世界の「汚れ」を肩代わりしてたゴミ拾い、組織をクビになった瞬間に世界がバグり始める 〜静かに暮らしたいのに、浄化された厄災(美少女)たちが離してくれない〜

新条優里

第1話世界の「汚れ」を飲み干した男

 鉄錆と腐った卵を混ぜ合わせたような、生理的な忌避感を伴う臭いが肺を焼く。  東京都、新宿ダンジョン最下層。そこは、探索者たちが「黄金」と「名声」を求めて蹂躙した後に残る、魔力の死骸の掃き溜めだった。


「……はぁ、……はぁ」


 俺――灰島はいじまレイは、泥濘のような黒いヘドロに両手を突っ込んでいた。これが俺の十年間。華やかなS級探索者たちが、煌びやかなスキルで魔物を屠り、高価な素材を持ち去った後の、汚い後始末。放置すれば有毒な瘴気を放ち、ダンジョンを暴走(スタンピード)させる世界の排泄物――『魔力残滓』の回収が、俺の仕事だ。


 俺が深く息を吸い込むと、ヘドロが生き物のように脈打ち、俺の腕の毛穴から体内へと吸い込まれていく。全身の血管を、熱した鉛が走り抜けるような激痛。


「ぐ、……ッ……」


 視界がチカチカと火花を散らすように明滅する。俺の肌には、煤けたような黒い痣が蔓延っている。他人が吸えば即死する不浄を、自らの体を『ゴミ箱』にすることで処理し続ける。その代償が、この全身を覆う醜い痣だ。世間じゃ、俺みたいなのは『特殊清掃員』なんて呼ばれてる。だがその実態は、ただの使い捨ての汚物入れに過ぎない。


(……回収率、九九・八パーセント。……これで、今日も、地上は『綺麗』だ)


 体内に入った呪毒が心臓を不規則に叩くのを感じながら、俺は膝をついた。指先は震え、吐き出した吐息すら黒く濁っている。だが、これでいい。俺が飲み込めば、その分だけ、誰かが吸う空気は澄み渡る。俺みたいな、親も身寄りもない、ダンジョン庁に拾われただけの人間には、これくらいしか価値がないんだ。


「灰島さーん! もう定時ですよ! 戻りましょう!」


 上層から、後輩職員の能天気な呼ぶ声が聞こえる。俺は重い体を引きずりながら、闇の底から地上へと這い上がり始めた。




【ダンジョン庁・特殊清掃課】


 庁舎に戻ると、待っていたのはいつも通りの冷ややかな視線だった。すれ違うエリート職員たちは、俺の肌の痣を見るなり、汚物を見るような目で露骨に距離を取る。  彼らが使っている「清潔な魔力」を維持するために、俺が何を飲み込んでいるのかなんて、誰も知らない。


(……まぁ、当然だよな。俺自身、自分が臭いのはわかってる)


 俺は無言で報告書をまとめ、課長のデスクへと向かった。だが、そこにいたのはいつもの気弱な課長ではなく、仕立てのいい高級スーツを着た見知らぬ男だった。


「君が灰島レイ君かね」


 男はシルクのハンカチで鼻を押さえながら、俺を値踏みするように見た。新任局長――毒島景時ぶすじまかげとき。半年前に就任して以来、効率化を盾に多くの現場人間を切り捨てていると噂の男だ。


「……はい」


「直球で言おう。本日付で、君は解雇だ。明日から来なくていい」


 その言葉に、俺の隣で端末を操作していた研究員の八ヶ崎怜奈やがさきれいなが、弾かれたように顔を上げた。


「……解雇、ですか」


 不思議と、驚きはなかった。むしろ、どこかでホッとしている自分がいた。


「そうだ。我が局はこれから、外郭団体から購入した『最新鋭・魔力浄化ポッド』を全面的に導入する。君のように、いつ暴走するかわからない、不潔な歩く汚染源を雇い続けるのはリスクでしかないんだよ。国家予算の無駄だ」


「毒島局長! それは無茶です! レイの『器』としての適正は、現在の計算モデルでは測定不能なほど――」


 八ヶ崎が必死に反論しようとしたが、毒島はそれを冷たく遮った。


「黙りなさい、八ヶ崎君。君の数理モデルは、この『ゴミ箱』を過大評価しすぎだ。代わりは機械で十分。……さぁ、灰島君。さっさと手続きを済ませたまえ。その体でいつまでも庁舎にいられては、清浄な魔力回路が汚れてしまうからね」


 俺は、机に置かれた解雇通知書を手に取った。十年間。一度も休まず、誰に褒められることもなく、ただ世界の汚れを飲み込み続けた日々。それが、一枚の紙切れで終わる。


「……分かりました。お世話になりました」


 俺は深く頭を下げた。いいんだ、これで。この体はもう、限界だ。以前、健康診断の結果を盗み見た限りじゃ、俺の寿命はあと一年持つかどうか。最後くらいは、誰にも嫌われない場所で、一人で消えたい。


 俺は、八ヶ崎の悲痛な叫びを背中に受けながら、思い出の何もない職場を後にした。




 レイがダンジョン庁のゲートをくぐり、その個人IDが完全に抹消された、まさにその瞬間だった。


「――っ!? 八ヶ崎君、何だこのアラートは!」


 毒島が椅子から飛び起きた。長官室のモニターが、見たこともない血のような赤色に染まり、警告音が建物全体を震わせる。


「数値が……跳ね上がっています! 新宿、渋谷、池袋……都内全域のダンジョン内の魔力圧が、異常上昇(オーバーフロー)しています! こ、これは、まるで――」


「バカな! 浄化システムはフル稼働させているはずだ!」


「違います……システムの問題じゃありません!」  八ヶ崎は震える指でキーボードを叩き、顔面を蒼白にした。


「灰島レイという『巨大な避雷針』がいなくなったことで、彼がこれまで無意識に吸引し、体内で中和し続けていた都内全域の『世界の歪み』が、行き場を失って逆流し始めたんです! 局長、今すぐ彼を連れ戻さないと、東京は不浄に飲み込まれます!」


「な……ッ!?」


 毒島が窓の外を見たとき、そこには先ほどまでの晴天はなかった。  雲一つなかった空に、バリバリとガラスが割れるような黒い「空間のひび割れ」が入り、そこからどす黒い霧が溢れ出し始めていたのだ。




【死の森・最深部】


 一方で俺は、新宿の喧騒から遠く離れた、奥多摩のさらに奥――通称『死の森』の深部にいた。ここはかつて高ランクダンジョンが崩壊した影響で、強力な呪毒が残留し、魔物すら近寄らないと言われる禁足地だ。


 旧友の情報屋、御子柴累みこしばるいが「あそこなら誰も来ねぇよ」と教えてくれた、俺の終焉の地。


「……はぁ、……っ、ごほっ」


 膝をつくと、口から黒いヘドロのような血が溢れた。限界だ。解雇されたショック……なんて高尚なもんじゃない。単に、俺という『ゴミ箱』の蓋が、もう閉まらなくなっただけだ。俺が死ねば、俺の中に溜まった十万人分を優に超える呪毒が、周囲に漏れ出すだろう。だから、最初から死んでいるこの森を選んだ。


(……寒、……いな……)


 俺は立ち枯れた巨木の根元に腰を下ろし、ゆっくりと目を閉じた。せめて最後くらいは、誰かを救った記憶じゃなく、自分が救われるような夢を見たい。そう願って、意識を手放そうとした、その時。


『――条件達成。個体名:灰島レイ。』


 頭の中に、無機質な機械音が響いた。


『外部からの魔力供給が途絶したことにより、内部エネルギーの再定義を開始します。  【世界のゴミ箱(不浄の器)】から【万象の調律炉(聖魔融合)】へと進化します。』


「……え?」


 次の瞬間、俺の全身を包んでいた激痛が、嘘のように消え去った。それどころか、俺の肌を覆っていた黒い痣が、内側から溢れ出す圧倒的な『白銀の光』によって、一瞬で浄化されていく。毒だと思っていた不浄が、十年の圧縮を経て、世界の理を書き換えるほどの純粋な神力へと昇華されていた。


 俺が腰掛けていた枯れ木が、一瞬にして青々と葉を茂らせ、天を突くような神木へと変貌する。周囲の地面からは、伝説級の薬草が絨毯のように咲き乱れた。


「なんだ、これ……俺は、死んだのか?」


 呆然と自分の手を見る。黒ずんでいた手の平は、透き通るように美しい肌に戻っていた。驚愕に震える俺の視界の端に、白い影が映った。


「……あ、……ぁ……」


 巨木の陰に、一人の少女が倒れていた。  ……見覚えがあった。いや、正確には、ダンジョン庁の『破棄物目録』の最深部に封印されていた写真と同じだった。


「まさか、……『閑鳴』か? 十年前、死の森ごと切り捨てられたはずの、……」


 閑鳴宵織しずなりいおり。かつて、この森に溢れ出した呪毒を一身に引き受けさせられ、そのまま「浄化不能」として、この地ごと社会から抹殺された悲劇の巫女。俺と同じだ。……いや、俺以上に、この世界に使い潰され、捨てられた犠牲者。


「……れ、……い、さま……?」


 彼女がゆっくりと目を開ける。その瞳に映るのは、不審者でも、ゴミ拾いの清掃員でもない。死の森を瞬時に楽園へと変え、後光を背負って立ち尽くす、唯一無二の『神』の姿だった。


「……ああ、ようやく……見つけました」


 少女の細い指が、俺のボロボロの作業着を力強く掴んだ。その瞳には、救済への感謝を超えた、あまりにも濃厚で、あまりにも重すぎるほどの情念が宿っていた。


「私の……私の、すべてを捧げるべき、お方……」


『八聖女:閑鳴宵織を【眷属】として登録しました』 『現在の信仰度:測定不能。世界ランクが上昇し、管理権限が付与されます』


 静かに、誰にも知られずに消えたかった俺の願いとは裏腹に。世界が、そして救われた彼女たちが、俺を逃さないとばかりに玉座へと押し上げようとしていた。

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