くんかくんか
「おーい、水(すい)ちゃん!これもおねがーい!」
アルバイト2日目。
彗は仕事初日である昨日はスタッフの先輩にマンツーマンで一通りの仕事を教えられたが、2日目からはあらかじめ割り振られた仕事表通りに動いてくれれば良い、と言われていた。
仕事内容が単純な雑用中心だったため、彗でもなんとか1日で覚えることができた。
「はーい、今行きます!」
先輩スタッフに大きな声で呼ばれた彗は舞台裏に乱雑に並んでいる小道具を拾い集め、呼ばれた方向に走って行った。
「これを2階のC室に置いてきて!」
「はい、分かりました!」
彗は言われた方向へと走り出した。
「バイトの中村さん、よく働くなぁ。面接を担当した尾崎(おざき)さんは『中村水は一世一代の大博打で採用した』とかなんとか言ってたけど……素直な良い子じゃないか」
純朴でまっすぐな性格の彗は他の演者やスタッフにも可愛がられ、彗は楽しく働いていた。
(……あ、こっちのエリアは初めてだからちょっと奥の方まで見ておこうっと)
彗はそう考えて体育館の中の細かい通路の奥まで走り、再び戻ってきた。
この行動は宵の指示であった。
「──いいか、ヴェルサイユ・ロゼが拠点にしている体育館の通路、設置されてるステージや客席の構造を全部細かく見て回るんだ」
彗が「そんなこと言われても、私覚えられないよ。いま私が覚えてるのは志望動機だけ」と答えると、宵は「わかってる。あと志望動機はもういいから忘れろ」と言い、彗に小さな黒い玉のようなものを渡した。
「これは超小型カメラだ。バイト中はそれを常に胸に付けておいてくれ。それをBluetoothで彗のスマホに繋いでおけばスマホに動画が保存される。それを使って、俺が会場内の立体的な地図を作る。そのカメラ高かったんだからな、絶対壊すなよ」
「地図?そんなことできるの?」
「ああ。そのデータがないと決行当日の満月鏡の奪取から逃走までのルートを決められないからな。絶対に必要な情報だ」
「ほえー」
彗は正直よくわからない部分もあったが、頭脳的な部分は兄に頼ろうと決めていたので、とりあえず胸にカメラを付けたまま働き、その状態でなるべく広範囲を撮影する事を心がけながら走り回っていた。
パチパチパチパチパチパチ………!!
「おわっ、びっくりした。ちょうど終わったのかな」
彗が走っていると突然舞台が設置されているアリーナの方から大音量の拍手が聞こえた。
「えーと、さっきのがお昼最初の公演だから次は……」
彗はポケットから折り畳まれた紙束を取り出し、ページをめくった。
「やばっ、この時間の客席の掃除担当に私入ってるじゃん。忙しいなぁ……」
彗は紙束を折り畳んでポケットに入れ、アリーナの方へと走り出した。
彗が確認した紙束は、この街にヴェルサイユ・ロゼが滞在する期間の公演のスケジュールと、全スタッフ、演者の動きが一つの表としてまとめられているものだ。
スタッフはこれを見て動けば、自分がいつどんな仕事をすれば良いかがわかる。
しかし「中村」と書かれている列だけ、「グッズ販売」や「お客様誘導」と書かれた接客系の仕事欄の全てに大きくバツが書かれていることが彗は気になっていた。
またこの紙は今回の計画で非常に重要なもので、絶対に持ち帰るように宵は彗に厳命している。
「いいか、ホームページとかに書いてある公演スケジュールだけじゃダメだ。スタッフ、演者全員のスケジュールがまとめられた表を手に入れたら絶対に持ち帰るんだ。捨てるんじゃないぞ」
彗は宵の言葉を思い出し、ポケットの中にある大切な紙束を落としていないか定期的に確認しながら、客席の清掃をしていた。
────────────────
「いや水ちゃんほんとに体幹エグいね!?」
「えへへ……」
ここは舞台の真上に設置されているキャットウォークという場所で、照明を扱うスタッフが主に公演中に移動するための高さ15メートル程度の足場だ。
アルバイトの彗はここで照明器具の掃除や、その照明器具から伸びているケーブルの整理などをやるように先輩スタッフから指示を出されたが、彗が高さに物おじすることもなく、また難しい体勢でも平然と作業をこなす姿に先輩スタッフ達は目を剥いた。
劇団の中で既に「話は通じないが体幹だけはエグいバイトの女がいる」と噂にはなっていたが、実際に彗の動きを見てさらに驚く者が多かった。
「ふぅ、次は楽屋の掃除かぁ」
彗は自分のシフトを確認しながら、次の仕事に向かった。
「あっ……」
彗は心に緊張が走った。
何故なら、今から掃除を始める楽屋のネームプレートには「彩光寺麗子」と書かれている。
彗と宵の両親と祖父母を殺し、家を燃やした叔母達のうちの一人、冬子かもしれない人物。
あの日のことを思い出すと、彗は心に火が付くのを感じる。
絶対に許せない相手だ。
(ダメダメ、平常心平常心……)
彗は深呼吸をして心を落ち着けた。
宵から「絶対に突発的な行動をしないように」と何度も言われている。
こちらは彩光寺が冬子であるかを確認しなければならないが、同時に「中村水(ナカムラスイ)」が「月詠彗(ツクヨミスイ)」であると絶対に気づかれてはならないのだ。
可能な限り目立つな、と宵からきつく言われている。普段は本能のままに生きている彗も、これが「潜入調査」であることは重々承知していた。
彗は「ふぅ」と息をついて気分を落ち着けてから、楽屋のドアを開けた。
「お邪魔しまぁ〜す……」
分かっていたが、中には誰もいない。
彩光寺は先ほど舞台横の控え室に入った。
だから、彩光寺がいなくなった楽屋をスタッフである彗が掃除するわけだ。
楽屋は畳が敷かれた6畳間ほどの空間で、低い長机が一つ置かれている。
「いや、汚(きたな)ァっ!」
彗は思わず声をあげてしまった。
食べ散らかされた無数の菓子のゴミ、半分ほどだけ飲んだ飲みかけのペットボトルが何本も畳の上に落ちており、途中まで食べたサンドイッチの袋も落ちている。
ペットボトルとは違い最後まで飲んだと思われるフラペチーノの容器も、ストローが差しっぱなしで机の上に捨て置かれている。
つい先程までここで彩光寺は飲み食いしながらダラダラと寛いでいたのが、彗にはよくわかった。
「くっそー、施設出てから私はまだスタールバッカスに行ったことないのに……」
彗が憧れているが主に金銭的な理由でまだ行けていない喫茶店である、通称「スタバ」のフラペチーノのゴミを彼女は乱暴に拾い、持ってきたゴミ袋に入れた。
「……あっ」
彗は鼻からスンスンと息を吸い、部屋の匂いを嗅いだ。
「……薔薇と柑橘系を混ぜた香水の残り香……やっぱり、間違いない……かな?」
彗が今回の潜入調査で宵から出された無数の課題の一つに、「彩光寺麗子の香水の再確認」があった。
今回「彩光寺麗子」と「ヴェルサイユ・ロゼ」をターゲットとして計画を立てて行動を始めた兄妹だが、その全ての起点は彗が嗅いだ香水の香り。
もしもそれが間違っているのであれば、もちろん今回の計画は即座に中止。ただアルバイトをして終わりにする、と宵から言われていた。
だから彗は慎重に匂いを嗅ぎ、10年前の記憶と照らし合わせた。
「もうちょっと近づくか……」
彗は、彩光寺が寝転がって飲み食いしていたと思われる場所の畳の匂いを直接嗅いでみることにした。
彩光寺が寝転がっていたと思われる場所は一目瞭然。何故なら、ちょうど人が寝転べるほどのスペースだけ空けてお菓子や飲み物のゴミが縦長の楕円を描くように落ちていたからだ。
彗も休日に部屋でダラダラしていると、お菓子や飲み物、本などが自分を囲むように置かれ、立ち上がるとそこに自分の体ほどのスペースができるのでそれがよく理解できた。
彗はそれを「寛(くつろ)ぎの絶対聖域(サンクチュアリ)」と呼んでいたが、絶対聖域(サンクチュアリ)は夕飯の前に主に宵の手で破壊されている。
「うーん……」
彗は犬のように四つん這いになり、床に鼻を押し付けてふんふんと匂いを嗅いだ。
(やっぱりそうだ。これは10年前のあの頃、冬子が付けていた香水の香りに間違いなっ……)
ガチャッ!
その瞬間、楽屋のドアが開いた。
そして楽屋の中にいる二人の人間は固まった。
一人はこの楽屋に忘れ物を取りに来た、彩光寺麗子。
もう一人は、大女優が寛いでいたと思われるあたりの畳に四つん這いで顔を押し付け、ひたすらクンクンと匂いを嗅いでいた変態。
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