妹とやり直す高校野球道!
斎花
序話
窓から差し込む日差しが茜色に変わるころ、木製の机に重く響く振動音に、はっと目が覚めた。いつの間にかうたた寝してしまっていたらしい。
大学の卒業要件は満たしたものの、オレは就活に失敗し、この春から何かしらの仕事には就かなければと焦っていた。求職サイトを眺めてはみても、条件の合うものはそう多くなく、気付けばもう三月も半ばを過ぎたというのに結局何も決まっていない。一応、いくつか面接は受けたが、それもすべて空振りに終わっていた。
しかし最近受けた面接はなかったはずだけど、誰からの電話だろう。そう思ってスマホの液晶画面を見れば、そこにはあまり見かけることのない名前が表示されていた。もう何コール鳴らしてしまっただろうか。切れる前に、オレは慌てて電話を取った。
「あーもしもし。どうした?
『あー……その、ね。お願いがあるんだけど……』
数年前まで同じ家で暮らしていた彼女の声はやけに覇気がなく、そしてやけに申し訳なさそうに言葉を濁している。それに普段のあいつは“お願い”なんて言葉を使わない。いつもと様子が違うことは明白だった。
あいつもこの春から高校生になる。今更オレに頼るようなことなんてないと思っていたが、だからこそ彼女のお願いを無下にはできない。それに、妹のお願いを叶えるのは兄として当然の義務だ。
「オレにできることなら力になるよ。だから何でも相談してくれ。どうした?」
『ありがとう……兄さん。あの、ね――――』
◇◆
「――それで、いかがでしょう。引き受けてはくださいませんか?」
オレは眼前の年齢不詳の女性を見据えながら、情報を整理する。
ここ、私立あすみヶ丘高校の女子野球部が廃部寸前のため、その監督兼コーチをしてほしい。簡単に言えば、こんな話だった。そしてそれは、絢郁の願いでもあった。彼女はこの学校にスカウトされ、入学する予定になっていたのだ。もし廃部になんてなってしまったら、彼女が野球を続けられなくなってしまう。それだけで言えば、断る理由はない。ないのだが……。
若すぎるとは言わないが、その立場としてみれば若い理事長。少し年季が入った校舎。手入れの甘いグラウンド。それでもここにやってくるのは、未来を夢見る若きプレイヤーたち。オレの采配による結果次第では、彼女たちの夢や未来を断ってしまうかもしれないのだ。あまりにも責任が重い。他人の未来を背負う仕事なんて。
「廃部を免れるには、どの程度の実績がないといけないのでしょうか」
「そうですね……厳密には理事会で判断が下ることなのですが、全国出場くらいであれば、問題ないと思います。そう難しいことをお願いするつもりはありませんから、どうか……」
今年度中に全国に行かないと廃部……。充分難しいと思うんですけどねぇ、それは……。戦力として絢郁を迎えられることが確定していることは心強いが、野球はチームスポーツだ。突出した個人技能だけでは勝てない。全国出場――つまり県大会優勝を目指すともなれば、なおさら個人技だけでは通用しない。この人は、それをわかっていないのだろうか。
「もちろん、正式な雇用契約を結ばせていただきますので、報酬は支払います。決して多いとは言えないかもしれませんが……」
参考までに概算で金額を聞くと、オレの想像よりも桁が一つ違った。さすがは私立のお嬢様校。使える資金もそこいらの県立高校とは比較にならないのだろう。要求する結果に見合った対価と言えば、たしかに頷ける額だ。
「引き受けていただけないでしょうか……?」
理事長はわざわざオレに頭を下げてまで懇願してくる。この学校にとって、女子野球部の存亡はそれほどまでに大切なことなのだろう。だが、それなら当然に湧いて出る疑問がある。
「どうしてオレなんですか? 部を立て直すなら、もっと適任の方がいるでしょう。オレはこの春卒業する、何の実績もない大学生ですよ?」
理事長はオレと視線も合わせず、さも言いにくそうにか細い声を絞り出す。
「実は、ことごとく断られてしまって……」
「それは、どういった理由で?」
「給料が低いとか、野球部として成立していないような部は持てないだとか……」
「野球部として成立していない……?」
理事長は口を滑らせたとでも言わんばかりに、口を噤んだ。嫌な予感がして、オレは思わず尋ねる。
「えっと……入部予定の新入生を含めた部の在籍人数は?」
「……7人です」
予感が当たってしまった。そんな状況で全国に行けなんて要求されても、普通なら断る。というより、無謀としか言いようがない。そもそも公式戦に出ることすらできない状況なのだから。
「隠すつもりではなかったのですが……申し訳ありません。昨年は人数がそろわないまま、三年生は一度も公式戦に出ることなく引退してしまいました……。ですが、もう彼女たちにそんな思いはさせたくないのです。必要なことは、私ができる限りの融通を利かせるようにいたします。ですから……!」
まあでも、実際にはこの話を聞いた時から大体の気持ちは固まっていた。下手に就職先が決まっていなかったのは、ある意味運命だったのかもしれない。絢郁の未来を守るためならオレは何だってする。だからこの話は、最初から断る理由なんてなかったんだ。最後に必要だったのは、その意志を貫くという、オレの覚悟だけ。
「わかりました。その話、引き受けさせていただきます」
「ほ、本当ですかっ!? ありがとう、ございます……!」
顔を上げた理事長の目尻には、少しばかりの光るものが見えた。それでもぱあっと顔を綻ばせて、彼女はオレの手を取る。
「できればあなたには、もう一度グラウンドに立ってほしかった。ですが、その様子だともうそれも叶わないのだと気付いてしまいましたから。だから、こうしてまたあなたが野球に関われる機会を作れたことを、私は嬉しく思っています。こんな私を、恨みますか?」
そうか、この人は……オレの過去を知っていた――いや、見ていたのか。
「恨みませんよ。野球と離れても、野球を嫌いになったわけじゃないですから」
「それなら、良かったです。契約手続きや詳しい説明などは後日改めてさせていただきますので、良ければ今日は、グラウンドの方へ顔を出してみてはいかがですか?」
オレはその厚意に甘えて、設備の状態や練習の様子を少し確認していくことにした。ちょうど今日決まったことを絢郁に報告しておきたかったし、一石二鳥だ。
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