キングサリの誓い
あか月
第1話
――霧がかかったようにぼやけている視界。時折聞こえる、知らぬ男達の怒号。感覚の失われた両腕。近くに放り出された、血にまみれた剣。鼻を突く濃い血の臭い。そして……。
「ラ、イ……様……」
全てが音にならなかった自分の声を最後に、全ての感覚が遮断された。
・・─・・─・・─・・─・・─・・─
ミモザの見ごろを終え、初夏が一歩手前まで迫ったある朝。まだ暑いとまではいかないものの、夏の兆しを確かに感じられる光が、廊下の窓から差し込んでくる。私は、他の扉より少しだけ大きく豪華に作られたそれの前で立ち止まると、1つ深呼吸をしてノックした。
「アライア様、おはようございます」
「……あぁ、リーナ。入ってきて構わないわ」
「失礼いたします」
中からの返答を待ち、私はその扉に手をかける。扉と同様、他の部屋よりも広く豪華な造りになっている部屋の中央に、彼女は立っていた。
「おはようございます、アライア様」
頭を垂れて再び挨拶すると、アライア様の小さな笑い声が聞こえた。
「おはよう、リーナ。いつも言っているけれど、そんなに畏まらなくて良いのよ?」
震える肩にかかる銀髪が、震動でさらさらと数束滑り落ちる。
「アライア様こそ、いつも申し上げておりますが、せめて屋敷の中だけでも、下の者にはもっと厳しくお接しください。私のことも、リーナではなくリナールと……」
「良いじゃない?お父様達の前ではともかく、今は2人きりなのだから」
悪びれる様子もなく微笑むアライア様に、私は毎度のごとく頭を痛くした。
「そのような態度でいらっしゃるから、いつも奥様に叱られるのですよ?アライア様は仮にも、ルメール公爵家のご令嬢でいらっしゃるのですから……」
毅然としてください、と動かしかけた口は、途端に悲しそうになった目の前の主の顔を目にして、咄嗟に別の言葉を紡いだ。
「いえ、何でもありません。それよりも、お時間はよろしいのですか?」
「え?……やだ、もうこんな時間!早く行きましょう!」
「かしこまりました。……が、少々はしゃぎ過ぎです、アライア様。今からそんなでは、帰りまで体力が持ちません」
「だって、ずっと楽しみにしていたリーナとのお出かけの日なのよ?この日のために、公務だって頑張ったのだから」
今日は、久しぶりにアライア様の公務がお休みの日。そのため、以前から街へお出かけになると予定を立てていたのだ。早く早くと急かすアライア様に、私は苦笑を溢しかけ……ふと、嫌なことを思い出してしまった。
「……あの、アライア様。アライア様が、今日の街へのお出かけをとても楽しみにされていたのは存じておりますが、その……本当に、よろしいのですか?街の住人達は、アライア様のことを……」
「リーナ」
「っ、出過ぎた発言、申し訳ございません」
私の不安を滲ませた言葉を遮って、窘めるように名を呼ばれた。咄嗟に謝罪をすれば、アライア様は少し困ったような優しい声で、もう一度私の名を呼んだ。
「リーナ。私、今日はアクセサリーを探したいわ」
「……はい、お供いたします」
「えぇ、ありがとう」
今度は嬉しさを滲ませた声に、私は気づかれないように小さく安堵の息を吐いた。
アライア様と私用で街に出かけるのは、本当に久しぶりだ。その証拠に、街へと続く道を歩くアライア様の足取りは、とても軽快だった。
「アライア様、先程も申し上げましたが、今からはしゃいでいますと、帰りまで体力がもたないです」
「リーナ、それは私のセリフよ。いつも言っているでしょ?もう家を出たのだから、主従関係は関係ない。私のことは“アライア様”じゃなくて?」
ずいっと顔を近づけられ、私は咄嗟に目を逸らす。聞こえなかったふりをしてやり過ごそうとしたが、その手は効かないようで、更に顔を近づけられる。諦めた私は、仕方なしに小さくその名を呟いた。
「…………ライ。これで良いですか?」
「敬語もいらないのだけれど」
「流石に勘弁してください。本来なら、ルメール家に仕える我らミラー家の者が、主と2人で出かけることすらあり得ないんです。ライは、私への態度が甘いんです」
「リーナはすぐそれを言うのだから……。まぁ、言葉使いがいつもより乱雑になったから良しとしましょう」
訳の分からない納得をして満足そうに頷くアライア様――もとい、ライに呆れつつも、楽しそうな様子だから良いかと思ってしまうあたり、私もつくづくライに甘いのだろう。
ライの外出の準備をしながら、こっそりと苦笑を浮かべた。
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