とある (福祉)事業所M 新刊 完
あらいぐまさん
第1話 終わりに代えて
とある(福祉)事業所 新刊 完
私は小説・「とある事業所M」シリーズを書き終えました。個人的には、大変満足しています。ただ、内容を色々盛り込み過ぎているかも知れませんね。
私は、先生の元で、書き方を教えてもらったわけではないので、このシリーズは、AIと相談しながら、書いてきました。
私は悪い生徒なので、AI先生の言う事を素直に聞きません。
それは、長い間、独学で書いてきた 為、話の生き筋を見つける、文章に対する「勘」が、あるからです。
私は、それを大切にしたかったからです。
とはいえ、文章に対してのAIの助言を見ると、なるほどと言う気付きがあります。
そして、完成すると感無量です。特に、このシリーズは、私の仕事である、作業の組み立て方を書いてあるので、創作しながら、仮説を立てて、実行して、検証する、そんな過程を通して、面白がって書きました。
ただ、私は長い間、リーダーシップに言及する事は、恥ずかしい事だと思っていました。
それは、体が弱く、労働の量でみんなを率いていく事が出来ないから…。そして、単純作業では、どんなに効率を高めても、差が出ないので、リーダーシップを発揮しにくいからだ。
そこで、違いを明らかにする為に、作業を続けながら執筆を続ける事にしました。
それが、日の目を見るには、長い、長い、月日が、必要でした。
その労力、つまり執筆にかける時間と熱意を「踏み倒される」という予感を感じながら、取り組んできました。
長い年月をかけて積み上げた作業と執筆の往復は、まるで地層のように重なっていきました。その一層一層には、汗も、迷いも、怒りも、そして小さな希望も染み込んでいる。
私は、積み重ねてきた年月や努力が、無に帰してしまうことを恐れていた。
その予感は、ずっと胸の奥で燻っていた。
誰にも言えない、言った所で理解されるとも思えない、そんな種類の不安だった。
だが、奇妙なことに、その不安こそが筆を止めさせなかった。
もし踏み倒されるなら、せめて自分の手で記録しておきたい。
もし報われないなら、せめて物語として残したい。
もし誰にも届かないなら、せめて未来の自分だけには届いてほしい。
そんな思いが、静かに、しかし確かに、私の背中を押し続けていた。
やがて、作業の現場で見えてきたものがあった。
それは「量」で勝負できない人間が、それでも仲間を導こうとする時に生まれる、別の種類のリーダーシップだった。
声を荒げるわけでもなく、
威圧するわけでもなく、
ただ、問いを立て、考え、試し、失敗し、また考え、
その姿勢そのものが、周囲の人間に静かな影響を与えていった。
「この人は、何かを見ようとしている」
「この人は、何かを掴もうとしている」
その空気が、少しずつ、しかし確実に広がっていった。
そして気づけば、私は「率いる」というより、「灯す」存在になっていた。
誰かの前に立つのではなく、誰かの足元を照らすような、そんなリーダーシップである。
それは、かつて恥ずかしいと思っていた「リーダー」という言葉とは、まったく別の形をしていた。
目立たない、先頭に立てない、だから多くの人達にとって、難しく感じるのだろう……。でも、それは、グループで行動しようとした時、一つの方法として、大切なことのように、私は感じる。
福祉の世界では、一般的な競争の社会の物差しでは、測れない人たちが集まる場所なのだから、一般的な社会とは明らかに違う方法が求められている。
感想集
皆さんのコメント
• Aさん 「思いやりのある文章に貫かれていて、凄いですね」
• Bさん 「読み終わった、読後感が凄い」
• Cさん 「最後に読んだ時と、余り変わらないですね」
• Dさん 「面白い、という枠にはまらない、社会的テーマを感じますね」
• Eさん 「誠実で、前向きな、障碍者ですね」
皆、精神障害者が書いたとは思えない、
別に、上手く書ける秘訣はない。何度も推敲し、作品の向こう側の自分と、作品を書いている自分が向かい合い、我慢比べをする。その末に「もう手を入れられない」と諦める時が来る。その時、作品は完成する。
完成の瞬間はいつもフラフラになり、気力を使い果たして呆然としている。確かに読んでもらう喜びはあるが、執筆の苦労はそれ以上だ。
なぜ小説に執着するのか――それは自分の思考の跡を残し、甘い誘惑に惑わされず一直線に生きていたいからだ。
それは、死ぬ事、生きる事を、真剣に考えた結果、もう、若くないと、限られた時間を私の心が、感じるからかもしれない。
とにかく、私は、アホなので、技術を覚えるのに時間が掛かる。普通の人より、それに向けるエネルギーも、資源も、時間も、湯水のように、投入しなければならない。
頭の良い奴は、羨ましい。
でも、他人と比べても、上には上が、下には下が、だから、過去の自分と比べなくてはならない……。記事と日誌を読み返すと、2年前の自分と今の自分を比べると、確かに、過去より成長している事が分かった。
これからは、今の状態+αを維持する事を当面の目標にしようと、……学は考えた。
感想集2
あらいぐまさんとは、一体、どんな人だろうか。
普段は静かにしているが、時折、思いもよらぬところから、驚くほどの力を発揮する。
彼は「指示喪失」と「便通不通」を抱え、「指示喪失」は仲間達とのやり取りで克服できるが、「便通不通」は重く、中々、社会に踏み出せない。飛び立てるかもしれないし、そうではないかもしれない。
「就労しなさい」と口にするのは、主治医のコッコ先生くらいだ。
昔の病院仲間は発展した地域にいて、容易には会えない。ここで出会った友人たちは皆それぞれに癖があり、思うような付き合いが出来ないのである。
学はこの一年、煙草を吸い、酒を少々嗜みながら、執筆に取り組んで生きてきた。今年の冬は遅れてやって来たが、やはり訪れるものだ。
それほど一途な彼に、なぜ神様は光を与えないのだろう。
風呂に入らずシャワーだけだからか。歯磨きを夕食後しか行わないからか。髭を朝ではなく夜中に剃るからか。――そんなはずはない。
ただ、それが良くないことだとは、彼自身も知っている。
だからこそ、小説への集中をいったん止め、しばらくは身の回りの静養に心を向けることにした。愛する人たちのために、そしてチャンスの女神のために。
辛い事を、辛いと言えなかった、あの頃は、もう過去のものとなった。
私は、小説家になって、自分の思いを主張するようになった。発症した時を考えると、ここまで、回復できたことは、まるで、奇跡のようである。
心ある人達の支援を受けて他人に向けた怒りを、彼らは黙って受けたり、辛い時は共に悲しんでみたり、おもろい事を一緒に笑ったりして、生きてきた。
それは、仕事だから、できるという事ではない……。思いがなくては、出来ない
事だ。本当に、ありがとう、皆さん……
終わりに
私は、死ぬ気で生きてきた。現実を変えようと必死だったが、それはかつて思い描いていたような形では、決して変わってはくれなかった。
ある支援員さんに「何か目的があって小説を書いたんですか?」と尋ねられた時、私は思わず驚いた。書いた理由は、ただ生活の場の様子を本にしたかったから。それ以上でも、それ以下でもなかった。
テレビに出たいわけでもない。サイン会を開いて有名になりたいわけでもない。目的と呼べるほどのものは、最初からなかった。
ただ、小説を書く苦労を分かち合える人――彼女のような存在がそばにいて、作品を読んでくれたり、執筆の苦労話(苦手なところや得意なところ)を聞いてくれたり、工夫した部分を語らせてくれたり、感想を伝えてくれれば楽しいだろう。少なくとも備忘録くらいにはなるだろう。そんな気持ちで私は書いていた。
確かに、精神障害を抱える人にとって、この小説は敷居が高いかもしれない。だから今は、Vチューバーを目指している。もし就労が順調に進み、少しでも収入が得られたなら、また別の道が開けるかもしれない。
だが、夢ばかり追っていても、ふと落ち込むことがある。「生を諦めない」という我慢の連続。生きていること自体が恥ずかしい……そんな絶望に襲われることもある。
歳を重ねるにつれ、選択肢は若い頃よりも少なくなっていった。何のために生きているのか――分からなくなる。ただ、昨日の続きが今日であるという、変わり映えのない毎日が淡々と続いていくだけだった。
私は小説家だから、虚構の世界を描ける。ベースは日記だが、小説を面白くするために時には嘘も書く。それでも虚構の中には必ず真実がある。
書き始めてみると、自分の心が何なのかも分からないのに、他人の心が分かるはずがない。人物をどう設計して書いていいか――さっぱり分からない。
更に、真実を追究しすぎてあまりに詳しく書いてしまうと、個人情報の壁にぶつかり、周囲から非難される。この種のテーマは今の時代、実に難しい。
けれど「知らない」ということは恐ろしい。私は何度も説教され、何度も頭を下げてきた。経験から言えば、多くの精神障害者は回復初期に、周囲の人たちを逆恨みするような文章を書きがちだ。だが、それはある程度仕方のないことだ。心が病んでいるときに人生が素晴らしいとは思えないし、そういうふうにはどう考えても書けない。
私も若いころ、残虐な作品を書いてしまい、人に見せられなかった。支援員さんたちに感想を聞くと、奥歯にものが挟まったような言い方をされることが多かった。
それでも、いつか誰かの目にとまることを夢みて、日の目を見ない小説を何作も書き、何度も推敲を重ねるうちに、知らず知らずのうちに文章力が上がっていた。さらに小説の書き方の本を読み、技術は磨かれていった。
投稿サイトに小説を出せるようになったのは、執筆を始めて25年後――つい最近の、ここ1~2年のことだ。
多分、このテーマで最初の一歩を(精神障害者が)刻んだのは「あらいぐまさん」であることは確かだ。それは胸に掲げられた輝く勲章だった。
それを確かなものにするために、私はトロフィーの代わりに本にしたかった。そうすれば、「あらいぐまさん」の魂は救済されると信じているからだ……。
この物語は、私自身の記録であると同時に、社会への問いかけでもある。
弱さを抱えた存在は、果たしてこの世で許されるのか――その答えは、読者一人ひとりの心の中にある。
この問いかけに、貴方は、どう応えますか。
執筆者 あらいぐまさん
初稿 令和7年9月
改訂 令和7年10月
改訂 令和7年11月
とある (福祉)事業所M 新刊 完 あらいぐまさん @yokocyan-26
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