幽霊の落とし物、未練のち晴れ
@qwertyqwerty
第1話 ただいま
夕暮れ時のチャイムが、遠くの方で寂しそうに鳴り響いていた。
高校二年生の冬、僕は、誰もいないはずの自分の部屋で、知らない少女と目が合った。
「……あ。見えちゃいました?」
少女は、僕の学習机の椅子に座って、読みかけの文庫本をパタンと閉じた。
彼女の体は、窓から差し込む茜色の夕日に透けていた。埃が舞う光の筋が、彼女の胸元を通り抜けて畳に落ちている。
彼女は幽霊だった。
「君は、誰?」
「名乗るほどの未練も残してないんですけど……強いて言うなら、この部屋の前の住人、です」
彼女はいたずらっぽく笑った。その笑顔があまりに鮮やかで、一瞬、彼女が死んでいるという事実を忘れそうになる。
けれど、彼女が立ち上がった瞬間、僕の心臓はキュッと締め付けられた。彼女の足元には影がなかった。
「どうして、ここに?」
「忘れ物を取りに来たんです。でも、どこに置いたか忘れちゃって」
幽霊が忘れ物をして、その場所まで忘れるなんて、まるでコメディだ。
でも、彼女の瞳は笑っていなかった。どこか遠く、僕には届かない場所を見つめているような、深い悲しみを湛えていた。
「手伝うよ」
「え?」
「忘れ物。一人で探すより、二人の方が早いでしょ」
僕は、自分でも驚くほど自然に手を差し出していた。
彼女は驚いたように目を丸くし、それから少しだけ申し訳なさそうに、透き通った手を僕の手に重ねようとした。
指先が触れ合う直前、すうっと冷たい風が吹き抜ける。
僕たちの手は重なることなく、空気を切った。
「……ありがとう。でも、私には触れないんですよ? 佐藤くん」
「名前、知ってるんだ」
「表札、見ちゃいました。それに、君が毎日ここで溜息をつきながら勉強してるのも」
彼女は僕の机の上にある、母さんが置いていった手かずの夕飯を指差した。
冷え切った唐揚げ。受験のプレッシャー。共働きの両親とのすれ違い。
僕が抱えていた、誰にも言えない「小さな悲しみ」を、彼女は見透かしていた。
「佐藤くん。悲しいときは、無理に笑わなくていいんですよ。幽霊の私が言うのもなんですけど、感情を我慢すると、私みたいに透明になっちゃいますから」
彼女は窓辺に歩き、暮れなずむ街を見下ろした。
「私の忘れ物。それはきっと、この部屋にある『楽しかった記憶』の欠片なんです。それを見つけたら、私は今度こそ、ちゃんとさよならできます」
この日から、僕と幽霊の少女の、奇妙で、切なくて、それでいて少しだけ温かい同居生活が始まった。
窓の外では、一番星が静かに光り始めていた。
僕の止まっていた時間が、ゆっくりと動き出す音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます