君の指先をまだ、覚えてる

霜月このは

君の指先をまだ、覚えてる

 すらっとした指が鍵盤を叩き、音を並べてゆく。幼馴染のわたしでさえ聞き惚れてしまう演奏。わたしの届かないところまで容易に届くその手に、ついつい嫉妬してしまう。


「いいなぁ、絢香あやかは手が大きくて」


 ついついそんなことを言ってしまうのだけど、ピアノを弾くうえでは1オクターブも指が届けば、大抵の曲では困ることはない。だからこのやっかみはただの甘えた言い訳なのだ。


友梨ゆりの手は可愛いもんね」


 絢香は悪気なくそう言ってニコッと笑う。そしてお決まりのような動作で、自分の手のひらをわたしのほうに向けてくる。


 だからわたしも、何度目のやりとりだよ、と思いながらも自分の手を絢香の手のひらに合わせる。わたしたちの指の長さの差は1cmは軽く超えていると思う。


「昔は、わたしのほうが大きかったと思うんだけどな」

「えー、そうだっけ?」


 そんなやりとりをして。


「次は友梨が弾いてよ」


 絢香がそう言ってくるものだから、わたしは仕方なく場所を交代してピアノの前に座る。絢香のあとに弾くのはなんだか気が引けるけど、放課後だし、誰もいないし、なんでもいいか。


 わたしは弾き始めた。


 子供の頃に弾いたモーツァルトのトルコ行進曲。


 オクターブの移動が続くから、子供の指で弾くには辛かった、ある意味思い出の曲だ。当時わたしよりも手が小さかった絢香は、特に後半で苦戦していたのを覚えている。


 だから、ちょっとした嫌味のつもりだった。


「わー、懐かしい!」


 それなのに絢香はずいぶん喜んでいる。

 1曲弾き終わると、絢香は大袈裟に拍手をしてくれた。恥ずかしいからもう、やめてほしい。


 ひととおり拍手を終えると、絢香は何やら楽譜をカバンから取り出してきた。これも懐かしいやつだ。絢香の大好きなドヴォルザークのスラブ舞曲集。なんだかやな予感がしたけど。


「連弾しよ!」


 そういう予感はやっぱり当たるものだった。


 高校に入ったばかりの頃、ずいぶんと練習したから。わたしたちの楽譜は2つとも真っ黒のヨレヨレだ。


 絢香の隣に詰めて座る。肩がほんの少しぶつかり合って、ちょっと狭いのだけど、こういうのももう慣れたものだ。


 特にスラブ舞曲第7番、ハ短調。この、ちょっと暗い雰囲気の曲がわたしたちは好きだった。


 冒頭から追いかけっこの二つのメロディはまるで、わたしたちの関係みたいだと思う。


 いつでも一緒にいて、一緒に音楽をして、ピアノを弾いて、お互いに切磋琢磨してきた。


 だけど、それももう今年の3月で終わりだ。


 絢香は都内の音楽大学のピアノ科へ、わたしは地元の一般の大学へ進むことが決まっていた。


 プロを目指す絢香とわたしとでは、もうとっくにレベル差が開いていて。


 それは手の大きさなんかで言い訳になるような話じゃないんだ。


 曲を弾きながら、余計なことを考えたら、ミスりそうになったけど、なんとかリカバリーして、最後まで弾き終えた。


「もう、これで最後かな」


 わたしはそんなことを言う。

 

 絢香は何も答えなかった。


「もう、帰ろっか」


 放課後の音楽室にはもう夕日が射し込んでいた。


 楽譜とピアノを片付けて、音楽室をあとにする。


 扉を閉めて、いつものように手をつなぎ始めながら。


 絢香は耳元で囁いた。


「……ほんとは覚えてるよ。だって、わたし、悔しくてずっと練習してたんだもん」


 つないだままの手が熱くなる。それはしばらく収まりそうになかった。


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君の指先をまだ、覚えてる 霜月このは @konoha_nov

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