白い手
青川メノウ
第1話 白い手
高校一年生の健治は、小さい頃からかわいがってくれた祖母の葬儀に、両親と一緒に参列した。
告別式が済んだ後、健治は大人たちと一緒にマイクロバスに乗って、火葬場まで行った。
そして、祖母の体が灰になるのを見届けて、まだ熱のこもる台車の上に残った、白いお骨を拾った。
係の人が神妙な面持ちで、この骨はどこどこのだとか、一つ一つ説明をするのを、長い箸を手に、ぼんやり聞いた。
「人って、さいごは、こんなふうになるんだ……」
非日常の景色に、健治はただ驚くしかなかった。
まだ多感な年頃だから、いちいちすべてのシーンが、脳に焼きついてゆく。
健治は、まるでドラマか映画でも見ているような、現実とも夢とも、形容し難い不思議な感覚に陥っていた。
係の人の指示にしたがって、遺骨が拾われ、台車を囲むように立つ大人たちの箸から箸へと渡されて、最後は骨壺に入れられた。
健治も回ってきた骨を箸ではさみ取り、次の人へ回した。
頭骨は、強い火力のために、ほかの部位の骨と同様、ガサガサになって、幾つかに壊れていた。
その一つに眼窩が見えて、頭骨だとはっきりイメージできたのだが、その穴に生前は祖母のやさしい目がおさまっていたなんて、到底思えなかった。
このカラカラに焼けた骨が、祖母の皮膚の下にあったなんて。
しかし、それは紛れもなく現実なのだった。
健治は現実と、自分の感覚とがうまくかみ合わず、思考が宙ぶらりんの状態になってしまった。
白い骨の中に、およそ似つかわしくない黒い物体があった。
周りの大人の話から、それが骨折の手術で入れた鉄のボルトらしいとわかった。
「こんなものを入れられていたなんて……」
生前は祖母を支えていたであろうものが、死んでからは逆に、ふさわしくないものに思えた。
喉ぼとけが大切だというのは、健治もなんとなく知っていた。
この時もやはり喉ぼとけだけは、とくに大切に扱われて、最後に慎重に納められた。
いわゆる一般的な喉ぼとけでなく、なんとかいう骨の部分だとの説明だった。
おおかた骨を入れてしまうと、残った細かい骨は、係の人が丁寧に小さな手帚で集めて、台車の上をきれいにした。
台車の上にはもうなにもなかった。
悲しいというよりも、虚しかった。涙は出なかった。
人はたいてい、理解しがたい現実は、すぐには受け入れられない。
思考が半ば固まった状態で、現状をただ黙って見つめることしかできない。
健治にとって、初めて体験する火葬は、正直言って、戸惑いの方が大きかった。
本当の悲しさは家に帰ってからふつふつと湧いてきた。
涙が溢れるような本物の悲しみは、故人の思い出といつもセットになっている。健治の場合も、心が落ち着いて初めて、祖母を思い出して泣いた。
◇ ◇
葬儀からひと月ほどたったある日、健治は部活で帰りが遅くなった。
自転車通学をしていた健治は、一人自転車にまたがり、帰りを急いだ。
もうすでに辺りは暗い。自転車の小さなライトだけが、頼りなく前を照らす。
健治が両親と暮らす街は、緑の山に囲まれ、美しい川が流れる、内陸の小さな地方都市だ。
通っている高校は、山手の高台にあった。
自宅のある街の中心からやや離れていて、家への帰り道は、途中で街灯もまばらな、暗い谷川沿いの道を通らねばならなかった。
男子生徒の健治にとっても、その道は普段からなんとなく気味が悪くて、あまり通りたくなかった。
だから、この日も健治は、その場所にさしかかると、早く通り抜けようと、ペダルを強く踏み込んだ。
若い筋力に、自転車はみるみる加速した。
最も気味の悪い箇所は、谷に沿う二百メートル程の区間だった。
そこだけ木々が茂っていて、通るたびに、暗闇からなにかがじっとこちらをうかがっているような気がして、背筋がぞっとした。
よし、このまま、いつものように、突っ切ろう、と思った。
ところが、なぜか途中で、突然ペダルが重くなった。
いくらこいでも、まともに前に進まなくなった。
「あれ、どうしたんだろう?」
車輪になにか、からまったのかなと思った。以前に似たようなことがあって、その時は、長いゴム紐が巻きついていたからだ。
健治はおそるおそる後ろを振り返った。
荷台の端に、ぼんやりと白いものがついていた。
「えっ、人の手?」
なんと、手首の先の手だけが、荷台をぐっとつかんでいた。
そうやって、自転車が前に行かないように、引き止めているのだった。
身が凍った。半ばパニックになってやみくもにペダルをこいだ。
でも、足がガクガクして、関節の動きがまるでかみ合わなかった。
夢の中でそうするみたいに、気持ちだけは焦るけれど、体に力が入らず、まともに足を踏み込めない。
「わああああああああ!」
健治は声を上げた。こういう時は、大きな声を上げると霊が逃げていくとか、聞いていたからだ。
すると大声の効果なのか、突然、自転車は今まで通り普通に前に進むようになった。
後ろを振り返ると、白い手は消えていた。
とにかく少しでも早く、その場から去りたかった。
健治は無我夢中でペダルをこいだ。
もう少しで通り抜けるかと思った時、再び自転車が進まなくなった。
後ろをゆっくり振り返る。
やはり手だ。荷台にしがみつくように、さっきと同じ白い手がぼんやりと見えた。
起こったことが信じられなくて、〈幽霊の正体見たり枯れ尾花〉のように、「勘違いや思い込みだったかも」というふうに、自分を納得させようとしていたのだったが、もう見間違いなどではなかった。
健治は叫んだ。
自転車はまたどうにか、走り出した。
この気味悪い出来事のために帰りが少し遅れた。
健治は心臓をずっとバクバクさせて、それでも、ようやく家のそばまでやってきた。
家の近くにはローカル線が通っていた。踏切を渡ればすぐに自宅だった。
健治が踏切のそばまで来ると、なにやら人で騒がしい。事故のようだった。
後で聞いた話では、踏切の制御装置の故障で、電車が来るのに警報も鳴らず、遮断桿も上がったままだったようだ。
それで歩行者が何人か踏切内に入ってしまって、走ってきた電車にはねられたという。
踏切を少し通過した所で電車が止まっている。
パトカーや救急車も来ていて、救急隊員の人が、心肺蘇生措置をおこなっている。
事故は起こったばかりのようで、ものものしい雰囲気だった。
健治は思った。「もう少し来るのが早かったら、巻き込まれていたかもしれない」その可能性は十分にあった。
「もしかして、あの手が止めてくれたのかな?」
健治にはそう思えてならなかった。
ふと、思い出した。お骨拾いで係の人が言っていたのを。
「右手の骨の手首から先が見当たりませんね」
そこだけ、たまたま炎の当たり方が強くて、すっかり焼けてしまったかもしれない、と、話していたが、腑に落ちない様子だった。
「あれは祖母の手だったのだろうか」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
とにかく、未だによくわからない不思議な出来事として、健治の記憶に残り続けている。
白い手 青川メノウ @kawasemi-river
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