月詠冬子の10年間

(くそっ!イライラする……)


今日はこの街での公演の最終日。


彩光寺麗子は舞台袖の控え室の扉を乱暴に開けて入り、周囲のスタッフや他の演者に一瞥することもなく、置いてあった椅子にドカリと腰を下ろした。


ここ1か月半ほど、彩光寺麗子は常に苛ついていた。

「怪盗Witch Phantom」という謎のアカウントからDM(ダイレクトメッセージ)が来てからというもの、碌に眠れていない。


治らない苛立ちは日に日に増していき、今日はピークに達していた。


(私がここまで来るのに、どれだけ努力したと思ってるの……!?)


彩光寺麗子……もとい、月詠冬子は10年前に知った。


いくら見た目だけをよくしても、中身が伴わない自分は誰からも評価されないということを。


10年前のクリスマスイブの事件後、月詠家の遺産が春華、夏波、冬子に相続されたので、冬子はその金で生活しながら舞台女優を目指していた。


しかし親に甘やかされながら実家でろくに働かずに生きてきた冬子は、舞台女優として必要な知識や技術はない。


満月鏡で見た目だけを整えても、演劇の世界では通用しない。

冬子は最初の一年で、その現実を痛いほど思い知らされた。


遺産は尽き、姉達にも頼れず、彼女は金を稼ぐために夜の街を彷徨った。

満月鏡の魔法のおかげで、「客」には困らなかった。


だがそれは実家で親の庇護下で暮らしていた冬子にとっては、地を這い泥を啜るような生活だった。


そんな冬子の唯一の心の支えは「舞台女優になる」という夢だけ。


地獄のような生活の中で、地獄から這い出る亡者のように努力した。

生活は荒れ、素顔はより汚く、みすぼらしくなっていったが容姿だけは魔法で誤魔化せた。


その過酷な生活と努力は演技の肥やしとなり、「彩光寺麗子」として活動し始めてから数年経った頃には舞台女優として芽が出始めた。


満月鏡で手に入れた美貌と、血を吐くような努力で、5年目にはなんとか舞台女優としての仕事で生活することが可能となった。


しかし舞台女優として成功し始めると、冬子には別の苦しみが生じた。


それは、自分が「偽物」であるという苦しみ。


冬子が彩光寺麗子としてどれだけ演技を磨いても、SNSなどには「世界一綺麗な舞台女優」などの評価ばかりが並んだ。


周囲の人間は美しい偽物の「彩光寺麗子」が好きなのであって、誰も醜い本物である「月詠冬子」という醜女は知らないし、好きでもないのだ。


「彩光寺麗子」という、何よりも美しいが偽りの仮面をつけたまま積み上げる成功は、冬子の心に無限の虚しさを与えた。


その虚しさに耐えられず、冬子は何度も姉達に電話をした。夏波には「気にしすぎ」とケラケラ笑われ、まともにとりあってもらえなかった。


しかし春華は冬子の心を救ってくれた。

冬子が悩みを相談すると、春華は冬子を自宅に呼び出し、三日月ノ玉で魔法をかけてくれた。


「あなたは『偽物』ではない。『本物』の彩光寺麗子だ」


そう春華に暗示をかけられた瞬間、冬子は心がスッと軽くなった。

三日月ノ玉の暗示自体は数日で切れてしまうが、一度それが「真実」として心に受け入れられたことで、冬子は随分と楽になった。


そうだ、私は「彩光寺麗子」だ。

これこそが私自身で、本物なのだ。

心が救われると演技にも迷いは消え、活動し始めて10年目にはこの国で1番の舞台女優と呼ばれるほどになっていた。


しかし、事件は起きた──。


『彩光寺麗子へ

私は亡霊。

あなたが過去にその宝を不当な手段で手に入れたことを、私は知っている。

それは元々私のものであるべき宝だ。

その宝をいただきに近日中に参上する。

怪盗 Witch Phantom』


──やっと、心の中から消したのに。

──やっと、乗り越えたのに。

──やっと、前に進めたのに。


(なんで今更、私から奪おうとするの……!?)


今回は、春華も助けてくれなかった。


(嫌だ、絶対に失いたくない。鏡が無くなったら、私は、『彩光寺麗子』は消えて無くなってしまう……!)


怖くて仕方がなかった。これを失えば、自分のこれまでの努力は全て消える。


無限の後悔が自分の心に降り注いだ。


(こんなことになるなら……私、最初から普通に頑張れば……)


3人の姉は全員美人だった。つまり、自分だって懸命に美容ケアをしてダイエットを頑張れば、容姿はどうにかなったのではないか。


親を殺し、家を燃やしてまで容姿(こんなもの)を手に入れる価値はなかったのではないか。


そう思っていた矢先、冬子は10日ほど前に楽屋で一人の少女に出会った。


演技のことなんか何も知らない素人。

だが何よりもまっすぐな目をしていて、若さに溢れていた。

「彩光寺麗子の演技に感銘を受けたから」と即座に劇団で働き始める行動力。


彼女が妬ましくて仕方がなくて、二度と自分の前に現れてほしくないと思った。

かつての自分がなれなかった、素直で行動的な少女。


若い頃はずっと言い訳ばかりして親元で燻(くすぶ)っていた自分。

この少女と同じ年齢で同じ決断ができたなら、こんなことにはならなかったのに──。


「彩光寺さん、出番ですよ」


「あ……はぁい」


スタッフの一人に声をかけられた冬子は我に帰り、無理やり笑顔を作りながら立ち上がった。


(そうよ。とにかく今は一生懸命頑張るの。私の生き甲斐は、スポットライトを浴びることだけなんだから)


冬子はそう思い、舞台に出た。


悲劇のヒロインを完璧に演じきり、歌い、踊る。


客は私に夢中。

客の視線、カメラ、スポットライト。

全てが私に向いている。

最高の気分。全員が私の演技に酔いしれている。


この世界こそが、私の「本物」──


日常で彩光寺麗子という「偽物」を演じている自分は、舞台の上で女優としてキャラクターを演じているときだけが「本物」を感じられる。


シーンが終わり、スポットライトが消える。


「ふぅ」


演じ切った達成感と心地よさから冬子は小さなため息を漏らし、舞台中央から舞台袖へと向かって歩き始めようとした瞬間、冬子は何者かにうなじを触れられたように感じた。


「ん?」


違和感に気づいたときにはもう遅い。


冬子は首から紐で下げていた自分の宝であり命である、「満月鏡」を掠め取られるのを感じた───。

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