墨田区のぶつかりおじさん

うたかた

1

 花の金曜、夕方。

 金色の夕陽が差す駅の改札口から、会社員や大学生たちが流れでていく。これから家にもどり、家族と卓を囲むのか。温かい晩飯を食べるのか。休日に遊ぶ予定を、スマホ片手に決めるのだろうか。

 

 かたやオレは二十数年務めた会社を首になり、アルバイトの身。

 しかも粘ったパチンコで負けて苛々していた。バイト先でも若い店長に「いい加減、レジ打ちくらい覚えてください」と叱られて……こんな日は、誰かに憤りをぶつけなければやっていられない。

 そう。〝他人にぶつかる”に限るのだ。金はないから酒も飲めないし、外食で美味いものを食えるわけではない。そんなオレの唯一のストレス発散方法である。

 

 肩をいからせて鼻息荒く、ターゲットを決める。


 まずはひょろっとした男子大学生。歩きスマホはあぶねえんだよっ。ドンッ! とぶつかる。目を大きく剥いて驚いた表情だ。たまらんね。

 次は横になって歩いている女たち。ほかの歩行者の邪魔だろうが。天罰だぜ。ドドンッ! お、こけたか。そんな高いヒール履いてっからだよ。

 周囲はオレを避けるが、止める奴は誰もいない。社会なんてそんなもんさ。冷たいもんだ。


 続いて、スマホでくっちゃべっているOLに向かう。彼氏と電話しているのだろうか。顔を緩めやがって。都内一のぶつおじである、オレに出くわしたのが運のつきだったな。


 数歩の助走をつけたのち、OLへ駆けていく。そこに、

「ドスコ──────イ!」

 横から突然の衝撃が……。オレの体はダンプカーに衝突されたかのように、くるくるくると宙を舞った。ちょうど四回転半。プロのフィギュアスケーターが羨ましがるほど、鮮やかに。なんだ……この魂のこもった、半端ねぇぶつかりは……まるで親が子を全力で叱るような。


 そうか。


 そうだった、ここは、ぶつかりの聖地……ぶつかりを極めし者がつどう場所……両国駅! 歩いて二分で国技館につく、両国駅の西口だったのだ。

 オレごとき、チンケなぶつかりおじさんが徘徊していい所ではなかった。ナイル川のピラニアのように、どう猛なスモーレスラーたちがウヨウヨいたのだ。


 道路の隅に転がったオレの意識は薄れていく。視界の隅に、ゆっくりと雪駄が近づいてくる。視線を少し上げると、二人の大男の姿があった。


 失神のトンネルを抜けると、そこは和の国だった。

 畳に横たわるオレの耳に「よいしょ」や「のこった」など、野太い掛け声が飛びこむ。部屋の中央は土で、太い縄が円形に置かれていた。ああ、相撲部屋だ。

 どうやら気を失ったオレは、ここに担ぎ込まれたらしい。


「今日はここまで。皆、部屋に帰ってくれ」

 うす。ありしたっ。略しすぎて意味不明な返事のあと、筋骨隆々の背中たちが部屋をでていく。オレの鼓動は高鳴る。


 巨躯の男、二人がオレの処遇について話しはじめた。向こうの出方をうかがおうと、寝たふりを続けることにする。

「なあ、大和ノ海よ。コイツをどうすんだ? 警察に引き渡そう。うら若きおなごにぶつかっていたんだから。普通に暴行事件だぜ」

「親方……このぶつおじは確かにドブ川のような淀んだ目をしています。でも、元は澄んだ目をした少年だったんですよ。罪を憎んで人を憎まず。牢屋にやるんじゃなくて、チャンスをあげましょうや。環境を変えましょう。住んでいる水を綺麗にしたら、一般人にぶつかろうなんて思わなくなる」


「大和よぉ。立派な考えだが、力士になれるのは二十二歳まで。このおじさんはどう見ても二倍以上の年じゃねえか。小太りだし、身長も足りそうではあるが……髪の毛の生え際が後退している。力士は髷を結えなくなったら引退だ。……もって数年だぞ」

 大和ノ海と呼ばれた大男が、両手をあわせて言う。


「そこをなんとか。とんっでもねえ老け顔ってことで胡麻化そう。それに、親方。コイツのぶつかりを見ただろ。腰をすえて、膝を曲げた低い姿勢。相手を効率的に押す角度。女子供に当たっていたのは褒められたもんじゃねえ。だがコイツには相撲の才がある! 俺はコイツにちゃんこを腹いっぱい食べさせてやりてえ、立派な力士に育ててえ。ちゃんと見捨てずに飼うからさあ」


「駅前で遭遇したおじさんを育てるって? どんな育成ゲームだよ。正直、ドン引きだわ。でも、お前は言ったら……きかねえからなあ。ちゃんと自分の稽古もしっかりできるか?」

「うん!」

 少年のような威勢のよい返事が、相撲部屋に響いた。そして親方が頭を振って、長いため息をつく。

「仕方ねえなあ。じゃあ、まずコイツの四股名を考えるか」


 寝転んだオレの頬を温かいものが伝う。

 この人たちはオレを必要としてくれている。社会に捨てられ、すっかり凍えちまったオレを。

 大和ノ海のアツいぶちかましを思いだす。あれは情熱のこもった、ぶつかりだった……。


 親方が、オレの目があいているのに気付いた。

「おお、目覚めたか。なんだ。泣いているのか?」

「ふんっ。力士の体当たりが、ちょっと効いただけだよ」

 とっさに言い訳をする。とはいえ、オレの声は上ずっていたから、感極まっているのに気がつかれたかもしれない。


 こうしてオレは冴えないアルバイターから、スモーレスラーに変貌を遂げたのだ。

 四股名は大和の兄貴がつけてくれた。

「お前は墨田区で生まれたドラゴン! 迫力満点の龍なのだあ」と言われて、墨田龍となった。(兄貴はちょっと中二病のきらいがある)


 入門してからは破竹の勢いだ。前相撲で勝ちつづけて、『序ノ口』へ。優秀と評価され『序二段』や『三段目』などを飛び級し、今や十両である。あっという間にまげを大銀杏に結う、関取になれた。

 プレースタイルは、立ち合いから激しくぶちかまし、突き押す相撲である。正統派で実直な戦い方をマスターできたのは、大和の兄貴のおかげ。稽古に延々と付き合ってくれて、アドバイスをくれた大関、大和ノ海のおかげだ。頭が上がらない。

 そしてオレは一度、会社からクビになった身。次はないと、背水の陣で相撲道に邁進していた。


 ある日の両国駅東口。

 オレがすり足で歩いていると、女性の悲鳴が聞こえてきた。ざわつく群衆の真ん中が大きくあいている。視線の先には、人が転んでいる姿があった。


 ぶつかりおじさんだ。

 次から次へと人がコマのように弾かれる、無双状態。奴は辺りかまわずぶつかり続け、とうとう妊婦へぶつかろうとした。いくらなんでも、それは許されない。オレは現場へ高速すり足をする。

「ドスコ──────イ!」

 ぶつおじの体はトラックに衝突されたかのように、くるくるくると宙を舞った。ちょうど四回転半。プロのトランポリン選手が羨ましがるほど、鮮やかに。


 奴は道路の隅まで、ゴミ取りローラーのように転がっていった。さすがに素人相手にやりすぎたか、と反省して手を差し伸べにいく。


 ぶつおじの目はギラギラ光っていた。かっての自分と同じ、世の全てを恨むような眼差し……。力強くも孤独感が溢れている。オレは屈んで、おじに手を伸ばす。だが、彼は地面に唾を吐き、オレの手をはらった。

「覚えてろよっ」と捨て台詞を吐き、雑踏のなかへ消えていく。


 オレの心に空虚な風が吹いた。もう、人にぶつかるのは止めてほしい、と思う。

 両国駅の東口に少したたずんでから、相撲部屋に帰った。すり足で。


 男を久しぶりにみたのは、国技館内のことだった。

 花道を歩く力士に見覚えがあり、思いだしたのだ。あの時のぶつおじじゃないか、と。

 彼は今、『獄狼部屋』にいた。両国駅の東口にあるうちのライバル部屋で、きな臭い噂が絶えない部屋だ。

 教える相撲道は邪道で、〝勝てれば何でもいい〟が信条である。組みあう相手に肘をいれたり、横に避けまくる。引き技を多用して、一気に逆転をするカウンター相撲。

 ──次の試合で、オレは彼と対戦するのだった。


「にぃしぃー、墨田龍。すみだりゅうー。ひがあしぃー、豊洲市場。とよすしじょうー」

 行司が雄たけびをあげる。丸い土俵を囲む観客が、がぜん騒がしくなった。熱気が満ち満ちて、上空へ昇ってみえる。心なしか、いつもより照明が眩しい。


「相撲界に彗星のように現れた二人。ともに本場所は負けなし。押し相撲と引き相撲でプレースタイルは真逆。これは注目の一戦です」

 司会者が今日の見どころであることを強調する。

 かつてのぶつかりおじさん同士が、土俵の上で相まみえる。たしかに現代を象徴する、重みのある一戦なのかもしれない。

 オレは負けるわけにはいかなかった。大和の兄貴の、まっすぐな相撲道が正しいと示すためにも。


 土俵に上がって、塩を豪快にまく。中央に進み四股を踏む。その後、腰をかがめて両手を土俵におろす。鋭い視線を投げあい、片手をつき……。


「はっけよぉい」

 

 オレは開始と同時に、全身を使ってぶちかまそうとする。だが、豊洲市場はオレの眼前に両手を突きだし、手のひらを合わせて叩いた。猫だましだ。しょうもない! こんなことでオレが目をつぶるもんかよっ。

 近距離になると、どさくさに紛れて肘をあてようとする。オレはあてられても構わず、豊洲市場に向かって進んでいく。ぶつかって廻しをとろうとするが、ひょいひょいとかわされる。

 このままでは、消極的な相撲として行司に止められるだろう。そうはいくか!


 気合で手を伸ばし、豊洲とがっぷり四つに組みあった。オレは耳打ちする。

「いつまでそんな卑怯な相撲をするつもりだ。反則すれすれの行為を繰り返しやがって。お前の親方がなんて言っているか知っているのか? お前のことを、ほかの有望選手に黒星をつけるための捨て駒だって言っているんだぞ」

 これは動揺させるための嘘ではない。親方衆の集まりで、うちの親方が聞いた話だ。親方は怒りで打ち震えながら、相撲部屋に帰ってきた。


 豊洲は呆気にとられて、あんぐり口を開いている。

「嘘だろう……」


「そんな冗談を言うもんか。だいたい豊洲市場なんて、熟考してつけたとは思えない名前だろう。しかも、江東区ゆかりだ。国技館のある墨田区の隣で、ライバルの区なんだ! 目を覚ませ!」

「ちっ……。くそがっ、考察がはかどる奴だなあ。動画配信者かよ……そんな訳ないだろ。うちの親方は確かにこすいが、そんな訳……」

 悲しい目をしている。ぶつかりおじさんに戻ったような瞳に、涙があふれてきていた。


 だが、それでも組み合う腕の力は弱まることはない。なかなかやるもんだ。敵ながら天晴。オレたちは組みあって、ぐるりと回る。立ち位置が変わった時に、豊洲市場がふと呟いた。

「そういえば、この前な。地元の子供たちをよんで、餅つきや相撲をしたんだ。子供らの目がキラキラしていてな。悪役の俺だけど、あれは悪くないもんだと思った……」


 そこからは不思議と、奴は反則もどきを使わなくなった。

 アツい張り手の連打、魂のこもったぶちかまし合い。互いの持てる技を惜しみなく繰りだしていく。 

 白熱した試合に、老若男女問わずの歓声が飛びかった。

(やるじゃねえか、豊洲。真っ向から向かってきても十分強いぞ)

 最後は奴がもろ差しで前にでたところ、オレが踏ん張っての上手投げ。両者の体がふわりと浮いた。どうっ、とほぼ同時に土俵につく。

 

 行司の軍配は──なんと、豊洲市場!


 だが、黒紋服を羽織った勝負審判が、すぐに手を高くあげて異議を申し立てた。物言いだ。土俵の中央に審判たちが集まって、話しあう。

 オレたちは土俵のそとで審判が下るのを待つ。


 オレは土俵をはさみ、向こう側にいる豊洲の顔を見て、笑顔を浮かべた。奴も全力を出し切ったのだろう、満足げな表情だ。アイツも立派な体格に仕上げたものだ。女子供を狙った、ぶつかりおじさんの時とは別人じゃないか。


 協議が終わり、審判たちがそれぞれの席へ戻った。ぎらぎらと照りつけるライトのもと、審判長がマイクを手にとる。

「ただ今の協議について説明申しあげます。二人とも同時に土俵についたように見えましたが、勝者は──」


 相撲をとったオレたちにも、どちらの体が先に土俵についたかなんて分からない。

 正直な話、オレは勝っても、負けてもいいと思った。勝ち負けより大事なものがここにはあった。世をはかなんで拗ねていた、ぶつかりおじさん二人はもういないということだ。まあるい土俵には──立派な力士だけ。

 その事実だけで十分じゃないか。


 なにより、これからもオレたちは胸の熱くなる試合を、子供に自慢できるような試合を続けていくのだから。

 

 オレは国技館の高い天井を見上げる。

 なんだか、とても清々しい気分だった。



〈 了 〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

墨田区のぶつかりおじさん うたかた @vianutakata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画