ずっとそばにいて

anko

第1話

 僕は、常に幸福を求めて生きていた。だけど、生まれてから一度も、人生でそれを感じた時など無かった。分からないからこそ求めたのだ。幸福というものを。


 辞書によると幸福とは、恵まれた状態にあって、満足に楽しく感じること、らしい。


 僕は別に恵まれてないとは思わない。ただ、満足してないのだ。何かが違う。その考えが物心ついたときからずっと、僕の根底にあった。


 ◇

 

 何故だ。何故、彼女の姿にこんなにも惹かれるのだろう。学校から帰る途中、カフェに寄って彼女の姿を見た。その瞬間、僕の中に今までに感じたことの無い情動の昂りを覚えた。


 彼女は、カウンター席の左から2番目の席に座っていた。その姿はとても凛々しく、気高いように見えた。


 僕は知った。これが、運命の出会いなのだと。ずっとずっと、満たされなかった。だけど、ついに見つけた。彼女こそが、僕に真の幸福を与えてくれる女神なのだ。


 ◇


 彼女は今日も来た。僕は、彼女を見つけて以来。毎日、ここに通うようになっていた。


 どうやら彼女はここの常連客のようで、いつも閉店時間の午後9時頃までカウンター席の左から2番目に腰を下ろしている。今日も変わらず、その席で1人コーヒーを嗜んでいた。


 彼女の年齢は、大体二十代前半といったところか。おそらく大学生なのだが、そう見えないほどに彼女は大人びている。


 僕はいつも通り彼女の定位置から3つほど離れた席に座り、横目で彼女を観察する。彼女の来る前にここに来て、彼女が退店したあとに僕も店を出る。

 それが毎日の日課になっていた。


 話しかける機会を伺ってはいるが、生憎僕は女性経験が豊富なわけでは無いので何も出来ずにいた。もし豊富だったとしてもそんなくだらない行為で高潔な彼女を汚したくはないので、しなかっただろう。


 ◇


 今日は彼女が来なかった。ちょっとした用事で来れなくなることなどざらにあるので大して落胆はしなかったが、無駄足を運んでしまった。


 ◇


 今日も僕は、いつも通りの席で彼女が入店するのを待っていた。昨日は彼女が来なかったが、彼女は今まで、昨日以外欠かすことなく毎日この店に来ているのできっと今日は来るだろうと思い、外の風景でも眺めながら時間を潰していたが、彼女が来ることはなかった。


 ◇


 今日は彼女が来た。二日連続で彼女を見られなくて、僕の気持ちはすっかり落ち込んでいたが、それも彼女が来たことですぐに吹き飛んだ。


 ちらりと彼女の方を見る。様子が少し変だ。何というか、動作にキレがない。顔もどこか暗いようだし、この二日で何かあったのだろうか。


 そんなことを考えながらコーヒーをちびちびと飲んでいると、彼女はいつも通りの席を通り過ぎて、僕の直ぐ側までやってきた。


 「隣、いいですか?」


 突然のことに呆気にとられていたが、すぐさま気を取り直して了承する。

 彼女は僕の左隣の席に腰掛けた。

 これはチャンスだ。これを機に彼女との関係を深めることができるかもしれない。


 「えっと…あなたは確か、あそこの席にいつも座ってる人ですよね。」


 彼女はこくりと小さく頷いた。

 まさか「あなたを見るために来ています」とは言えないので、当たり障りの無いことを話す。


 「私、ここのコーヒーが大好きで、毎日飲みに来てるんです。」


 「わかります。僕もここのコーヒーは他の店より格段に美味いと感じます」


 生産性のある会話とは思えないが、一応同意しておく。


 「ところで、なんで僕にいきなり話しかけてきたんですか?」


 今、最も気になっていたことを聞いてみる。


 「あ、えっと…なんとなく、親近感を抱いてたんです。あなたに」


 「親近感?」


 「はい、ちょっと最近、家に居づらくて、夜遅くまでここで時間を潰してたんですけど、あなたのことをよく見かけて、年齢も近いように見えたで。」


 知り合いからも、人当たりのいい顔とよく言われるので、そのおかげだろう。


 「そうなんですか。僕も、似たような境遇なのでわかります。」


 そう言うと、彼女の顔はほんの少し明るくなった気がした。


 「大学の人間関係とかも上手くいかなくて…」

 

 彼女が話したのは、とてもくだらない、些細なことだった。こんなことに悩んでいたのかと、僕は軽く失望した。


 「あ、もうこんな時間。今日はありがとうございました。本当に」


 なんとなく彼女の言うことに応えていたら閉店時間になってしまったので、解散する。


 存外に、彼女との会話は退屈だった。彼女はもっと高潔な悩みを抱えてるものなのだと思っていたが、話してみれば彼女もそこら辺のくだらない人間どもと同じような悩みを抱えていたのだ。


 ◇


 失敗した。あれ以来、彼女との距離は大きく縮まり、カフェに来ては毎日話すようになったのだが、彼女が変わってしまった。話す度に彼女はどんどん明るくなっていき、ついには下品で不快極まりない笑い声まであげるようになってしまった。


 このままでは彼女は僕の目の前から消えてしまう。彼女は僕のそばにいなければならないのだ。ずっとそばに。修正しなければ。



 ◇







 





 「速報です。女子大生の藤田麻衣さん(21)を殺害した容疑で、高校教師の櫛田徹(30)氏が逮捕されました。櫛田容疑者は、『真の幸福を守るため』などと供述しており…」

 

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