの」


スミレは、静かに首を振った。


「あの子たちには…」

「笑っていてほしいから」



――ドォン。


地鳴りのような音が、村の方角から響いた。

黒煙が、空へと立ち昇る。


「…!」


スミレは血を拭い、駆け出した。



村の入口に立っていたのは、一人の男だった。


その場にいるだけで、空気が歪む。

魔人族たちは、息をすることさえ苦しそうにしている。


「ここが…例の村か」


男は退屈そうに呟いた。


「“最強”がいると聞いたが…

 随分、静かだな」


誰も動けない。


――ただ一人を除いて。


「ここは、あなたが踏み込んでいい場所ではありません」


前に出たのは、メイサだった。


「名を名乗りなさい」


男は、楽しそうに笑う。


「いいだろう」

「グレイル・アントローネ。魔人王だ」


その瞬間、姿が消えた。

「――!」


気づいた時には、剣がメイサに迫っていた。

だが、その刃は空を切る。


高音が、空間を震わせた。


『アァァーー!!』


音は、敵にだけ牙を剥いた。


次の瞬間、魔人族の半数が、内側から崩れ、霧となって消えた。


「…なるほど」


グレイルは、口角を上げる。


「確かに強い。だが――」


一閃。


血が舞った。


「母さん!!」


「首を狙ったつもりだったが…避けたか」


メイサは後退しながらも、立ち続けている。


その光景を見た瞬間、スミレの脳裏に、

七年前の記憶が、叩きつけられた。



血の匂い。

見えない世界。

リリナの叫び。

そして...

『だって…大切な友達だもん』



「…やめて」


声が震える。


「お願いだから…もう…」


魔力が、制御を失い始める。


「もう…誰も…!」


叫びと同時に、空間が歪んだ。


残っていた魔人族が、一斉に霧となって消えた。


グレイルの視線が、スミレを捉える。


「…ほう」


その瞳が、細くなる。


「面白い。お前か」


次の瞬間、メイサが吹き飛ばされた。


「母さん!!」


「親子そろって...いい力だ 

 これは、神となる力を...」


グレイルが、スミレの前に現れる。


「だが――」


黒い血が、爪の形を成した。


「まだ弱い」


「っ!?イレイナ!!」


「ブラットクロー」


黒く濁った血が爪の形になりスミレを襲おうとした


だが、その場には誰もいなかった


気づいた時、全員が別の場所にいた。


「間に合った…」


そこに立っていたのは、一人の女。


その魔力は、圧倒的な存在感を放っている。


「誰だ?」


グレイルの問いに、女は冷たく答えた。


「私は、世界樹より最初に生まれし者」


その視線が、まっすぐ魔人王を射抜く。


「歌と氷の大精霊、イレイナ」


村は、完全な静寂に包まれた。

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