【ショートショート】準備

山田貴文

準備

「整列」


「前にならえ」


「直れ」


 体育の授業で整列をしながら、中学3年生の隆は思った。いつから整列の練習をしているのだろうと。思いっきり昔だ。ひょっとして幼稚園からかもしれない。



 その日の夕方。


「ただいま」


「お帰りなさい」


 明美は帰ってきた息子の隆を迎えた。


「ご飯できてるよ」


「わかった」


 そう言いながら隆は2階の自室へ駆け上がった。彼は素早く食事を済ませ、学習塾へ向かわねばならない。高校受験を控えた受験生なのだ。


 本人が行きたがっていることもあり、私立の進学校が第一志望だ。明美はため息をついた。


 合格して欲しいのはやまやまだが、したらしたで頭痛の種が増える。家計のことだ。


 明美はパートの仕事をしているが、今年はもうあまり働けない。一定時間を超えると夫の扶養からはずれたり、社会保険料を取られたりで収入がマイナスになってしまうからだ。


 隆の兄、浩一のこともある。家を出て地方都市の大学へ通っているが、家計を心配して寮に入り、奨学金で学費をまかなってくれている。若者に借金を背負わせてしまい申し訳ないと明美は思っていた。


 浩一の生活費の大部分はアルバイトで稼いでいるが、明美同様そろそろセーブしなくてはいけないそうだ。理由は同じ。働き過ぎで扶養をはずれてしまう恐れがあるからだ。


 そして今日、ついに浩一から少しでいいからお金を送って欲しいとの連絡が来た。いくら欲しいのと尋ねて返ってきた金額は少額だった。そんな金で何ができるのか。よっぽど困っているのだろう。アルバイトさえできればいいんだけど、と彼は嘆いていた。


 私も浩一ももっと働けるのになぜ働かせてくれないの?と明美は政府を恨んだ。




「ちょっと予定を早めないといけないようですね」


「状況はそんなに急を要しているのか?」


 総理大臣の質問に担当大臣は無言でうなずいた。



 政府の急な発表を聞いて、明美は信じられない思いだった。いきなり扶養家族の所得制限が廃止されたのだ。被扶養者はいくら収入を得ても扶養ははずれないし、社会保険加入の義務もなくなった。働き放題。


 ありがたいことに違いない。他に先を越されないうちにと明美はパート先に電話し、シフトを追加した。浩一もきっとアルバイトを増やすだろう。なぜこんなことになったか不明だが、とりあえず助かった。



「気をつけ」


「休め」


 今日も隆は中学校の校庭で整列した。



 各種所得制限の撤廃や社会保険の緩和措置で、なぜ最初からこうしなかったのだろうと国民が不思議がるほど、景気がよくなった。人手不足も解消された。人が足りなかったのではない。働きたい人たちに制限をかけていたのだ。単純労働に従事していた外国人労働者はいつの間にか消え失せた。



 同時に政府は子育てへも手厚い対応を始めた。扶養控除の充実。過去最高額の児童手当。学費の公費負担。それは徐々に少子化を解消し、やがてべビーブームを巻き起こした。



「国民は喜びながらもちょっと戸惑っているようですね」


 官房長官が言った。


「本当は徐々に解放したかったんだけどね。状況がそれを許さないようだ」


 ため息をつく総理大臣。


「しかし、世の中変わるもんですな。ちょっと締め付け過ぎていました。やれ税金だ、社会保険だと」


「わざとやっていたと知ったら、国民は暴動を起こすだろうな」


「間違いないですよ。国の借金がどうのと、でたらめな理屈をつけて押し切ってきましたからね」


「仕方がない。高く飛び上がるためには一度しゃがまないといかんのだ」


 総理大臣は窓辺に立ち、遠くを見た。


「これまで国民はよくがんばってくれた」


「でも、本当に大変なのはこれからですよね」



「全体、前へ」


「1、2、1、2」


 行進する隆。



 これまで仕事を抑えていた主婦と学生が一気に働き始め、労働市場には大量の労働力が供給された。人手不足はすぐに仕事不足になりそうだったが、実はならなかった。


 全国の金属加工や電子部品の工場で大量の求人があったのだ。同時に農家の食料生産も拡大された。好待遇であったため、人々はこぞってその職についた。やがて彼らは自分が何を作っているかを察したが、ごく一部の団体以外からは、ほとんど文句は出なかった。



 こうして日本国は持てる労働力のすべてを稼働させて兵器と食料を製造し始めた。子供たちはそれまでの少子化が嘘だったかのように次々と生まれてきた。



「前へ進め」


「1、2、1、2」


 行進する隆と同級生たち。



 幼い頃から整列、行進、そして団体行動を叩き込まれた子供たちは優秀な兵士に育っていくことだろう。


 今度は防衛戦争だった。自分たちが戦争する気がなくとも、異国の独裁者がそれを望めば否応なしに巻き込まれる。そして、国民が思っている以上の諜報力を持つ我が国はその日が近く、かつ逃れられないことを把握していた。


 さらにあらゆるシミュレーションの結果、その戦争はかなり長期化することが予想されていた。


 負けるわけにはいかない。国民の生命、財産、貞操、自由を守るためには国の総力をあげて立ち向かわねばならない。必要な物は十分な兵器と食糧。そして優秀かつ十分な数の兵士。



 そして、長い長い戦争が始まった。


                               (完)

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