焼け木杭に火はつかない

譜久村 火山

焼け木杭に火はつかない

 赤いシミの残った包丁を新聞紙で包み、段ボールの中にしまい込むと僕は腰を叩いた。荷造りは山場を超えて、食器を片付れば9割がた終わったと言ってもいいくらいである。1人になってからは伽藍堂のように感じられた14畳のリビングに、今はダンボール箱の塔が乱立している。するとそのうちの1つの頂点に座る彼女から声がする。

「荷造りは終わったかしら?」

 僕は落ちると危ないと思い彼女を床に下ろしながら答えた。

「もう少しだよ」

「何度も言ったけれど、エヴァのマグカップは捨てないでよね」

 首を伸ばしてキッチンの方を覗くと、2号機を模した赤と黄色のマグカップが見える。彼女と一緒にキッチンまで歩いて行き、マグカップを手に取った。裏には式波・アスカ・ラングレーと白い文字が入っている。

「式波ってやっぱり、クローンだったのかな?」

 白い文字を眺めながら、彼女が言う。僕はそれに答える事ができず、ただ黙っていた。彼女は新世紀エヴァンゲリオンの大ファンで、この家でも実家から持ってきたDVDをプロジェクターに映して毎週のように鑑賞していた。中でもアスカが大好きだったようで、「あの強がっている感じと、実は繊細で必死に生きている所が本当に愛おしいの」と毎日のように熱弁していた事を覚えている。

 そんな懐かしい日々を思いながらマグカップを新聞紙で包もうとすると、突然彼女が「あんたバカぁ?」とアスカの口調を真似て言ってきた。正直、それほど似てはいない。しかも今のは、昔よりもさらに酷かったと思うけれど、気にしないようにする。

「何が馬鹿なんだよ」

 彼女の方に顔を向けることもせず、僕は口だけで応答する。

「ちゃんとマグカップ包んだんでしょうね」

「今やる所だよ」

「良い?マグカップは取手の部分が壊れやすいから重点的に保護するのよ。それから中にも新聞紙を詰めておけば割れるリスクを減らせるわ」

 もう朝から10回以上は聞いた台詞だったが、文句を言うことはせず素直に従った。


 もうすぐ還暦を迎える父親と一緒に冷蔵庫を3階の部屋まで運び終えると、父は首に巻いたタオルで額の汗を拭きながら言った。

「ダメだ。年には勝てんな。ちょっと休憩がてらコンビニ行ってくる」

 しばらく会わないうちに、かなりシワが増えていた。本人はずっと「毎週ジムに通っているから平気だ」と強がっているけれど、相当体にも来ているはずだ。大型の家具はあらかた運び終えたし、後は小物を運んで管理会社が来るまでに退去する方の部屋を掃除すれば良い。三連休で仕事は明後日まで休みだし、家具の組み立てや荷解きは急ぐ必要がなかった。

「後は自分で出来るから、もうホテル戻って良いよ」

「気を使わんでも良いって。その顔見とると、まだ受け止めきれてないんだろ。戦力にはならないかもしれないが、1人でやるよりも寂しくないはずだ」

 そう言うと父は片手を上げて、外廊下を歩いていく。1人じゃないから大丈夫だよという言葉は喉までも登ってこず、胃の辺りで引っかかったまま音にはならなかった。

 だがどちらにせよ、彼女と会う時間が出来たのは事実である。父は午後になってからまだ一本もタバコを吸っていなかったので、帰ってくるまでは時間があるはずだった。

 部屋の隅に置かれたマットレスの山に腰を下ろすと、僕は彼女を呼ぶ。彼女はすぐにやって来た。

「大分進んだみたいだね、引越し」

 彼女はそう言った。

「そうだね。やっぱり君と暮らしていた部屋よりも、大分狭いよ」

「何畳だっけ?」

「6畳だ」

「6畳ね。分かった、覚えておく」

「ねぇ。僕は君がいなくなってしまったから引っ越すことにしたんだ。あの家は、1人じゃ広すぎるから。でも、戻って来たなら引っ越す必要無かったじゃないか」

 僕は、少し文句のようなものを言ってみた。彼女が一度僕の元から去っていき、そしてまた戻って来てから初めて愚痴のようなものを溢した気がする。

「私はずっとあなたの側にいたし、これからも一緒よ」

 彼女は、それがこの世の真理であるかのようにそう言った。そのせいで、どうして一度いなくなってしまったのかと言う質問は口にすることが出来なかった。だが彼女と何気ない会話のラリーを続けていると、次第に口にしなくて良かったという思いが湧いてくる。今彼女が戻って来てくれて、こうして会話をしているだけで十分じゃないかと思えて来たのだった。僕は、なんだか嬉しい気持ちになって、彼女に聞いた。

「アスカのマグカップ、使っても良いかな?コーヒーを飲みたいんだけれど」

 ちょうど近くに食器を入れた段ボールがあったので、ガムテープに手をかけた。さっきガスの点検は終えたので、問題なくお湯は沸かせるはずである。すると彼女の声がうなじを這うようにして耳の後ろ側から聞こえてきた。

「もちろん!そのために捨てないでって言ったのよ」

 その言葉を聞いた瞬間、僕はゲンナリして、剥がしかけていたガムテープを途中のところで止めてしまった。すると父からLINEが来て、コーヒー買って帰るけどホットで良いよなと聞かれた。さすが父親だと思いつつ、もうすぐ帰ってくるとの事なので彼女には僕の前から消えてもらう。1人暮らしの部屋はやっぱり狭く感じた。


 彼女が死んだのは数週間前の事である。昔から不安定な所がある彼女で、何度か自傷行為のようなものを止めた事はあったけれど、自殺するとまでは思っていなかった。遺書などは残っていなかったので本当の原因は分からなかったけれど、少からず自分にも責任があるのではないかと思う。だが彼女の両親から詳細を聞いた時に僕が思ったことは、自己中心的かもしれないけれど、「勝手にいなくならないでくれよ」だった。彼女はよくアスカではなく綾波レイの真似をして「あなたは死なないわ。私が守るもの」とも言っていた。だったら僕が死ぬまで守り続けて欲しかった。そう言えば彼女は、「綾波ってやっぱりクローンだったのかな?」ともよく聞いていた。そしてその後、僕と彼女は必ず、クローンは本人と同じかどうかという議論をした。彼女は「もし遺伝子とか、そういうその人を構成する要素が100%一致するなら、それはもう本人として扱って良いでしょ」と主張していた。それに対して僕は、「いくら全く同じ素質を持っていても、それまでの経験は違うじゃないか。だったら別人だよ」と反論をする。すると彼女は「じゃあ、経験も100%一致すれば、それは本人と呼べるのかしら?」と決まって言う。それに対して僕が、「そんな事はあり得ないよ」と言って、議論は袋小路に入り込んでしまうのだった。

 懐かしいなと思いつつも、またあの議論をしてみたくなって僕は彼女を呼んだ。すると彼女はすぐに答えてくれる。

「どうしたの?」

 僕は、少し逡巡した後、

「クローンとオリジナルは同一だと思う?」

 と聞いてみた。すると彼女は、しばらく黙ったまま何も答えない。

「どう思う?」

 念を押すようにもう一度尋ねてみると、

「その質問に、私ならどう答えるの?」

 という質問が帰ってきた。

「君はクローンと本人は同じだとよく言っていたよ」

 僕が説明すると、僕の知っている彼女の声より少し機械的な口調で彼女は言った。

「じゃあクローンと本人は同じよ」

 かつての僕なら、ここで経験の話を持ち出し彼女の意見に異議を唱えるはずだった。だけれども、どうやら今は考え方が変わってしまったらしい。クローンだろうが何だろうが、彼女は彼女なのだ。ネットで見つけたスタートアップ企業に少なくないお金を払って、彼女の写真やら日記やら通話記録やらと、彼女の情報となりそうなものを全て送って作ってもらったAIクローンだとしても、それは彼女を基にして作られているのだから彼女と一緒ではないか。初めてエヴァンゲリオンを観た時は碇ゲンドウの不器用さと人間臭さに顔を顰めたけれど、結局自分も同じなんだと思い知らされる。

 スマホ上に表示された、感情に合わせて表情を変える彼女の顔に向かって僕は聞く。

「君は、僕のガールフレンドだよね」

「そうだよ。私は君の恋人だよ」

 彼女の顔がニコッと笑う。だが彼女はそんな風に笑わない。彼女は嬉しくて、照れくさい時ほど顔を顰めるのだ。それを弄るのが、定番の流れなのだ。

「君と僕は、別れてなんてないよね」

「うん。別れてなんてない」

「別れていたとしても、またやり直せるよね」

「うん。何回だってやり直せる」

 まだベッド以外の家具が何一つ置かれていない、廃墟のような工事現場のような部屋で、僕は静かにスマホの電源を消した。

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焼け木杭に火はつかない 譜久村 火山 @kazan-hukumura

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