天羅地網、白天の蜘蛛
ゆきむらゆきまち
第1話
祖龍海の上空、およそ海抜十
現在、都市の住人は極少数である––––否、そもそも人ではなかった。
七幻が一人、白翼の
彼の姿は巨大な白蜘蛛を背負った人間に似ている。蜘蛛の下顎や喉にあたる部分には人の顔があり、その下には均整のとれた、まず優美にして偉大と言ってよい肉体があった(ただし、どこかに決定的な違和感がある)。
蜘蛛の八脚は翼のように背から広がっており、それが異名と違和感の元でもあった。彼は一年のほとんどをこの都市で過ごす。気が向けば都市ごと世界のあらゆる場所へ飛んでいき、時には戯れに雷霆を降らせる––––あるいは破壊と再生のために、真面目に責務として死の雷光を落とす。
しかし毎年この時期、彼の仕事は破壊ではない。
緑芽吹く春。
地上の平原から一直線に白い塔が伸び、半球まで繋がっている。
近づいてみれば、それが無数の、極小の蜘蛛の糸によって編まれた巨大な巣の集合体であると気づくだろう––––そう、彼女らはゼレンの蜘蛛。
ゼレニカのもっとも愛する眷属であり、この世界における天羅地網の要であった。
……。
薫風に煙る空に、その幻塔は聳え立つ。圧倒的な威容ではあった。
螺旋を描き、天を貫かんとする雲の摩天楼。
ニコにはそう見える、のだが。
「お師匠様、あれが全部、蜘蛛の巣なんですか?」
ほへー、と口を開けてひたすら驚く弟子。
「いかにも。正直わしはもう見飽きとるんじゃがな」
ゼレニカに見つかると面倒じゃし、と師匠––––フィオはぶつぶつ呟く。
弟子がさす日傘の下で仰向けに寝転がり足を投げ出し、偏光眼鏡で直射日光を厳重に避けるその姿はせいぜい十代前半の少女のものだ。引き締まった肉体のニコと比べればいささか貧相であったが、その振る舞いは傍若無人天上天下唯我独尊。
彼女を知る者でなくとも只者でないことだけは伝わるだろう。
「何か仰りました?」「いや。まあ、この距離なら戦域にも入らぬし問題なかろう」
「戦域、とは?」ニコが首をかしげる。
「……正午になると、上空の黄金都市がゆっくり回転を始める。さすればどうなる?」
「えー……塔が、崩れる?」
「うむ。あの塔はゆっくり崩壊し、中の蜘蛛は全て地上に落ちてくる。同時に風に乗って無数の子グモが大陸中にまき散らされる。誇大表現ではないぞ」
風に乗った子蜘蛛たちは海を越え、大地を越え帝国全土を開拓する。その数は数億とも数百億ともいわれるが––––戦域に落ちるのは役目を終えた親蜘蛛たちだ。
「落ちた親蜘蛛はほとんどが数日で死ぬが、中には強さゆえに生き延びてしまうものがおる。そうした大蜘蛛はもはや産卵することなく、ひたすら餌を求め地を彷徨い、闇に巣を構え旅人を襲う文字どおりの大魔獣、災厄そのものとなる」
そうなることを防ぐために、
「いわば毎年恒例のレイドバトルというわけよ」
「レイド……何です?」
「なんでもないわ。だいたい白骨海岸と森に挟まれたあのあたりが狩場となる。蜘蛛は森に逃げ込めばとりあえず勝ち、狩人はその前に全て掃討することが仕事となる」
「子グモには害とか毒とかはないんですか?」
「おぬしの耳にいる蜘蛛はどこから来たと思っておる」
ゼレンの蜘蛛。彼女らの生態は産卵時以外もかなり特殊だ。
世界に散った子グモは主に人間や亜人の耳に寄生する。この際、痛みも被害もほとんど宿主に与えないが、一つだけ宿主に改造を行う––––「辞書嚢」の構築である。
ゼレンの蜘蛛自体に高い知性は無いとされているが、この辞書嚢によって彼らは宿主にとっての翻訳辞書となることが出来る。故に子グモは特に世界中を旅する狩人や隊商らにとってはほぼ必需品ともいえる存在であり、優秀な辞書嚢を作れるクモを選抜するためだけの奴隷すら存在するという。
子グモは十年ほどかけてゆっくり成長し、それから辞書嚢を残して森に去り、そこからさらに十年を経て繁殖期に突入し、交尾ののち雌のみが空に向かう。雄はそのまま森にとどまり複数回繁殖を行うが、雌に比べると攻撃性は低く、また巨大化もしないとされている。なお、クモが去った宿主の辞書嚢はゆっくり劣化していくが、新たに若いクモを迎えることで維持が可能とされている……
「宿主を見つけられなかった蜘蛛はどうなるんです?」
「普通により大きい捕食者の餌になっておしまいじゃな。まあヒト型以外の動物に寄生することもあるらしいがその場合は辞書嚢は作らんらしい。ありがたいことじゃな」
人語を解する羆や魔獣なぞ、それこそ災厄以外の何物でもない。
ゼレニカがそのあたりはコントロールしているのだろう、とフィオは思っている。
「……お、そろそろ始まるぞ」
フィオの言葉に、ニコは再び塔に眼を向けた。
ゼレニカはゆっくり全ての眼と糸を活性化させる。
都市機能の全ては彼が掌握しており、いかなる機動も可能であった。
彼はひそやかに呟く––––
『
ゆっくり、ゆっくりと。
千年城塞は回転を始める。最終的に末端速度は秒速十
蜘蛛の糸が、渦を巻き、ねじれ、竜巻のように螺旋を描き––––
少しづつ、ほぐれ、ほつれ、千切れていく。
幾億千の子蜘蛛が、遠心力と風に乗って旅立っていく。
それを見届けるように中心に集まっていた母蜘蛛たちもまた、一頭、また一頭と風に乗って眼下の地に落ちていく。墜ちていく。
生きるためか。死ぬためか。
地上にはすでに数千人の狩人が集まっていた。
狩人だけではない。蜘蛛を解体する職人、食事や生活用品を供給する商人、狩人の脱法行為を監視する帝国の官吏まで、帝国におけるひとつのライフサイクルがそこに形成されていた。
皆、空を見上げていた。
誰かが雄たけびをあげる。
「行くぞ!!」「
「「「応!!」」」
––––そして宴が始まった。
天羅地網、白天の蜘蛛 ゆきむらゆきまち @yuki-yukimura
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