恋をしたのは猫神様でした

深山水歌

恋をしたのは、猫神様でした

 今日も今日とて、人々は古神社にやってくる。山を越えて、谷を越えて海を渡って、己と大切なものの為に願いを捧ぐ。

 とはいえ、それが叶うかどうかは気まぐれな猫神様のお心しだい。

 さぁ、あなたは何を叶えてもらう?

 

 

 

 けたたましいアラーム音が聞こえてきて、瞼が開く。カーテンの隙間から差し込む朝日に顔を向けてもなお、目には一縷の光すら宿らない。

「朝になっちゃった……」

 穏やかな朝に愕然とする。

「今日も………眠れなかった」

 冴えた目を擦りながら、鉛のような体を起こす。ふと手を見ると、僅かに震えていた。怯えるようにカタカタと動く手を宥めるように片方の手で摩る。

「だいじょうぶ……、だいじょうぶ……。何も怖くない。何も起きない……。へいき、へいき」

 暗示をかけるように呟く声は、暗闇に沈んでいた。重たい足取りで、洗面所に向かう。

 鏡に映るのは、濁った紫色の目、ボサボサとした黒髪は寝癖でセミロング程の長さがボブヘアのように縮こまっている。自身の顔を触った途端に、羽衣石ういし琳花りんかの砕け散った心の破片が疼き出す。

「………ひどい隈。これじゃあ、化粧をしても隠せないね」

 昼夜問わず不眠に悩まされ、薬に頼っても何も変わらない状況に琳花は諦めていた。

 朝が来る度、自身の顔を見る度、暗澹たる思いを抱く。

 はぁ、と何度目か分からないため息を吐きながら、身支度に取り掛かる。

 化粧を施した顔は、血色の悪いすっぴんよりかはマシになっていて、ほんの僅かに笑みがこぼれる。気持ちが軽くなるけれど、時間が進む度に恐ろしくなる。

「今日こそ行かないと……」

 カバンを持って玄関へと歩を進めると――チャイムが鳴った。

 途端に、脈も心拍も跳ね上がって、溢れてしまいそうな声を、手で塞ぐ。

 ピンポン、ピンポン。

 息を殺しながら忍び足でリビングに戻ると、インターホンから声が聞こえた。

「琳花さん、おはようございます。迎えに来ましたよ」

 甘くねっとりとした口調の男の声。

 どうしてここが……、浮かぶ言葉を懸命に押し殺す。

 音を立てないように、ゆっくりと後ずさる。

 ドンドンドン

「琳花さん、いるのは分かっているんですよぉ」

 やめて

 ピンポンピンポンピンポンピンポン

「ねえ、琳花さぁん」

 やめて……

「琳花!  出てこいッ」

 やめて――!

 耳に入ってくる全てのものが怖くて、何も聞きたくない。琳花は耳を塞ぐように蹲り、嵐が過ぎ去るのを切望しながら耐え忍ぶ。


 ピコン

 スマホの通知音が聞こえて、目を開ける。カバンに入れたスマホを取り出すと、あれから数時間が経過していた。とっくに始業開始時刻を過ぎていて、会社から複数件の不在着信が来ている。

「………今日も行けなかった」

 どんよりとした気持ちが押し寄せてきて、目の前が暗くなる。数件のメッセージが来ていることに気がつくと、ほんの少し暗闇が晴れていく。


 アンタ大丈夫?

 今日も来れなさそう?

 相談して

 私は味方だから

 仕事のことは気にしなくていいから

 このメッセを見たら電話して、絶対


 仲のいい同期の島木しまきからのメッセージが霞んで上手く見えない。堰を切ったように溢れ出す涙を雑に拭いながら、嗚咽を抑え込む。震える手で電話を掛けると、ワンコールで出た。

「琳花、平気なの?」

「……無理。さっきアイツが来てドアを叩かれたの。もう居場所が分かったみたい。どうしよう」

「……そっか、助けに行けなくてごめんね。ヤバすぎるでしょ、川奈のやつ。警察には相談してるんだよね?」

「うん、でも……事件性がないから保護は難しいって」

「既に事件が起きてるのに、なんで警察は動かないのよ」

 苛立ちがこもった声で呟く島木に、申し訳なくていたたまれなくなる。

「ごめんね、迷惑ばっかりかけて……」

 ボロボロと流れる涙が床にシミを作る。口に入った涙のしょっぱさに、ぐぅとお腹が鳴る。

「琳花のせいじゃない。全部川奈のせいだから謝らないで。……ご飯食べてるの? 寝られてる?」

 島木の優しい声が、心の破片を慰めてくれる。

「お腹が空かなくて食べてない。夜はほとんど寝てないかな」

 ちゃんとしたご飯を食べたのは、ちゃんと眠れていた日はいつだっただろう。今は、何も思い出せない。今の生活になってから、全てが苦痛で生きていることが、絶望に感じてしまう。

「ねぇ、琳花」

「なに?」

「もう――猫神様にお願いしよう」

「ねこがみ、さま?」

 聞いたことがない単語に、涙が引っ込む。

「あれ? 知らない? 初詣によく行く古神社があるでしょ。あそこには、願いを叶えてくれる猫神様が祀られているの」

「あー、そういえばそんな昔話があったよね」

 ここ璃都市りとしには、猫神様の民話がある。飼い猫が飼い主の命を助けたことで、猫神様として祀られた話は、璃都市に住むものなら誰もが知っている。

「そうそう。昔話が本当かは分からないけど、試してみる価値はあると思う。どうかな?」

 島木の言葉に琳花は口ごもる。

「でも、もし……アイツに会ってしまったら」

 そう思うと、怖くてたまらない。

 スマホを握る手が思わず、カタカタと震えてしまう。

「怖いよね。でも、このままじゃいつ……」

 殺されるか分からない――

 島木はそう言おうとして口を閉ざした。それは、琳花をこれ以上の絶望の淵に落とさないための配慮だろう。

「今日、川奈は課長たちと大事な商談があるみたいだから、行くなら今のうちだよ!」

「でも……」

「大丈夫。みんなが見張ってるから。私は今日休みだけど、相間あいまたちと逐一連絡を取ってる。危ない時はすぐに連絡する。だから、今すぐに行くんだよ!」

 じゃあね、と島木は電話を切った。

「でも、怖いよ………。外に行くのが」

 脳裏に思い浮かべるのは、薄い茶髪でタレ目が特徴的な甘いマスクな男性。去年から付き合っている川奈作都かわなさくとのこと。

 同じ職場で、同じ年齢。立場上は琳花が先輩だけれど、優しく素直な作都に惹かれていくのにそう時間はかからなかった。

 付き合いはじめたときは、凄く幸せで密かに結婚をしたいな、と思ってしまう程だった。けど、だんだん化けの皮が剥がれていくみたいに、異性との会話を禁止され、今度は同性との会話を禁止された。気が付けば、川奈作都という人間に囚われ、束縛されていた。そのことに気がついたのは、島木が作都を叱ったとき。

 恋人なのはわかるけど仕事には関係ないから、という言葉に目が覚めた。それから、作都の異様な執着ぶりを前にして、あまりの恐ろしさに離れようと別れを切り出した。途端に、気が狂ったみたいに追いかけ回され、事あるごとに近寄ってくる。向けてくる愛が、まるで凶器のようで背筋が凍った。

 逃げても追いかけてくる作都は、悪魔のような笑みを浮かべていた。諦めたらいいのに、と一日の中で何度も願いながら過ごす日々。

 怯えながら過ごすのがストレスで、ご飯は食べれないし、眠れなくなってしまった。仕事にだってろくに行けてなくて、みんなに迷惑をかけ続けている。なのにみんなは、心配しないでくれ、と温かい言葉をかけてくれる。けど、今の琳花には恩すらも返せない。

 それが辛くて、自分自身が嫌になる。

 こんな生活はもう――――

「嫌だ。何とかしなくちゃ……」

 戦うしかない。

 たとえ、どんな手段を使ったとしても。


 


 久しぶりに綺麗に身支度を整えて、玄関に立つ。どうしても震えるけれど、靴を履いて思い切り扉を開ける。そこには誰も立っていなかった。周囲を見渡しながら、鍵を閉めて家を出ていく。

 差し込む日差しを受けながら、歩を進める。最近はまともに外に出られなかったから、心地がいい。町の喧騒も、人の話し声も、ニャーと鳴く猫たちの姿も、全てが新鮮で懐かしい。

 璃都市は、別名猫の町と言われるほどに、猫が多い。陽の当たるところで日向ぼっこをしている姿は、壊れた心を癒してくれる。

(そうだ、これが本来の日常だったんだ。忘れてたなぁ。ずっと……)

 浮き足立った足取りで、古神社に続く参道にたどり着く。木々に囲まれながら、石畳の道を進んでいくと塗装が剥がれかけている鳥居が顔出した。その先には、古びた神社がそびえ立っていた。

「ここが古神社……。久しぶりに来たな」

 木漏れ日から差し込む陽光が、神社をぼんやりと照らしていて、別世界にきたような感覚にさせる。

「願い事しなきゃ」

 お賽銭に五円玉を入れて、お供え物としてマタタビを置いた後、二礼二拍手をする。

(どうか、私と川奈作都との悪縁を断ち切ってください)

 ぎゅっと目を閉じた瞬間、ザワザワと木々が揺れ動く音が聞こえると同時に、どこからかリンリンと鈴の音が鳴った。


 あい、分かった。


 遠いようで近いところから声が聞こえて、ハッと目を開ける。周囲を見渡しても、人の姿はない。

 風に乗って木の葉が飛んでいくだけだった。

「気のせいかな」

 ほっと息をつけて社に向き直ると、心臓が止まった。

「ニャー! 驚いたかぁ?」

 白髪にアンバー色の目をした猫耳のコスプレをした青年が立っていたから。

「え?」

「んー、もっと驚けよぉ〜!  せっかく出てきてやったんだぞ!」

 放心している琳花をムッとした表情を浮かべて見つめてくる男子に、何も言えない。

(ど、どういう状況……?)

 唖然としていると青年は、八重歯を見せながら笑う。

「我の名は、銀月ぎんげつ。見て通り、猫神様だ。お前の名前は?」

「羽衣石琳花です……」

 銀月と言う青年は、ここに祀られている猫神様らしい。

(猫神様って、本当に実在しているんだ……)

 ぼーっと、銀月を眺める。

 目鼻立ちが整っている造形は、玉貌そのもので思わず見惚れてしまう程に美しい。白い和服がより肌や髪の毛を白く輝かせている。

(綺麗な人……。絵から飛び出してきたみたい)

「む? どうした、琳花」

 気が付けば息を飲むほどに美しい顔面が目の前にあって、高鳴る気持ちを押さえつける。

「い、いえ! なんでもありません……」

「うーむ……、さては我に見惚れておったな! 愛いやつめ」

 銀月はふわりと笑いながら、琳花の頭を無造作に撫でる。

「ちょっ、やめてください……」

 社会人になって誰かに頭を撫でて貰うのは、気恥しい。

「む、悪い。人の子とこうして話すのは久しぶりでなぁ。ついつい嬉しくなってしもうたわ」

 呵々として笑う銀月の姿が、琳花にはどこか寂し気に見えた。

「まぁよい、今日は気分が良いから琳花の願いを叶えてやろう……して、川奈作都との悪縁を断ち切りたいというのは具体的にはどんな?」

「えっと……」

 銀月に今までの経緯を語るのが急に申し訳なくなってきた。

(なんて言おうかな……)

 久しく動かしていなかった頭を無理やり回転させる。

「……その人とは、恋人同士なんです。でも、行動を制限されるようになってしまいました。友達と話すのもダメ。仕事の話を男の人と話すのもダメ。外出もダメ。そうされていくうちに私の心は砕けてしまったんです。逃げようとしても、追いかけて回されて……怖いんです。警察の人は取り合ってくれないから怯えながら生きる日々に疲れて、もう終わりにしたい。でも、ここで全てを諦めたくはないから、こうして猫神様にお願いをしに来たんです。作都との悪縁を断ち切って、互いが互いの道を進めるようにして欲しい……、それが願いです」

 口から出た言葉はもう取り消せない。でも、後悔はしていない。けれど、銀月がなんと言うかが怖い。目線を上に向けられずにいると、頭上から銀月の声が降ってきた。

「……辛い思いをしてきたのだな」

「え……」

 意外な返答に驚いて目線を上げると、目元に雫を浮かべた銀月と目が合った。

(泣いて……)

「……野良で、人から浴びせられる力に翻弄されて死にかけていた頃の……昔の我と少しばかり似ているな」

 哀愁漂う面持ちに、ふと猫神様の民話を思い出す。

 猫神様は、人に虐められていたところを助けてくれた人間と生活する。その飼い主はお奉行で、ある日、浪人に命を狙われ致命傷を負ってしまう。トドメの一撃を猫神様が助けたことで一命を取り留めたという。その猫が目の前に銀月なのだろうか。

「あの、猫神様……」

「銀月でよいぞ、琳花。お前の願いは、確かに聞き届けた。では、行くぞ!」

 けろりと明るい表情を浮かべた銀月は、琳花の手を取って歩き出した。

「え? ちょっと……!」

 カランカランと鳴る下駄の音が、境内に響くと穏やかな風が吹き荒れる。季節外れの桃の花の香りが鼻腔を擽った。


 


「――して、川奈作都はどこにおるんじゃ?」

「えっと、今は仕事中だと思います」

「ほう……、どこでだ?」

「目の前の建物の中です」

「そうか! ならここにいれば奴と会えそうだな」

「そう、ですね……、でもなんでカフェにいるんですか? 銀月様」

 琳花は、銀月と共にテラス席があるカフェでお茶をしていた。

「決まっておろう……、我が一度来てみたかったからじゃ」

 のほほんとした口調で、銀月はちろちろと抹茶を飲み進めていく。

(猫が抹茶を飲んでもいいのかな……。でも、人の姿をしているから、問題はないっぽい?)

 先程まで出ていた猫耳と尻尾はマジックのように消えていて、浮世離れした顔面だけが浮き出ている。

「ねぇ、見て。めっちゃイケメン!」

「芸能人かな? でも、あんな人見たのは初めてだよ」

「隣にいるのは誰だろう? 彼女さんかな?」

(断じて違います。この方は、神様ですよ。私はただの参拝者ですから)

 心の中でツッコミながら、アイスティーに口をつける。

「どうして、来てみたかったんですか?」

 落ち着けた心で純粋な疑問を問う。

「ん? ああ、ここでよく餌を貰っている猫が教えてくれたのだ。ほれ、あそこにいるぶち猫じゃ」

 銀月が示すほうを見ると、黒と白のぶち猫が餌をねだっているところだった。店員は慣れた様子で餌を差し出しているから、銀月の言葉は嘘ではないようだ。

「でも、どうして?」

「我は猫と会話が出来るのでな。こうしてここにいるのも、全て猫達が教えてくれたのだ。ちなみに琳花がやってくることも把握済みじゃった」

 ウィンクをする銀月には、なんでもお見通しらしい。

「じゃあ、作都がここにいることも知って?」

「もちろんじゃ、我は神であるからな」

 ニヤッと笑う銀月は、いたずらっ子な猫みたいで可愛く見えた。

「ふふふ、本当に猫神様なんですね」

 ほんのり疑っていた。初対面で都合よく助けてくれる人なんているはずがない。神様に願いごとをしたって、何も変わらない。むしろ、無意味としか思っていなかったから。

 これがもし夢であっても、こんな穏やかな時間を過ごせていることが嬉しい。

「…………笑えたのならば、それで良い」

「笑う?」

「自覚がないのか?」

 琳花は、アイスティーに映る自分の顔を見て、目を見開く。そこには、仏頂面な自分ではなく、ぎこちない笑みを浮かべる自分がいた。いつものような不自然ではない、自然と溢れ出す笑み。

「笑えたんだ、私……」

 滲んで霞む視界の中、美しい銀月の顔が見えた。

「琳花よ。人は、人の中でしか癒せない傷がある。だから、諦めてはならぬぞ。生きることをな」

 慰めてくれるように頭を撫でる銀月の手が、温かくて両目からあつい涙が溢れ出す。

(……この時が、長く続いてくれればいいのに)

 幸せを願う度、琳花が思い描く幸せが崩れ去る。

「琳花ッ!」

 バンっ、と机を叩かれて涙が引っ込む。見ると、鬼の形相をした作都が立っていた。タレ目の原型が無くなる程につり上がっていて、恨むような凄んだ目に体がガタガタと震える。

「お前さ、なにしてんの。仕事してる俺を放っておいて別の男とお茶をするとか、どんな神経してんだよ。なんだ? 俺はお払い箱ってか? なぁ、答えてよ……答えろッ!」

 まくし立てるような怒声が、激しく脳内を揺らして薄れていた恐怖心がどっと溢れ出す。

「ご、ごめんな、さい」

 冷たい涙が落涙して、口の中に入っていく。氷を飲み込むような冷えきった感情が浮かび上がる。

「川奈くん! やめるんだ!」

 作都を抑え込む上司の声が聞こえにくい。脳内には作都の声だけが響く。

「もう琳花には、俺しかいないんだから。それに俺のものでしょ。勝手なことをしたらダメだよ? ねえ、そうでしょ」

 優しくて甘い声音に、もう怒りは宿っていない。けどここで、いつものように頷いてしまえば振り出しに戻ってしまう。

(勇気を出さないと)

「ち……がう」

「なぁに?」

「違う! 私はあなたのものじゃないっ」

 絞り出した声は、ずっと言えなかった本心。

 でも、さらけ出した気持ちは、作都の怒号によって掻き消されて、町中に響き渡る。言葉として認識出来ないほどの罵声が、琳花の脳内で駆け回る。

(結局、いつもと同じになるのね……)

 諦めるように目を閉じた時――

「うむ、こうすれば良いか」

 銀月の声が聞こえてきたと同時に、体が引っ張られた。

「てめぇ!」

 銀月は、琳花の肩を抱き寄せていた。怒りを露わにする作都に銀月は、不敵に笑う。その横顔が、妖艶めいていて思わず息を飲む。

「ほう、神に逆らうか人間」

 低く唸るような声で呟いた銀月が手を掲げると、突然、たくさんの猫が作都に襲い掛かっていく。

「なっ!  やめろ!」

 猫嫌いな作都が慌てふためく様子に銀月は高らかに笑った。

「我に逆らうからだ愚か者め。我は猫神様。人の願いを叶える神じゃ。琳花の願いはお前との悪縁を断ち切りたいというもの。お前は琳花に対して縁を切らざるを得ない行為をしていたことを確認した。だからこの願いは、叶えるのに値する。では、さらばじゃ。川奈作都よ」

 銀月が手を下ろすと共に、見たこともないような大きな猫が現れた。すると、作都を口に加えてどこかに飛び去ってしまった。

「な、何が起きたの……」

 呆然としていると、銀月が顔を向けてきた。

「川奈作都は、化け猫によって縁を切られただけのことよ。今頃、自身の家に着いて放心している頃合いじゃろう。なんとも愉快なことじゃ」

 にゃははと笑う銀月は、楽しそうだった。

「よかったのう、琳花。これで悪縁を断ち切れたぞ!」

 満面の笑みを浮かべる銀月が太陽のように眩しくて、目が離せなかった。ドキン、と激しく高鳴る気持ちが砕けた破片を新たに修復していった。


 


「川奈が転職してくれて良かったね! 琳花」

「うん、そうだね」

 猫神様のお陰で、琳花は職場復帰が叶った。濃かった隈はすっかり消え去り、今までの日常を過ごせている。

「でも、川奈はどこに転職したんだろうね」

 うーんと、唸る島木には言えない。

(銀月様が縁を切ってくれたから、私と出会う前の職場に戻っているだなんて)

「琳花、次はちゃんとした人を選びなさいよ。あんたはいつだって、変な男に引っかかる程に男運が最悪なんだから」

「う、うん。気をつけるよ……」

 作都のような過激な男はいなかったけれど、今まで付き合ってきた男は、浮気性、浪費癖、結婚詐欺師……で純粋な関係を築いたことがない。男運が悪いことぐらい自覚はしている。でも、恋に落ちてしまったら、冷静さを保てなくなる程の盲目になってしまうのは、悪い癖だ。

(今度の恋こそは、気をつけないと……)

 次の恋を考えると、ふと銀月が浮かぶ。

 あの日、満面の笑みを浮かべた銀月の姿が脳内を駆け巡っていく。零れそうになる笑みを誤魔化すように、アイスティーを口にする。


 翌日、古神社に訪れると、境内で猫と戯れている銀月がいた。

「おー、琳花ではないか! 何かあったのかぁ?」

 ニコニコ顔な銀月に、感情を押し殺して近づく。

「こないだのお礼です」

 カバンから取り出したのは、マタタビ。

「おお! マタタビじゃ!」

 マタタビに飛びつく銀月の行動ひとつひとつが、胸をときめかせる。

「こないだの供え物と合わせて、ゆっくり楽しむとしよう! ありがとう、琳花」

 目を閉じてニパっと笑う銀月が、にこにこ顔を浮かべる猫そのもので、可愛い。

「好きです」

 気が付けば、本音が溢れていた。

 あっ、と気づいた時には、とうに手遅れ。

「ち、ちが……っ」

 弁明しようといた口がぽかんと開いてしまう。

「わ、我に……恋慕を募らせてどうするんだ、ばかもの」

 頬も耳も真っ赤に染った銀月が、恥ずかしそうに顔を背けていた。

 恋のキューピッドの矢が、形になった心に突き刺さる。

(か、かわいい……!)


 琳花の次のお願いは、口出すほどには烏滸がましいもの。

 けど、叶えてくれるのは猫神様のお心しだい。

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