ゾンビと私の将来と

うたかた

1

【平成二十年に竣工の高層マンション。最寄り駅まで徒歩五分のため、通勤・通学も楽々です。都心へのアクセスも良好。入り口の扉は、オートロックで不審者を寄せつけません】


 これはたまたまネットで見つけた、私の住むマンションの案内文だ。

 高層マンションには仕事の問題を解決する『対応力』も、業務の内容を考える『思考力』もない。それなのに高身長で便利などの特徴で、こんなに立派な紹介文を書いてもらえる。

 対して私はなぜ、履歴書の自己PR欄を埋められないのだろう。短大のビジネス学科を卒業したものの、就職にあぶれてしまい数か月たつ。履歴書に走らせていたボールペンも進まなくなり、ベッドに寝転んだ。

 まぶたを閉じると、私が幼稚園を卒業する時に建てられたマンションの外壁が浮かぶ。当初は煌びやかな白色だった。私達一家はその頃、一階の角部屋に引っ越してきたのだ。


 当時、五歳下の弟は赤ん坊で時々、長時間に渡ってぐずった。そんな時は疲れ果てた母に代わって、父がベビーカーを準備した。

「まあ、そんなお怒りにならないで。落ち着いてください。新鮮な空気でも浴びに行きましょう」

 ふざけた丁寧口調で弟に話しかけ、英依も行かないか? と訊いてくる。


 私は大抵、付いていった。散歩に出るとベビーカーの振動がゆりかごの役割をし、弟はそれほど時間もかからず、夢の世界に沈んだ。現実と夢の境界にある水面を泡立てることなく、穏やかに。

 私はつま先立ちで、ベビーカーに手をかけて弟を覗く。静かな寝息を立てて、小さな胸が上下していた。丸い頬を撫でたくなるが、起こしたくないので我慢する。


 散歩が終わり、部屋に戻る時。父はマンションの前で足を止め、外壁をじっと見上げた。

 朝方であれば白い外壁は太陽光を弾いて、輝いていた。日が傾く頃であれば、夕映えが目に焼きつく。真新しさゆえに豊かな表情を見せてくれた、そんな外壁。


 時が流れて現在。私は二十歳になり、マンションは築十五年になった。私は順調に背を伸ばし多少ふくよかになったが、マンションにはもちろん変化はない。だが、あの素晴らしかった外壁は色あせ、所々にくすみも目立つ。張りついた排水管のL字部分から、黒蛇のような雨だれも。

 近々、管理費を使って外壁を塗装するそうだ。若く強気な肌が、保湿クリームを必要とし始めた。そんな物悲しさを覚える。


 私の将来もどうなってしまうのだろう。

 短大でビジネス学科を選んだのは、情熱を傾けたい科目がどこにも無かったから。そのため卒業後に応用が利くであろう、ビジネス学科を選んだ。在学中に味がわく事に出会うのを期待したけど……何もなかった。就職面接で熱く語るような経験もなく、結果、企業から声がかからない。


 就職先の目途がつかないまま、世間はもうすぐ夏休みにはいる。

 昨夜はやけになって、図書館の視聴覚コーナーで借りた名作映画を、四本続けて鑑賞した。夜とはいえ部屋が蒸すので、窓を半開きにして。


 六畳の自室で座って長時間、四角い画面から青白い光を浴びる。このままでは私も老朽化するマンション外壁の如く、肌を汚し脳も腐らせていく。思考しない死人として生きていく。寝不足のせいか、ネガティブな妄想が膨らんでいった。


 とは言え、そんな私も、家にゾンビが訪ねてくるとは思いもしなかった。



 翌日の昼下がりのこと。家のインターフォンが鳴った。


 私はモニターを確認する。しかし反射的に顔を背けた。一呼吸をおいて再度、目を向ける。二度見、三度見、四度見。何度見ても、そこにいるのは間違いなく女性のゾンビだ。

 十代後半か私と同じ二十代前半くらい。ショートヘアで首周りは普通だが、顔全体が青白くひび割れて、所々に固まった血がついている。大きな瞳の周りは暗くくぼんで、瞳孔が黄色い。

 見ていると恐怖で血の気が引く。腰が砕けそうだ。とはいえ家族は誰もいないので、私が対応するしかない。無視してやり過ごそうか……とりあえずインターフォンのボタンを押し、外の音が聞こえるようにする。


「英依、いないのかな。夜に出直すか」

 ──うわっ。怪物に夜、再襲来されては堪ったものではない。

 だが、この声は聞き覚えがあった。二軒隣の部屋に住んでいる林凛だ。彼女とは小・中学校と同じ学校に通っていた。内向的で読書と映画鑑賞が趣味の私に対して、彼女は社交的でスポーツ万能。


 今ではマンションの廊下で会う時、挨拶するくらいの関係だが、小学校時代は仲が良かった。

 凛の名前は林凛と書いて〝はやしりん〟と読むのだけど、男の子達は彼女を〝リンリン〟と呼んだ。中には彼女の目の前で、ポーズをつけ「勇気凛々」と呼んで、からかう男子達もいた。彼らはもれなく追いかけられて、跳躍力のある飛び蹴りを見舞われていた。

 思えば、あれは凛の気を惹きたかったのだろう。女の私から見ても、彼女は生命力の溢れる綺麗な人だったから。


 中学時代で一番、彼女が輝いていたのは卒業生を送る会だ。私達は二年生だった。

 凛のいるB組は卒業生に向けて、オー・ヘンリーの劇を上演した。彼女は主役。病床で日々を過ごすが、最後は奇跡的に回復する役柄だ。

 初めは、寂寥感を含んだ凛のか細い声に、耳を澄ませる。しかしベッドから起き上がる場面では、観客席からでも、その瞳が希望に溢れていると分かった。

 絶望の大海から抜けだし、体についた死の水滴をふり払うような気力溢れる動作。耳に飛び込んでくる明瞭なセリフ。私は彼女の一挙一動を食い入るように、見つめた。


 観劇しに来た母にも、凛の演技は印象深かったらしく、夕食時に家族の話題となった。演劇好きの父も交えて、会話は盛り上がったものだ。

 だから凛が大学の俳優科に入ったと聞いた時も凄いとは思いつつ、一方であの演技力なら当然だ、と納得した。


 さて。その名女優がなぜゾンビと化して、我が家の前をさまよっているのか。

「……凛だよね?」

 インターフォンから届く私の声に、彼女は安堵の表情を浮かべる。

「良かった。いたんだ。そう、凛。ひさしぶり。ちょっと話せないかな」

 モニターに両手を合わせて、彼女がこちらを拝む。

「いいけど……顔はどうしたの」

 凛は「顔」と呟き、血の付いた頬をさすって、愕然とした表情を浮かべる。私が玄関の扉を開くと、「洗面所を借りるね」と隙間から吸い込まれるように入ってきた。


「ごめん、驚いたよね。今、私が主演のゾンビ映画を撮っているの。昨日の夜に撮影したのが、ゾンビになる悪夢のシーンで。うっかりメイクを取り忘れて帰宅しちゃった」

 凛は顔にこびり付いている特殊メイクを剥がして、テーブルに置いたティッシュに次々と乗せている。カラーコンタクトも洗面台で外したので、黄色い瞳孔は黒目に。顔の傷跡も無くなっていき、血色の良い健康的な小顔が現れてきた。


「びっくりしたよ。誰も教えてくれなかったの?」

「みんな集中して映画を作っているからかな。疲れちゃっているみたい。それより英依。水曜日の撮影をお願いできないかな。場所もこのマンションで、時間も一時間かからない程度だから。セリフも少ないし、五分程度のシーンなんだ。お願い」

 人間に戻った凛はさっきから、私に映画への出演を懇願していた。


「でも私は柄じゃないよ。演技なんてした事ないし。恥ずかしくて声もでないと思う」

「大丈夫。廊下をゾンビが歩いている状況なんて、誰も声がでない。絞りだす掠れ声のほうがリアリティあるよ。台本に書いてある事を感情のままに演じればいい」

 凛は鞄から取りだした冊子を、片手で何度か叩く。


「大学の友達とか、他にも頼む相手が沢山いるでしょ。何で私なの」

「予定していた女の子が体調崩しちゃったんだ。でも誰でもいいって訳じゃない。英依、昨日の夜に昔のイタリア映画を観ていたでしょ」


 図書館で借りた名作シリーズだ!

 なんで知っているのか。いや、私が窓を開けていたからか。凛が帰り道に聞こえてしまう程、大きな音になっていたとは。思わず赤面する。

「あの映画は私も好きだから、嬉しかった。あれを鑑賞する人と映画を撮りたいんだ」

 凛は立ち上がり、顔を左右に振りだす。一人二役で映画の一幕を演じ始めた。


「私は生きていくことが嫌になった」

 テーブルの周りを歩きながら、溜息をつく。それに対して今度は太い男性の声真似で返事をする。

「料理や歌。踊りはできないのかい。好きなことは無いのか」

「分からない。私はこの世の中で何をしたらいいの」

「いいか。誰だって何かの役にたつんだ」

 床から何かをつまむ仕草をして、

「この石ころだって役に立つ」

 セリフの後に間があき、凛の視線がこちらを射抜いた。


 私の顔は火を噴いている。音を聞かれていたばかりか、感動した場面まで見抜かれているとは。心の中をまじまじと覗かれたような気持ちだ。

「お願い。英依ならできる。……そうだな。例えば、親友が殺人鬼に襲われて、英依の腕の中で事切れる。この場合はどう演技する?」

 例えが物騒だが、出演を頼まれたのがゾンビ映画だから、仕方ないのだろう。似たようなシーンもあるのかもしれない。


「親友が死んだ経験は無いから、愛犬が亡くなった時を思いだすかな。あとは状況に応じて。殺人鬼がまだ近くに潜んでいるのだったら、周囲を気にして辺りを見渡す。悲しいだけじゃなくて焦ってもいるかな」

「その時の動きは?」

 凛の問いに立ち上がり、実際に演技をしてみた。恥ずかしいけどいっそ役に成り切ってしまえ、と吹っきる。それを眺めた凛が指を鳴らした。


「筋がいい。それだよ。出来事の背景を考えて形にする。『想像力』と『表現力』。私もできる限りフォローするし、本当に短い出演だからさ」

「……もう。分かったよ」

 学生時代の憧れの存在から、ここまで頼み込まれてしまうと断れない。

「ありがとう! 英依はマンションに住む、私の通う大学の学生役。生物学部に所属していて、微生物や虫の研究をしている。ゾンビから逃げている私が英依の部屋をノックしたら出番だよ。台本を読んでおいてね」

 私の両手を握って上下に振る。


 そうして凛は、部屋の半開きになっている窓とカーテンを全開にした。

 夏風と外の明かりが部屋に入りこんできた。



 撮影の日。凛が挨拶した時はにこやかだった母は、次第に怪訝な表情になった。


 愛想のない監督。先端にマイクが付いた、長棒をかつぐ音声担当。大きなレンズが付いたシネマカメラを持つ、屈強なカメラマン。

 事前に撮影をすると伝えてはいたが、母が不安を感じるのも当然だろう。とどめにやって来たゾンビに、母は卒倒しかけていた。


 もうすぐ撮影開始だ。

 身体を震わせる私に、凛が耳打ちをする。

「大学に申請して借りた機材だから、壊しても保険が効くから。緊張しないで大丈夫だよ」

 彼女の心遣いを感じた。嬉しかったが、私の緊張のポイントとはずれている。高級な機材に気後れしているのではない。撮影で皆から注目されるので、胸が早鐘を打っているのだ。だが凛の勘違いが面白くて、私の緊張は少しだけほぐれた。

 最初は廊下で、凛がゾンビから逃げている場面。それから、肩で息をする彼女は私の部屋の扉を叩く。

 台本にはこう書かれていた。

 

友人A:「入ってこないで。私は独りでいたい」

 ドアノブを掴んで、理沙が入ってこないようにする。


 主役の凛は、平山理沙という大学生だ。

 私は友人Aで名前もない。〝えい〟という名前の私にぴったりの役なのかもしれない。Aと英依。まあ、無名の端役だから気が楽だ、と自分に言い聞かせる。「アクション」の掛け声で撮影が始まった。


 私は玄関扉のドアスコープに目を近づけ、外をうかがう。扉が震えて、鈍い音を立てた。凛がSOS信号のように間隔をあけて扉を叩く。

「同じ大学に通っている、平山。英語の授業を一緒に受けている。怪しい人間じゃないから開けて欲しいの。足がもう限界で」

「入ってこないで。私は独りでいたい」

 他人に用意された言葉を、そのまま口からだす。ついでに心臓も飛びでそうだ。


 シネマカメラを持つカメラマンが、私に近づいてレンズ越しに凝視する。音声担当のブームマイクが上から近寄る。

「少し休んだら、部屋から出るって約束するから」

 私は静かに扉を開く。凛は部屋に入り、椅子に腰かける。ひと息ついて口を開いた。


「各階がゾンビだらけ。これからなんとかマンションを出て、食料確保のために商店街へ向かおうと思う。あなたも一緒にこない?」

「私はここでじっと待つ。軍隊が助けにきてくれるかもしれない」


「他人頼みで部屋に籠るつもり? 家の中の食料だってすぐ尽きる。ここにいても何も解決しないよ」

 呆れたような口ぶりだ。

「それでも、私はここにいる。救いを待つ」


「何もしないで後悔するよりは、足掻いた方がましじゃない」

「それは挑戦じゃない。無謀っていうのよ」

 口論をして結局、友人Aは凛の手にすがって部屋を後にする。


 しかし私は廊下を歩く途中、ゾンビに捕まってしまう。ゾンビは私を引き摺り倒して首元に食らいつく。

 凛は、こちらに手を差し伸べようとするが、私は足をばたつかせながら、「行って」と声をだした。巻き添えにはしたくないのだ。格好いいじゃないか、私。


 救助を諦めた凛はマンションの出口に向けて歩きだす。カメラはその背中をクローズアップ。時折こちらを振りかえるが、次第に彼女は早足となる。

 私はゾンビに覆いかぶされながら、脇から顔をだす。生気のない目で、この世に別れを告げる。


 こうして、実生活で就職できず世間から消えかけている私は、銀幕のなかでは完全に姿を消した。ジ・エンド。瞳を閉じているので、どこからかは分からないが、監督が叫ぶ。

「カット!」

 私の久しぶりの刺激的な時間は終わった。



 撮影終了から数日がたった。私は就職面接を一つ、午前中に受けていた。窮屈なリクルートスーツをハンガーに掛け、部屋でくつろいでいる。その面接では初めて手応えがあった。思い出すと自然に頬が緩む。


 短いながらも先日の映画撮影で考え、学んだ事が活きたのかもしれない。面接官がどういった人間と働きたいのか。私の性格のどこをアピールすれば響くのか。これは『想像力』。相手のネクタイ上部に視線を固定し、自分の考えをはっきりと答える。これは『表現力』。

 面接の結果は来月、電子メールで送られてくるそうだ。


 インターフォンが鳴った。母親がモニター越しに対応して「凛ちゃんだよ」と私に声をかける。「すぐに行く」と弾んだ声で返事をし、玄関に向かった。

「これから次に撮影予定の駅に行くけど、英依もどう。帰りにお昼も食べよう」

 外出のお誘いだった。今日の予定はもうないので快諾する。母に昼食が不要であることと、行き先を伝えて家をでる。道々、凛は私に撮影の進行状況を教えてくれた。


 駅前に着くと、彼女は俊敏に動き回った。この時間の自然光はどうなっているのか、人通りはないかを確認し、撮影時の動線にも思いをめぐらす。その姿を見ていると、私も作品の完成が待ち遠しい。あっという間に時が流れていく。そして凛が「ご飯に行こう」と提案し、彼女の現地確認は終了した。


 駅前のアメリカ料理専門店に入り、ハンバーガーを食べることにする。店の内壁には星条旗のタペストリーが張りつけられ、カウンター前には木製の椅子が並べられていた。アメリカ映画にでてくる簡易食堂のよう。

 

 凛は注文したハンバーガーに、大口を開いてかぶりつく。ナイフで切って小分けにして口に運ぼうかと、私が悩んでいたそれを両手で圧縮させ、口に収めている。感心した私もバーガーを噛むと、香ばしい香りが鼻に抜けた。焼けたバンズの内側は柔らかで、肉汁が溢れてくる。


「完成した映画は大学のフィルム祭で上映するから、その時は一緒に見に行こう。エンドロールにも英依の名前が入るよ」

「友人A、田口英依って画面に出るんだ」


「いや、友人Aじゃなくて、ちゃんと名前をつける。英依の演技が素晴らしかったから、助演者になって欲しいんだ」

 私はバンズを喉に詰めそうになり、目を白黒させた。慌ててコーラで流しこむ。


「えっ。……私は死んだよね?」

 自分でも妙なセリフだと思う。

「英依が襲われる場面を編集すれば問題ない。撮影って凄いよね。人生を変えちゃうんだから。勿論、台本も一部を書きなおす」

 それが凛には嬉しいのだろう。目を細めて、満面の笑顔だ。


「今回は人が足りないから、頼んでいるんじゃないんだ。英依の演技が繊細で好きなの。私が部屋にはいった時、小刻みに震えていたでしょ。一緒に撮影を続けよう」

 その繊細な演技とやらは、カメラの前で緊張していただけなんだけど。

 しかし、私は就職面接が上手くいって有頂天になっていた為か、憧れの凛が何者でもない私を評価してくれたからか。はたまた、ゾンビウィルスに感染しておかしくなっていたのか。──首を縦に振った。


 こうして、私は友人Aではなく主要な役者として、その後の撮影に参加することになったのだ。



 フィルム祭の当日。

 私は凛と一緒に大学の講堂に向かった。家を出る時、右手を庇にして陽光を遮り、マンションを見あげる。この前まで鉄骨の足場と養生シートで囲まれていた外壁は、塗装工事を終えていた。まぶしい白壁に見事な変身を遂げていたのだ。足をとめ、良かったね、と呟く。


 大学には遅れて弟と両親も来た。私と並んで席に座る。映像科の作品が次々上映され、ついに我々の作品の番だ。

 ゾンビが集まって歩き回るオープニング。マンションの一室で凛は息をひそめている。彼女の動きと表情はやはり、人を惹きつける引力がある。


 しばらくして舞台は大学の化学室になった。流しのついた実験台を挟んで、彼女と私が向かい合う。部屋は昼にも関わらず、暗幕で薄暗い。事件の真相が明らかになる終盤だ。


「何でこんなことをしたの?」

 睨みつけてくる凛に、私はとぼけた表情を返す。彼女は実験台のうえにある飼育ケージを指さした。

「クロゴケグモ。雌のクモが雄を食べてしまう。あなたは生物学の知識で、クロゴケグモの性質を持たせた微生物を貯水池に放り込んだ。そして皆をおかしくさせたんだ」


 私は彼女の推測を、否定も肯定もしない。ただ、暗い部屋のなかで薄ら笑いをする。その表情が大画面に現れ、「姉ちゃん格好いい」と弟が呟いた。このカットに良さを見出すとは……血の繋がりを感じる。残念ながら、世間的には少数派だろう。


 そう。私はゾンビに嚙み殺される友人Aから、人類滅亡を試みた犯人に成り上がったのだ。序盤に死んでしまう端役が、演技力を買われて重要な役を演じた。誇らしい。


 私は化学室の窓から飛び降り、逃走を試みる。しかし、大きな着地音に気づいたゾンビの大群に襲われ、自業自得の最期を迎える。

 その後は、科学者が薬を開発し、満遍なく世界に普及させる。人類の勝利で映画は終幕。

 エンドロールが流れ終えて、場内が明るくなった。


 凛が大きな拍手をして、私に抱きついてきた。

観賞し終えた映画の余熱がじわじわと伝わってくる。

 監督が指揮を執り、役者が物語に花を添え、照明係が輝かせる。……皆で全力を降り注いで、一つの作品を育て上げた。協力して何かを成しとげるとは、ここまで心を震わすものだったのか。


 そして、私だって凛のような天才とは言えないが、フレームに彩りを与えられた。なくてはならない一人だった!

 私の心のなかにある湖に、小石が投げられた。ぼしゃりと小さな音を立てて跳ねた飛沫はじわじわ広がり、大きな波となっていく。胸に熱いものを感じながら椅子に腰かける。


 その瞬間、スマホが振動した。

 画面に目をやると、メールの受信通知だった。初めての手応えがあった会社からだ。ふう、と息をつく。メールを開き、視線を集中させると【面接試験合格のお知らせ】という件名が浮かんだ。

 小さくガッツポーズをする。私は社会人として立派に変わっていける。うちのマンションの外壁のように。自信はできていた。


 もう、私の将来は──灰色のゾンビではない。



〈 了 〉

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