テンプレ通りに婚約破棄したい俺 vs 証拠保全が完璧すぎる公爵令嬢

抵抗する拳

第1話

「はぁ⋯⋯。どいつもこいつも、ざまぁ、ざまぁ、ざまぁか。世の中、そんなに他人の破滅が見たいのかね」


 俺――ガイルは物語製造局・悪役部門の薄暗いオフィスで、泥のような味がするコーヒーを啜りながら独りごちた。

 窓の外には無数の「物語世界」が泡のように浮かんでは消える神界の虚無が広がっている。俺たちの仕事はその泡の一つ一つに潜り込み、物語が円滑に進むための『悪役』を演じることだ。


 しかるに最近の仕事ときたらどうだ。

 デスクの上に放り出された最新の案件資料。表紙には、キラキラしたフォントでこう書かれている。


『真実の愛に目覚めた王太子、悪役令嬢を婚約破棄して聖女を選ぶ!』


 俺はその資料を忌々しげに指で弾いた。

「⋯⋯知能指数(IQ)設定:30。特記事項:自分の状況を客観視する能力を著しく欠く。趣味:ヒロインとのいちゃつき(公共の場を問わず)。ふざけるな。これを『人間』と呼んでいいのか?」


 俺だって、最初からこんな愚痴っぽい中間管理職だったわけじゃない。

 かつては、俺も「ちゃんとした」悪役をやっていたんだ。


 あの頃は良かった。

 例えば魔王として君臨し、勇者一行に「正義とは何か」を問いかけながら、最後の一撃で華々しく散る重厚なファンタジー。あるいは帝国の冷酷な宰相として国の繁栄のためにあえて汚名を被り、愛する王女にその手で殺される悲劇の悪役。


 あの頃の俺には哲学があった。美学があった。

 敵対する主人公と視線を交わしただけで互いの信念が火花を散らす。死の間際、主人公に「お前の生き様、見届けさせてもらったぞ⋯⋯」と声をかけられ、満足げに微笑んで消えていく。あれこそが悪役の醍醐味、プロの仕事だった。


 それが最近のトレンドときたら読者はもはや、悪役の背景なんて求めていない。


 ただムカつくバカが、ありもしない罪を主人公に着せ、公衆の面前で喚き散らし最後は論破されて無様に這いつくばるか、追い出した後に自滅するか。その「瞬間的なスッキリ感」だけを求めている。

 俺に求められるのは哲学ではなく「いかに読者をイライラさせ、いかに気持ちよく狩られるか」という、肉を柔らかくするための叩き棒としての役割だけだ。


「ガイル君。またそんな暗い顔をして。有給申請なら却下だよ?」


 背後から能天気な声がかかった。

 振り返るとそこには物語製造局の課長が立っていた。この部署を統括する「神」の一柱だが、見た目はただの定年前の冴えない公務員だ。


「課長。これ、また婚約破棄案件じゃないですか。先月も三件やりましたよ。しかも全部、夜会の会場で。いい加減、マンネリでこっちの精神が持ちません」

「ははは、何を言ってるんだ。いまだ市場が一番求めているのはこれなんだよ。AIが弾き出した最適解さ。君のようなベテランにしか任せられない、繊細な『バカさ加減』が求められているんだ」


 繊細なバカ。矛盾した言葉に頭が痛くなる。

 課長は俺の肩をポンと叩き、資料のページをめくった。


「今回の役はこれ。王太子アレクサンドル。君の今回の目標は公爵令嬢クリスティを冤罪で糾弾し、そのまま国外追放処分に持っていくことだ。その後の展開はクリスティが隣国の王子と結ばれて幸せになり、君は⋯⋯そうだな、家畜の世話でもして一生を終える『ざまぁ』ルートだ。どうだい? 楽しそうだろう?」


「⋯⋯家畜の世話。かつての魔王様が今や豚の餌やりですか」

「適材適所だよ。あ、それから今回のヒロイン役のミナちゃんだが新人教育も兼ねているから、うまくリードしてあげてくれ。設定は『あざとい男たらし』。君が得意なタイプだろ?」


 資料に添えられたヒロインの写真を見る。ピンク色の髪をふわふわさせ、語尾に「~ですぅ」とでも付けそうな、テンプレの塊のような女だ。


 一方でターゲットとなる悪役令嬢――クリスティの写真も見る。

 冷徹そうな銀髪の美貌。意志の強そうな碧眼。非の打ち所がない、完璧な貴族の娘。


「⋯⋯このクリスティって令嬢、ずいぶん賢そうですね」

「ああ、彼女はこの世界の『法と秩序』を司る、非常に優秀なパラメータ設定になっている。だからこそ、君がバカを演じて彼女を虐げることで、読者の同情票が集まるわけだ。論理なんていらない。ただ、叫べばいい。『貴様のような女は婚約破棄だ!』とな。簡単だろう?」


 論理がいらない。その言葉が俺のプロ意識をチクリと刺す。

 かつての俺なら相手の弱点や法律の穴を突き、正当な手続きで相手を追い詰めた。今の現場では「知的な悪」なんて求められない。ただ声が大きく、話が通じない無能。それが現代における悪役の定義だ。


「⋯⋯わかりましたよ。仕事ですからね。やりますよ」

「その意気だ! 期待しているよ、ベテラン。君の『バカ王子ムーブ』局内でも評判なんだから」


 課長は満足げに去っていった。

 俺は深く、深く溜息をつき、冷めきったコーヒーを一気に飲み干した。


「バカ王子ムーブ、か。⋯⋯情けなくて涙が出てくるな」


 俺は重い腰を上げ転送ゲートへと向かう。

 脳内では、すでに「アレクサンドル」という人格のインストールが始まっていた。

 IQが急激に低下し、思考が単純化されていく。視界が狭くなり、自分の欲望だけが正義だという歪んだ全能感が、プロの技術によって心を満たしていく。


 ああ、嫌だ嫌だ。

 まともな会話が成立しないバカを演じるのは、高い知性を要求される高度な演技なんだぞ。

 それを分かっていない読者や上層部には、一度この「思考停止の苦しみ」を味わわせてやりたい。


「⋯⋯よし、クソ案件、受領」


 俺は光のゲートをくぐり、煌びやかな夜会の喧騒へとダイブした。

 

 視界が、ぐにゃりと歪む。

 転送の衝撃。魂が無理やり肉体の隙間に押し込められる、あの不快な感覚。

 次に目を開けたとき、そこは、むせ返るような薔薇の香りと眩いばかりのシャンデリアの光に満ちた別世界だった。


(⋯⋯チッ、相変わらず派手なだけの悪趣味な会場だ)


 俺は内心で毒づきながら、隣で俺の腕に縋りついている『ヒロイン』――ミナを見た。

 安っぽい香水の匂いが鼻を突く。わざとらしく潤ませた瞳でこちらを見上げてくるが、その瞳の奥には計算高さが見え隠れしていた。


 物語製造局のキャスティング担当には、後で苦情を入れておく必要があるな。この、いかにも「男を惑わします」と言わんばかりのテンプレ造形⋯⋯予算をケチったのが丸出しだ。


「アレク殿下ぁ、ミナ、緊張しちゃいますぅ⋯⋯。こんな素敵なパーティー、私みたいな身分の者が来ても良かったのでしょうかぁ?」


 上ずった声。語尾にハートマークが見えそうな甘ったるい喋り方。

 彼女が俺の腕に胸を押し当ててくるが、不思議なほど心は動かない。というか感触が硬い。

 

(おい、ミナ役の新人。詰め物パッドを入れすぎだろ。腕に当たる感触がシリコンをぎゅうぎゅうに詰めたクッション並みに不自然なんだよ。そんなところだけ気合を入れる前に演技の基礎を学んでこい)


 俺は内心のツッコミは一切表に出さず事前に叩き込まれた「アレクサンドル」の人格を表面化させる。

 まずは顔筋のトレーニングだ。

 キリッとした王太子の美貌を台無しにするように、口角をだらしなく下げ、鼻の下を少し伸ばす。目はわざと焦点をぼかし「ぼく、真実の愛しか見えてません」というオーラを全身から発散させる。


「大丈夫だよ、ミナ。君は僕の太陽だ。この国で一番美しい女性なんだから胸を張っていていいんだよ」


 我ながら反吐が出るようなセリフだ。IQ30設定の脳みそなら、これくらいが関の山だろう。

 俺はミナを連れて会場の中央へとゆっくり歩を進める。

 周囲の貴族たちが一斉にこちらに注目した。驚き、困惑、そして蔑み。

 よし、いい反応だ。会場のボルテージは上がっている。


(音響、チェック。BGMが止まるタイミングは⋯⋯あの給仕が皿を置く瞬間だな。照明係の天使バイトも、スポットライトの準備はできているようだ。相変わらず現場はギリギリの人数で回してるらしいが、ミスるなよ)


 俺は歩きながら会場の隅々まで視線を走らせる。

 これは悪役としてのルーティンだ。舞台装置が完璧に機能しているか、プロの目で見極める必要がある。

 そして、その視線の先に彼女がいた。


 会場の喧騒から隔絶されたかのように凛として立つ一人の令嬢。

 銀糸のような髪を完璧にまとめ、夜の闇を溶かし込んだような深い紺色のドレスを纏った、クリスティ・フォン・ダイン公爵令嬢。


 今回のターゲットであり俺が最終的に「ざまぁ」される相手だ。


(⋯⋯ふむ。資料で見るよりずっと、隙がないな)


 彼女は、こちらを見ても表情ひとつ変えない。

 冷たい。そして恐ろしく美しい。


 彫刻のようなその美貌には知性と高潔さが溢れている。これこそが、かつての俺が相手にしていた「格調高い」登場人物のそれだ。


(なるほど。この完璧な令嬢が俺のようなバカ王太子に理不尽な糾弾を受け、そこから華麗に逆転劇を見せるわけか。⋯⋯確かに、これは観客(読者)にとっては堪らないカタルシスだろうな。いいだろう、クリスティ。君を最高に輝かせるために、俺は全力でクソ野郎を演じてやる)


 俺はプロのスイッチを完全に「オン」にした。

 心の中にあった事務的な憂鬱を押し殺し、悪役としての情熱を呼び覚ます。

 憎まれ、蔑まれ、最後には歴史のゴミ箱に捨てられる。

 それが今の俺に与えられた役割だ。


「⋯⋯そろそろか」


 俺は耳を澄ませた。

 オーケストラの演奏が最高潮に達してから静かにフェードアウトしていく。

 会場の照明が微かに、だが確実に俺とクリスティを中央に据えるように調整された。

 

 ミナが俺の腕を強く引く。それが「始めてください」の合図だ。

 俺は大きく息を吸い込み、喉の奥から最も傲慢で最も浅はかな声を作り上げる。


 よし、行くぞ。

 

「――クリスティ・フォン・ダイン! 前へ出ろ!」


 俺の咆哮が静まり返った夜会の会場に響き渡った。

 さあ、地獄の婚約破棄劇の開幕だ。

 俺はこの後、自分がどんな目に遭うかも知らずに勝利を確信した愚か者の笑みを浮かべた。


 衆人環視のなか、銀髪の令嬢――クリスティが優雅に、それでいてどこか冷ややかな足取りで一歩前へ出た。


 その氷の瞳が俺を射抜く⋯⋯が今の俺はIQ30のバカ王子だ。そんな視線など「俺の威光に怯えている」としか変換されない。


「クリスティ! 貴様のような邪悪な女は、わが国の王妃にふさわしくない! よって、今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」


 決まった。

 完璧なタイミング、完璧なセリフ回しだ。

 周囲の貴族たちから「ああ⋯⋯っ」という吐息のような溜息が漏れる。この物語が決定的に壊れる瞬間の静寂こそ、悪役としての最高のご褒美だ。


 さあ、クリスティよ。顔を覆って泣き崩れろ。「そんな、嘘ですわ殿下!」と叫び、醜く縋り付いてこい。それがお前の、この舞台における『仕事』だ。


 じっと待つ俺に対し、クリスティは微動だにしなかった。

 それどころか、彼女の背後に立つ観客たちから別の種類のどよめきが聞こえてきた。


「⋯⋯婚約破棄? 本気かよ⋯⋯」

「しかもこの夜会の最中に。殿下は本当に、救いようのない⋯⋯」

「しっ! 聞こえるわよ!」


(よしよし、いいぞ。周囲の『王太子はバカ』という認識が深まれば深まるほど、後の『ざまぁ』の爆発力は高まる。これも計算通りだ)


 俺はさらに畳みかける。隣でしなだれかかるミナの肩を抱き寄せ、これでもかとばかりに傲慢な笑みを浮かべた。


「貴様が犯した罪は、すでに調べがついているのだ! この心優しきミナに対し、貴様は⋯⋯昨日の午後二時、王宮の北階段において、わざと肩をぶつけて突き飛ばそうとしただろう!」


 会場に、失笑に似た空気が流れた。

 わかっている。わかっているんだ。冤罪の理由が弱すぎるだろう?

 「階段で肩をぶつけた」程度で婚約破棄なんて、まともな神経ならあり得ない。

 頼むから俺を責めないでくれ。この世界の王太子の知能指数設定は、たったの30なんだ。この「思いついたばかりの子供の嘘」レベルの糾弾が、今の俺に出せる全力の知略なんだ。


「う、ううっ、アレク殿下ぁ⋯⋯。あの時は本当に怖かったですぅ。ドレスの裾を踏まれて、あわや転げ落ちるところでしたぁ⋯⋯」


 ミナがわざとらしく目元をハンカチで拭う。

 いいぞ、新人。その「いかにもな嘘泣き」が、バカ王子の盲目っぷりを際立たせている。


「聞いたか、クリスティ! 見たか、この純真なミナの涙を! 貴様のような嫉妬に狂った女に、王族を名乗る資格はない! 大人しく罪を認め、国外へ去るがいい!」


 俺はビシィッ、と人差し指を彼女に突きつけた。

 さあ、来い。絶望の表情を見せてくれ。

 

 ⋯⋯ところが。

 クリスティの反応は、俺の想定とは正反対のものだった。


 彼女は泣かなかった。震えもしなかった。

 ただ、ふぅ⋯⋯と、深い、深いため息をついたのだ。

 それはまるで、出来の悪い子供の相手に疲れ果てた家庭教師のような、慈愛に満ちた(しかし底冷えするような)溜息だった。


「⋯⋯アレクサンドル殿下。一つ、よろしいでしょうか」


 凛とした声。震えなど微塵もない。


「なんだ、命乞いか? 見苦しいぞ!」

「いいえ。殿下がおっしゃる『昨日の午後二時、王宮の北階段』という状況設定について、客観的な事実確認エビデンス・チェックを行いたいだけです」


(⋯⋯客観的な、事実確認?)


 俺の脳内のプロ意識が、微かな警報を鳴らした。

 何かがおかしい。

 通常、この手のテンプレート令嬢は取り乱してパニックに陥るか、感情的に反論するものだ。

 だというのに、このクリスティの落ち着き方、彼女はまるでこの瞬間を予期していたかのように、ドレスの隠しポケットから、一つの魔導端末――この世界における最新鋭の記録媒体を取り出した。


「まずは、現場の状況から整理しましょうか。殿下、お手元の時計をご確認ください」


 彼女の指が魔導端末の表面を滑らかに滑る。

 俺は、嫌な汗が背中を伝うのを感じた。


 待て。おい。

 その機械、何だ? この世界の文明レベルに、そんな「証拠保全」ができそうなガジェットが存在していいのか?


 静まり返った広間にクリスティの涼やかな声が響く。

 それは糾弾された者の悲鳴でも、無実を訴える絶叫でもなかった。淡々と事実を積み上げる、法廷での陳述のような響きだった。


「殿下、まずはその『昨日の午後二時、王宮の北階段』という点についてですが」

 彼女は手にした魔導端末を宙に掲げた。端末から放たれた青白い光が、空中にいくつかの魔法文字と図表を投影する。


「こちらは王宮警備部が管理する『魔力感知式・通行記録ログ』の複製です。昨日の午後二時前後、北階段を通過した個人の固有魔力波形を確認したところ、私の魔力は一切検知されておりません。それどころか、その時刻、私は王立図書館の特別閲覧室におりました」


(⋯⋯は? ログ? 魔力波形?)

 俺の脳内で、プロの悪役としての矜持がガラガラと音を立てて崩れ始めた。

 待て待て待て。聞いてないぞ。この世界の文明レベル、せいぜい「魔法がある中世ヨーロッパ風」じゃなかったのか? なんで警備部がIT企業みたいなログ管理をしてるんだよ。


「こちらが図書館の入館記録および、私に応対した司書三名の署名入り供述書です。私は午後一時から四時まで、一歩も外に出ておりません。さらに――」


 クリスティは淀みなく続ける。

「――閲覧室に設置されていた『監視の瞳セキュリティ・オーブ』の記録映像も、公爵家の法務部を通じて正式に差し押さえ、保全済みです。殿下、ご確認いただけますか?」


(法務部!? 証拠保全!?)

 俺の内心はパニックだ。

 おい、この令嬢、前世は敏腕弁護士か何かか? それとも国家安全保障局の局員か? 隙がなさすぎて俺が脳内で必死に練り上げた「お粗末な捏造台本」が、見るに堪えないゴミクズと化している。


「な、なんだそれは! そんな紙切れ、いくらでも偽造できるだろう! ミナが現にこうして、貴様に突き飛ばされたと言っているのだぞ!」

 俺はバカ王子のキャラを維持するため、顔を真っ赤にして叫ぶ。必死だ。首の筋を立ててIQ30の意地を見せる。


「ミナ様、その件についても少しお伺いしたいことが」

 クリスティの矛先がミナに向いた。


「殿下は、ミナ様が『ドレスの裾を踏まれて転げ落ちそうになった』とおっしゃいました。そしてミナ様もそれを肯定されましたね?」

「えっ、ええ⋯⋯。そうですぅ。クリスティ様が、あんなに怖い顔で私のドレスを⋯⋯」

 ミナが震えながら答える。よし、いいぞミナ。そのまま被害者面を突き通せ。


「おかしいですね。ミナ様が本日お召しになっているそのドレス、昨日着用されていたものと同じですね? 『階段で踏まれて破れた』はずの裾ですが――」

 クリスティは優雅な所作でミナの足元を指し示した。


「――先ほど、公爵家お抱えの『繊維鑑定士』が遠隔で視覚魔法を用い、そのドレスを精査いたしました。結果、裾の切断面は『踏まれたことによる引きちぎれ』ではなく、鋭利な刃物⋯⋯そう、裁縫用の鋏によって、意図的にカットされたものだと判明しました。こちらが鑑定書および、拡大投影された断面写真です」


 空中に、ミナのドレスの繊維が顕微鏡レベルで拡大された画像が浮かび上がった。

 一目瞭然だった。繊維は美しく、スパッと切り揃えられている。


(⋯⋯鑑定士。繊維鑑定士だと!?)

 俺は絶望した。

 テンプレートの世界で、なんでそんなガチの科学捜査(CSI)が始まってるんだよ!

 法廷に提出しても勝てるレベルのエビデンスを揃えてくるんじゃない!


「やめろ⋯⋯やめてくれ⋯⋯整合性を持ち出すな⋯⋯」

 思わず本音が漏れそうになるのを、俺は必死で「バカの激昂」という形に変えて吐き出す。


「うるさいうるさいうるさい! 鑑定なんてどうとでもなる! ミナが嘘をつくはずがないんだ! 彼女は平民で、純真で、僕の太陽なんだぞ!」


(おいミナ! 何とかしろ! 泣いて誤魔化せ! 上目遣いはどうした! いつもみたいに『ひどいですぅ~』って言って、俺の胸に飛び込んでこい!)


 俺は隣のミナに視線を送るが、彼女はすでに蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。

 無理もない。目の前に並べられたのは感情論が一切通用しない「詰み」の盤面だ。新人の彼女に、この論理の暴風雨を凌ぐスキルがあるはずもない。


「殿下」

 クリスティの声が、さらに一段低くなった。

「冤罪による婚約破棄、ならびに根拠なき名誉毀損。これらは我が公爵家と王家の間に結ばれた『建国誓約』の第十七条に抵触いたします。この場での謝罪と発言の撤回が行われない場合、私は直ちに貴族院へ提訴し、殿下の王位継承権の適格性調査を請求いたします」


(⋯⋯『建国誓約』の第十七条? 適格性調査?)


 俺はガクガクと膝が笑い出した。

 もうダメだ。この世界、設定が緻密すぎる。

 俺が受領したはずの「テンプレートな婚約破棄」というクソ案件は、いつの間にか「法治国家における王太子の自爆ショー」へと変貌を遂げていた。


 周囲の貴族たちの視線が痛い。

 さっきまでの「バカな殿下だ」という嘲笑が、今や「この無能をどうやって穏便に社会から隔離するか」という冷徹な計算へと変わっているのが肌で分かる。


 クソッ、上司の野郎⋯⋯「簡単だ」なんて言いやがって。

 この令嬢、ただの悪役令嬢じゃない。

 物語の世界に迷い込んだ、究極の「現実主義者」だ。


「――ええい! ええい! ええええええい!!! 黙れ黙れ黙れ!!! 黙れと言っているんだ!!!」


 俺は頭を抱え、獣のように咆哮した。

 もう論理ロジックで勝てないことは分かっている。IQ30の脳みそがオーバーヒートして、耳の裏あたりから煙が出そうだ。こうなったら、悪役としての最終奥義を繰り出すしかない。


「衛兵! 衛兵はいないのか! この無礼な女を今すぐ捕らえろ! 王族を愚弄した罪で、地下牢に叩き込んでくれる!」


 力による強行突破。これこそが話の通じないバカ王子の真骨頂だ。

 会場の重厚な扉が開き、甲冑の音を響かせて衛兵たちがなだれ込んでくる。よし、来た! このままクリスティを乱暴に連行すれば、彼女の「悲劇のヒロイン度」は跳ね上がり、俺の「クズ度」もMAXに達する。シナリオの軌道修正はまだ可能だ!


 しかし現れた衛兵隊長――筋骨隆々のベテラン、カイルスが俺の前で立ち止まり、あろうことか深々と溜息をついた。


「⋯⋯殿下。大変申し上げにくいのですが、現行犯でもない公爵令嬢の身柄拘束には、王立最高法務局の発行する『緊急拘引許可状きんきゅうこういんきょかじょう』の提示が必要です」


「⋯⋯は? きんきゅうこう⋯⋯何だって?」

 俺は呆気に取られた。


「加えて、先ほどクリスティ様が提示された数々の証拠と論理的な反論を鑑みるに、現在、不当な拘束を行おうとしているのは殿下の方であると判断せざるを得ません。法規第百二十一条に基づき、私はこの命令を拒否します」


(法務局⋯⋯? 法規第百二十一条⋯⋯?)


 俺の頭の中の「悪役マニュアル」が、激しく火花を散らしてショートした。

 おい、衛兵隊長。お前までクリスティに買収⋯⋯いや、法的に丸め込まれてるのか!? ここはファンタジー世界だろう? 王子の「捕らえろ!」の一言で、有無を言わさず令嬢が引きずられていくのが様式美だろうが!


「法務局ってなんだ! 王権は絶対じゃないのか! この国の王は僕の父上なんだぞ!」

「王権神授説は先代の王が公布した『立憲君主制移行宣言』により、既に象徴的なものに制限されております。殿下、教育課程で学ばれたはずですが⋯⋯」


 カイルスの冷ややかな視線が突き刺さる。


 なん⋯⋯だと⋯⋯? 俺は、俺は設定資料集(マニュアル)の「世界情勢:政治形態」の項目を読み飛ばしていたのか!? テンプレートだと思って油断していたが、この世界コンプライアンスが「令和」並みにしっかりしてやがる!


 追い打ちをかけるように俺の腕にしがみついていた温もりが、不意に消えた。


「⋯⋯あの、アレク殿下」

 ミナが、スッと俺から距離を取った。

 その瞳には、さっきまでの媚びを含んだ輝きはなく、ただ冷徹な保身の光だけが宿っている。


「実は⋯⋯私、怖かったんですぅ。殿下に、クリスティ様を陥れる嘘をつけって、毎晩脅されて⋯⋯拒んだら私の実家の八百屋を潰すって⋯⋯。私、殿下に従うしかなかったんですぅ⋯⋯(ポロポロ)」


(⋯⋯おい)

 俺は隣で泣き崩れる新人(ミナ)を二度見した。

 お前、今なんて言った? 脅された? 八百屋を潰す?

 そんな設定、一文字も台本に書いてなかっただろ!


 自分だけ助かろうとして、設定を根底から覆すようなアドリブを入れるな! これじゃ俺、ただのバカ王子じゃなくて「権力を笠に着たガチの犯罪者」になっちまうだろ!


 だが観客(モブ)たちの反応は、俺の予想とはまた別の方向へ転がっていった。


「⋯⋯おいたわしや」

「やはり、そうだったのですね。殿下は⋯⋯その、少し『病んで』おられるのだわ」


 え?

 罵倒じゃない? 石も投げられない?

 会場を包んでいるのは怒りではなく、深い、深ーい「憐れみ」の空気だった。


「思えば最近の殿下、おかしな本を読み耽っておられたようですし⋯⋯」

「『婚約破棄から始まる俺のハーレム』とかいう、意味不明なタイトルの本を持っておられるのを見たことがあります」

「公務のストレスでしょう。あんなに真面目(※ガイルが演じる前の本来のアレクサンドル)だった方が、急にこんな支離滅裂なことをおっしゃるなんて。脳の病か、魔女の呪いに違いありませんわ」


 ガタガタと俺のプライドが崩れ落ちる。

 違う、違うんだ! 「ざまぁ」っていうのは俺が憎まれて、軽蔑されて、スカッとされることで成立するもんなんだよ!

 なんで俺は今、迷子になった幼稚園児や、痴呆が進んだ老人を見るような目で見られてるんだ!? 


 悪役としてのプロ意識が、ズタズタに引き裂かれる。

 憎まれることすら許されず「可哀想な人」として処理される屈辱。

 これは処刑されるよりも国外追放されるよりも残酷な刑罰だ。


「――もう、よろしいのです。殿下」


 クリスティのその声は驚くほど優しかった。

 怒りでも、嘲りでもない。熱を出してうなされている子供をあやす母親のような、あるいは手に負えない重病人を憐れむ聖職者のような、あまりにも慈悲深い響き。


 彼女は、取り出した魔導端末を静かにドレスのポケットへ仕舞うと俺の目の前まで歩み寄ってきた。

 銀色の髪がさらりと揺れ、高貴な香りが鼻をくすぐる。彼女は俺のだらしなく下がった口角や、脂汗の浮いた額を痛ましそうに見つめ、そっと俺の手を取った。


「無理に『悪役』を演じなくても良いのですよ、アレクサンドル殿下。⋯⋯貴方は、あまりにも真面目すぎたのです。王太子としての重責、公務の過多、そして私という完璧すぎる婚約者の存在⋯⋯。それらが貴方の繊細な心を蝕み、このようなへと走らせてしまったのでしょう?」


「な、何を⋯⋯何を言っている! 僕は正気だ! 貴様を、貴様を追放して、ミナと幸せに⋯⋯!」

「いいえ、脳が疲弊しているのです。そうでなければこれほど支離滅裂で法的根拠も、論理的整合性もない冤罪を公衆の面前で叫ぶはずがありません。⋯⋯これは貴方の魂が発した、救いを求める悲鳴なのですわ」


(⋯⋯令嬢、その優しげな微笑みが一番怖いんだよ!)


 俺は心の中で絶叫した。

 お前、分かってやってるだろ。俺を「悪」として断罪するのではなく「病人」として処理するのが一番、俺を惨めにさせると分かっててその聖母スマイルを浮かべてるんだろ!


「さあ、医療班の方々。殿下を静養の地へお連れして。⋯⋯王宮の塔ろうごくではありませんわ。緑豊かな、最新の魔導精神療法が受けられる専門のクリニックへ」


 クリスティが指を鳴らすと控えていた衛兵たちが、今度は白い法衣を着た医療魔導師たちを伴って現れた。

 彼らが持っているのは枷でも鎖でもない。ふかふかのクッションが敷き詰められた最新式の浮遊ストレッチャーだ。


「違うんだ! 離せ! 俺を、俺を憎めよ! 石を投げろ!『最低の王子だ』って罵れよ! 国外追放にしろ! それが、それがこの物語の正しいルールだろぉ!」


 俺の咆哮が会場の廊下に虚しく響く。

 周囲の貴族たちは、もはや俺を直視することさえ避けていた。


「ああ、まだうわ言を⋯⋯」「本当に壊れてしまわれたのだわ」「早く適切な処置を」という囁きが、冷たい風のように俺の頬を撫でる。


 その時、俺の脳内に無機質な機械音が鳴り響いた。


『警告:ターゲットの憎悪値が不足しています。⋯⋯不合格。ターゲットからの負の感情が規定値の1%にも満たないため、本シナリオは成立しません。ざまぁ、失敗』


「嘘だろ⋯⋯。不合格⋯⋯?」


 俺の意識が絶望で遠のいていく。

 ベテランとしてのキャリアに消えない汚点が刻まれた。

 悪役として憎まれることさえ許されず、ただ「可哀想な、頭のイカれた王子」として舞台から退場させられる。


 医療班の手によって、俺の体はストレッチャーに乗せられた。

 あまりの寝心地の良さに、さらに涙が溢れる。


 これなら魔王として勇者に首を撥ねられる方がよっぽどマシだった。処刑台で民衆に罵声を浴びせられる方が、よっぽど救いがあった。


「誰か⋯⋯誰か頼むから俺に石を投げてくれ⋯⋯。罵ってくれよ⋯⋯仕事させてくれよぉ⋯⋯」


 俺の最後の抵抗は医療魔導師が放った「鎮静の魔法」によって、穏やかな眠りへと溶けていった。

 

 薄れゆく意識の端でクリスティがこちらを見送っているのが見えた。

 彼女は優雅に一礼し、完璧な淑女の動作でミナ(裏切り者)に「貴女の就職先も、私が手配しておきましたわ」と事務的に告げていた。


 ⋯⋯完敗だ。

 物語製造局のテンプレートを現実という名の論理が粉砕した瞬間だった。


 次に目を覚ますときは、あの中間管理職のクソ上司(神)の顔を見なきゃならないのかと思うと、俺は眠りの中でも嘔吐したい気分だった。


        * * *


 気がつくと俺はいつもの無機質なオフィス、その硬い事務椅子に座っていた。

 豪華な夜会の喧騒も、クリスティの聖母のような恐ろしい微笑も、ストレッチャーのふかふかした感触もない。あるのは液晶モニターが発する乾燥した光と山積みになった報告書の束だけだ。


「⋯⋯はぁ。戻っちまったか」


 真っ白な局員用の服に身を包んだ俺は深く、深く溜息をつく。

 魂にこびりついていた「アレクサンドル」の低IQ成分が、パージされていくのがわかる。思考がクリアになるにつれ、あの会場での自分の無様な振る舞いがフラッシュバックし、死にたくなってくる。これが「魂の二日酔い」ってやつだ。


「ガイル君、起きたかね。いやぁ、ひどい有様だったね」


 デスクの向こう側から課長の不機嫌そうな声が飛んできた。

 彼は手元のタブレットを操作しながら、忌々しげに鼻を鳴らす。


「今回の案件、読者アンケートの結果が出たよ。満足度、過去最低。自由記述欄には『王太子が哀れすぎて見ていられない』『病院送りにするのはざまぁとしてやりすぎ』『これ、いじめじゃないですか?』だってさ。大失敗だよ」


「⋯⋯課長、俺のせいじゃないですよ。あの世界、おかしいです」

 俺はデスクに突っ伏したまま、恨みがましい声を絞り出した。


「あの令嬢、クリスティは異常でした。証拠ログ、法務局、繊維鑑定⋯⋯テンプレートに基づいた糾弾をすべて論理の壁で跳ね返しやがった。あれはもう、物語の世界側の自浄作用ですよ。テンプレに従ってバカをやる悪役を、世界そのものが『異物』として排除しようとしているんです」


「自浄作用、ねぇ。そんなのは言い訳だよ」

「言い訳じゃありません。物語の世界だって何千、何万回と婚約破棄を繰り返されればアップデートされるんです。学習しちまったんですよ、ヒロインが。だったらこっちの給料だって、難易度に合わせてアップデートしてほしいもんだ」


 俺の皮肉を、課長は「聞こえないね」と言わんばかりに無視した。

 そして新しい案件資料を俺のデスクに放り投げた。


「まあいい、終わったことは。次だ、次。これが君の新しい現場だよ」


 俺は渋々、その資料を手に取った。

 タイトルは――『役立たずと蔑まれた付与術師、実は世界最強だと気づかずにパーティーを追放される』。


「⋯⋯また追放ものですか」

「そう。君の役は、その『役立たず』をパーティーから蹴り出すリーダー、勇者ゼノンだ。酒場のみんなが見ている前で『お前のような無能は我がパーティーにいらん、出て行け!』と告げる。シンプルだろう?」


 俺は資料をめくり、リーダーのIQ設定を確認した。

 ⋯⋯また、30だ。


「課長⋯⋯これ、いつものパターンですよね? 俺が彼を追い出した後、俺の装備が実は彼のおかげで保たれていたことが判明して、俺のパーティーだけがボロボロになって、最後は彼に土下座して謝るけど無視される⋯⋯っていう」

「よく分かってるじゃないか。その『無様な土下座』に期待しているよ」


「⋯⋯有給、取らせてください。せめて一週間、いや三日でいい。精神のデトックスが必要なんです」

「ダメだよ。今、悪役部門は深刻な人手不足なんだ。君のようなベテランが現場を回してくれないと、世界の『ざまぁ需要』が供給過多でパンクしてしまう」


 課長は爽やかな笑顔で、俺の背中を出口へと押しやった。

 神様ってのはどいつもこいつも、労働基準法という概念を持ち合わせていないらしい。


 俺は再び、転送ゲートの前に立つ。

 これから俺はまた一人、有能な若者を不当に追い出し、その数ヶ月後に社会的地位も名誉も失って路頭に迷う「バカ」を演じに行くのだ。


 労働は神界すら救わない。

 結局、俺たちはシステムの歯車でしかないのだ。例えそれがどれほど不条理で論理破綻した物語であったとしても。


「⋯⋯ちくしょう。次は絶対に、論理武装してやらないからな。思いっきり、救いようのない無能を完遂してやる」


 俺は自嘲気味に笑い、光の中に足を踏み入れた。


「――クソ案件、受領」


 ゲートが閉じ、俺の意識は再び、新しい「無能な自分」へと塗り替えられていった。

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テンプレ通りに婚約破棄したい俺 vs 証拠保全が完璧すぎる公爵令嬢 抵抗する拳 @IGTMJ

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