【妄想神話】天岩戸伝説より少し前の物語

角山 亜衣(かどやま あい)

天手力男命という漢

 高天原たかまがはらの隅で、鍛錬を続ける若い神があった。


 天手力男命あめのたぢからおのみこと


 彼は毎日、巨岩を持ち上げ、運び、積み上げ、また持ち上げる。

 己の存在意義を刻みつけるように、黙々と身体を鍛えていた。


「もう一つだっ、まだっ、いけるっ!」


 汗にまみれた手で巨岩を抱え、脚を踏みしめる。

 持ち上げた巨岩を積み上げるたび、高天原たかまがはらに低い振動が走った。



 ある日──



「よぉ、毎日毎日、よくも飽きずに続けるなぁ」


 天手力男命あめのたぢからおのみことが振り向くと、そこには三柱の神の一柱にして、荒ぶる嵐の権化ごんげ――


須佐之男命すさのおのみことの姿があった。


「す、須佐之男命すさのおのみこと様……!?」


「そんなに畏まんなよ。堅ぇなぁ。

 俺ぁはただ、お前の腕っぷしが気になっただけだ」


 須佐之男命すさのおのみことはニヤリと笑い、足元の巨岩を片手で払いのけながら続けた。


「なぁ、俺と力比べでもしてみねぇか?

 鍛錬するなら、相手がいた方が面白ぇだろ」


 天手力男命あめのたぢからおのみことの胸が、ドクンと跳ねた。


 高天原たかまがはらを揺るがす力を持つ三柱の神の一人から、直々の誘いである。

 断る理由など、あるはずがない。


「是非にっ!!」


「よぉし、いい返事だ」


 二柱は広場へと向かい、腕を組み合わせ、力を込める。

 空気が震え、地が鳴り、拮抗が続く。


「お前、思ったよりやるじゃねぇか」


「まだ……いけます!」


 最後の一押しで須佐之男命すさのおのみことが押し勝ったが、その差はほんの紙一重だった。


 須佐之男命すさのおのみことは満足げに笑い、天手力男命あめのたぢからおのみことの肩をどんと叩いた。


「いい勝負だった! 気に入ったぜ、お前」

「……っ!!」


 その一言が、天手力男命あめのたぢからおのみことの胸に燈火のように灯った。

 己が存在する意義を見つけたかの如く。


 それからというもの、二柱は毎日のように鍛錬を共にし、いつしか


「スー殿! 今日こそは負けませんぞ!」

「タヂーよぉ、毎日同じこと言ってよく飽きねぇな!」


 などと笑い合う仲となっていった。


 高天原たかまがはらの神々は、名を省略して呼び合うことをしない。


 互いにあだ名で呼び合うということは、

 礼を超えた敬意と、深い友情の証であった。





 ある日のこと──


「そなたらは今日も元気よのぉ」


 ふいに差し込む柔らかな光。

 天照大御神あまてらすおおみかみが二柱のもとへ姿を見せた。


 天手力男命あめのたぢからおのみことは慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。


「あ、天照大御神あまてらすおおみかみ様……!」


「そう畏まるでない。そなたの鍛錬は見事じゃ。

 腕力だけなら、すでに弟者をも超えているのではないか?」


「滅相もない。まだまだスー殿……須佐之男命すさのおのみこと様には遠く及ばず……」


「堅いのぉ。そうじゃ、わらわのことは、アマテラと呼ぶが良い。

 お主のことは、タヂカラと呼ばせてもらうとしよう」


「がーっはっはっ! 姉者はずっと前からタヂーのことを遠巻きに見ておったからのぉ」


「ばっ! 馬鹿を申すな! 何をいきなりぶちまけておるのじゃ!」


 天手力男命あめのたぢからおのみこと天照大御神あまてらすおおみかみの狼狽ぶりにくすりと笑った。


「そういうことでしたなら、遠慮なく……アマテラ様」


 その呼びかけに、彼女は満足げに微笑んだ。

 その日の光は少しだけ柔らかかった。



 やがて、三柱で言葉を交わす時間が増えていく。



 須佐之男命すさのおのみことは、天手力男命あめのたぢからおのみことと鍛錬を続けた。


 天手力男命あめのたぢからおのみことは、天照大御神あまてらすおおみかみを前に胸の高鳴りを抱くようになり、

 天照大御神あまてらすおおみかみも同様に──。


 しかし、それを口にすることはなかった。



 こうして三柱は、互いに支え合うように日々を過ごし、

 やがて――


 天手力男命あめのたぢからおのみことは、自らの知見を広げるため、旅にでた。





 武者修行の旅は厳しく、そして実り多かった。


 各地で岩を砕き、川を渡し、山を越え、

 困る人々を助け、自然の荒魂と向き合った。 


 実りある旅を実感した天手力男命あめのたぢからおのみことは、高天原たかまがはらへと帰ってきた。


 今なら、師である須佐之男命すさのおのみことからも一本取れる自信があった。


 しかし、たどり着いたその場所で、異変に気付いた。

 門が破られ、日が陰り、神々の姿が見えない。


 何が起こったのか困惑し、辿り着いたのは、

 高天原たかまがはらの端。


 そこで彼が見たのは――


 かつて鍛錬を交わした場所の岩陰に、

 崩れ落ちたように座りこむ須佐之男命すさのおのみことの姿だった。


 いつもなら天地に響く笑い声を上げる男が、

 まるで魂が抜けたように、息を潜めていた。


「そこに居るのは……スー殿、なのか?」


 天手力男命あめのたぢからおのみことの声は震えていた。


 須佐之男命すさのおのみことは、ゆっくりと顔を上げた。

 まるで、世界の終わりのような表情で。

 その目は赤く、泣いたのか、怒ったのか判別できぬほど濁っていた。


「タヂー……戻ったのか」


 声は掠れ、力がない。


「何が……あったのですか」


「全部……俺のせいだ」


 天手力男命あめのたぢからおのみことは息を呑む。


「天照の姉者は……

 天岩戸に閉じ込められた」


 胸が凍りつく。

 天手力男命あめのたぢからおのみことは無意識に拳を握りしめた。


「俺が……悪鬼どもを……呼び込んじまったんだ……

 妹者を……稚日女尊わかひるめのみことを守ってやれなかった……

 天照の姉者までも……」


 須佐之男命すさのおのみことは弱く笑った。


「俺は……ただの大馬鹿者だ。自分が一番強ぇと自惚れていた……」


 天手力男命あめのたぢからおのみことは静かに膝を折り、須佐之男命すさのおのみことの隣に座った。


「スー殿、俺は、もっと早く帰るべきだった……」


「違ぇよ……タヂー。お前のせいじゃねぇ。

 俺の……傲慢だ。

 全部……俺がやらかしちまったんだ」


 天手力男命あめのたぢからおのみことは強く首を振り、立ち上がる。


「今は……今だけは少し休んでいてください。

 アマテラ様は俺が救い出します。

 俺が、この腕で、天岩戸を開けてみせます」


 須佐之男命すさのおのみことの瞳が、かすかに揺れた。


「俺が光を取り戻すことができたなら、きっと師匠も立ち上がる。

 俺が最も敬愛する師匠は、このまま腐れ落ちたりはしない。

 そうでしょう?」


 そう言って、天手力男命あめのたぢからおのみことは、須佐之男命すさのおのみことに手を差し伸べた。


「スー殿が追うべきは、自身が犯した罪ではなく……冥界の悪鬼だ」


「タヂー……」


「スー殿は戦う神でしょう? 似合いませんよ、そんな顔は」


 須佐之男命すさのおのみことは少しだけ笑った。

 苦い、けれどどこか救われたような笑顔。


 そして、差し出された手を、力強く握った。


「タヂー、天照の姉者を、頼む」


 その言葉に頷くと、天手力男命あめのたぢからおのみことは駆け出した。


 天岩戸へ向かう背中は、もうかつての若き鍛錬神ではなかった。


 高天原たかまがはらの希望を託された、英雄の背中だった。



<了>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【妄想神話】天岩戸伝説より少し前の物語 角山 亜衣(かどやま あい) @Holoyon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画