バレエを始めた息子
@AsuAsaAshita
父、風間 正太郎
息子が学校に行かなくなってから、家の中の空気は少しずつ重くなった。
重いというより、噛み切れない何かが常に歯の間に挟まっているような感じだ。飲み込もうとしても飲み込めず、吐き出すこともできない。
俺は昭和の人間だ。
努力して、我慢して、恥をかかずに生きる。それが人としての最低条件だと教わってきたし、そうしてきた。
だから不登校という言葉を聞いたとき、頭の中でまず「逃げ」という文字が浮かんだ。それを否定する理由も、言い換える言葉も、正直持っていなかった。
そんなある日、妻から聞かされた。
薪男が、バレエを習っている。
一瞬、意味が分からなかった。
男が? バレエ?
頭の中で二つの単語がぶつかり合い、火花を散らしたまま、何も形にならなかった。
「今どき、男だから女だからって言う方が古いでしょ」
妻はそう言った。
正論だと分かる。頭では理解できる。
だが、胸の奥がざわついた。
俺の価値観は、もうこの時代では間違いなのか。
多様性を認めろと言われながら、俺の考えは認められないのか。
そう思った瞬間、自分でも驚くほど強い反発が湧いた。
息子のためだと言い聞かせながら、実際は自分が否定される恐怖から逃げていただけかもしれない。
だが、もっと怖かったのは別のことだった。
薪男が、俺に何も言わずに習っていたという事実。
信頼されていないのか。
それとも、拒絶されると分かっていたのか。
後者だとしたら、それは俺のせいだ。
ある晩、薪男がぽつりと言った。
「僕は、可哀想なやつだと思われたくない」
その声は細く、だが不思議なほどはっきりしていた。
続けて、震えるように言った。
「期待されたいだけなんだ。上手くなって、ちゃんとした人間だって思われたい」
俺は何も言えなかった。
反論も、説教も、慰めも、どれも嘘になる気がした。
気づいた。
俺は息子を守るつもりで、自分の正しさを盾にしていただけだった。
その盾は、薪男の前では刃物だった。
バレエがどうこうじゃない。
男らしさでも、時代でもない。
ただ、俺は息子が壊れる音を聞きたくなかっただけだ。
そして、もう一つ。
自分が壊してしまったかもしれないことに、向き合うのが怖かった。
俺は、薪男に向き合わなければならない。
価値観を押し付けるためじゃない。
自分の未熟さを、認めるために。
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