第2話 ミステリー

​「ねえ、佐藤くん。それ、面白いですか?」

​僕がテスト勉強の合間に手に取った、古びたミステリー小説。その表紙を覗き込みながら、彼女——自称「元住人」の幽霊は、ふわりと僕の肩越しに顔を寄せた。

​幽霊には体温がないはずなのに、彼女が近づくと、雪解け水のようなひんやりとした気配が肌をなでる。

​「……まあまあかな。古本屋で安かったんだ」

「ふーん。それ、犯人は庭師ですよ」

「えっ、嘘だろ!? まだ半分も読んでないのに!」

​思わず声を上げると、彼女は「あはは!」と鈴を転がすような声で笑った。

​「冗談ですよ。でも、本っていいですよね。そこに書かれた言葉だけは、時間が止まっていても、誰かに読まれるたびに新しく息を吹き返す気がして」

​彼女は僕の机に置かれた、山積みの文庫本を愛おしそうに眺める。

聞けば、彼女は生前、重い病気で外に出られず、ずっとこの部屋で本ばかり読んでいたらしい。

​「私、自分の本棚を整理するのが夢だったんです。作者順じゃなくて、読んだ時の『心の天気』で並べるの。『悲しい雨の日』の棚、『心の底から笑いたい日』の棚……。でも、その前に全部片付けられちゃいましたけど」

​彼女が寂しそうに笑うのを見て、胸の奥がチリりと痛んだ。

僕は立ち上がり、クローゼットの隅に追いやっておいた、まだ中身の詰まっていない小さな木製のカラーボックスを引きずり出した。

​「……じゃあ、今から作ろうよ」

「え?」

「君の、理想の本棚。僕の本を貸してあげるから、君の好きに並べてよ」

​僕は一冊ずつ、自分の持っている本を彼女の前に差し出した。

彼女は驚いたように目を見開いたあと、泣き出しそうな、それでいて最高に嬉しそうな顔をして頷いた。

​「佐藤くん。本を開いて、机に置いてください。私が『次』って言ったら、ページをめくって。……私、自分ではめくれないから」

​それは、世界で一番もどかしくて、世界で一番静かな共同作業だった。

​僕は彼女の指示に従って、ゆっくりとページをめくる。

彼女はその一文字一文字を、宝物を数えるように目で追っていく。

狭い部屋の中に、紙が擦れる音と、僕の鼓動だけが響く。

​「……次は、『楽しい』の棚ですね。この本は、最後がとってもハッピーエンドだから」

​彼女が指差したのは、少し色褪せた短編集だった。

彼女の「忘れ物」が何なのかはまだわからない。けれど、ページをめくるたびに、彼女の輪郭がほんの少しだけ、夕陽に溶ける前よりもはっきりと見える気がした。

​「佐藤くん、次は……」

​不意に、彼女が僕の手元を覗き込んだ拍子に、彼女の透き通った髪が僕の頬をかすめた。

触れられないはずなのに、なぜかそこだけが、火照るように熱かった。

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