僕は、本に恋している。
ひずまる。
僕は、本に恋してる。
それは人に言うと、少し笑われる。
紙の匂いとか、ページをめくる音とか、そんなものに恋をするなんて変だ、と。
でも僕にとって本は、ただの文字の集まりじゃない。
そこには確実に世界があって。
誰かの心が、生きていた証だ。
物語の中には、出会えなかった誰かがいて、
言えなかった言葉があって、
選ばれなかった未来がある。
僕はそれらを読むたびに、知らないはずの感情を知っていく。
恋なんて、物語の中だけのものだと思っていた。
現実はもっと不格好で、曖昧で、面倒だ。
だから僕は、恋愛小説が好きな自分を、少しだけ信用していなかった。
—————————————————————
放課後の図書室は、時間が止まったみたいに静かだった。
僕は机に本を積み上げて、気になるページを次々と読み漁っていた。
ジャンルは関係ない。ただ、言葉がきれいなものが好きだった。
真剣に本をめくりながら想像を膨らませていく。
本は本当に素晴らしい。
孤独な僕の心をこんなにも楽しい気持ちにさせてくれる。
暗くなってきた頃、そろそろ帰ろうかとバッグに手をかける。
すると、ポケットの中でスマホが震えた。
最近になって始めた、本の感想を投稿する掲示板からの通知だった。
昨夜、何気なく書いた恋愛小説の感想に、共感のコメントがついている。
「その終わり方、私も好きです」
短い一文なのに、妙に嬉しかった。
誰かが、同じ物語を、同じ温度で読んでいる。
初めて鏡をみたような感覚だった。
アカウントをタップして確認する。
IDは Ibuki。
プロフィールは空白だった。
僕は少し考えてから返信した。
「わかってもらえて嬉しいです。静かなのに、強いですよね」
僕らしくないな。と思った。
すぐに返事が来た。
「よかったら、他の本の話もしませんか?」
ただそれだけの言葉なのに、胸の奥が少しだけ騒がしくなった。
すぐに返信をした。
—————————————————————
Ibukiもどうやら本が好きな高校生であった。
それから僕たちは、毎日のように本の話をした。
授業中でも放課後でも関係なく。
好きな作家、嫌いな比喩、許せないラスト。
Ibukiは恋愛小説が好きだった。
でも、「恋は嫌い」と、冗談みたいに言った。
「現実の恋って、だいたい綺麗じゃないから」
その言葉はよく理解できた。
現実の恋は僕にとっても敵だった。
高校生は病にかかったように、青春、彼氏、彼女とうるさいものである。
Ibukiは彼女いるの?と聞いてきたが、すぐにいるわけないと答えた。
僕は本に恋してるからねと冗談混じりに言うと、彼女はwwwと返してきた。
僕は文章を書くのが好きだと話した。
小さい頃から気が向いた時に小説を書いている。
Ibukiは、いつも僕の感想を丁寧に読んでくれた。
「言葉の選び方が優しいね」
その一言で、世界が少しだけ明るくなった気がした。
顔も声も知らない。
それでも、彼女がどんな人なのかは、わかる気がしていた。
—————————————————————
文字のやり取りは、本の話だけにとどまらなくなっていた。
「今日、数学で当てられてさ」
「それは災難だね。ちゃんと答えられた?」
そんな、どうでもいいような話。
でも、そのどうでもなさが心地よかった。
僕は図書室の話をした。
静かで、居心地がよくて、時間がゆっくり流れる場所だと。
Ibukiは、放課後の教室の話をしてくれた。
人がいなくなった机の並びが、少し寂しいこと。
恋愛小説を読んでいると、友達にからかわれること。
「本当は、恋とか信じてないわけじゃないんだよ」
「ただ、現実でうまくいったことがないだけ」
その言葉を、僕は何度も読み返した。
軽く返せる気がしなかった。
「無理に信じなくていいと思う」
「物語の中に、ちゃんとあるなら」
送信すると、少し間があった。
それから返ってきた言葉は、短かった。
「ありがとう。そう言われると、少し安心する」
その夜、僕は初めて、自分のことを話した。
文章を書くのが好きなこと。
言葉にしている方が、気持ちを整理できること。
「完成したら、読んでほしいんだ」
しばらくして、Ibukiは言った。
「約束だよ」
その一文が、ただの文字以上の重さを持った気がした。
—————————————————————
今日も他愛もない話をしようと、連絡をいれる。
しかし、その日から返事が来なくなった。
最初は忙しいだけだと思った。
既読がつかない日が続いても、気にしないふりをした。
僕はしつこかったのかもしれない。
変なことを言って傷つけたのかもしれない。
時間だけが過ぎていった。
それでも原稿は完成した。
でも、送る相手がいなかった。
感想をもらう相手は決めているから誰かに見せることもなかった。
そんなある日の昼休み、僕は屋上の階段に座っていた。
風が強くて、校舎の音が遠く感じる。
隣に腰を下ろしたのは、幼馴染の健太だった。
小学校からの付き合いで、今さら気を遣う必要もない相手。
「最近さ、スマホ見てる時間長くね?」
いきなり核心を突かれて、言葉に詰まった。
「……ネットで知り合った人がいて」
健太は驚いた顔もせず、「ふーん」とだけ言った。
本の話をしていること。
顔も知らないこと。
でも、話していると落ち着くこと。
一通り話すと、健太は少し考えてから言った。
「それ、恋じゃね?」
その一言が、やけに重く響いた。
「違うと思う」
そう答えたけれど、自分の声に自信がなかった。
「顔も知らないし、会ったこともないし」
「それ関係ある?」
健太は笑った。
「その人から返事来ないと、気になる?」
少し、間が空いた。
「……なる」
「なら、もう答え出てんじゃん」
その言葉に、反論できなかった。
屋上の扉が開いて、誰かの声が聞こえる。
昼休みが終わる合図だった。
「ま、無理に名前つけなくていいと思うけどさ」
立ち上がりながら、健太は言った。
「大事にしたいって思うなら、それでいいじゃん」
その背中を見送りながら、僕は考えた。
恋なのかどうか、まだわからない。
でも、失くしたくないと思っている自分は、確かにそこにいた。
スマホが鳴ったのは教室に戻ろうと、屋上の扉に手をかけたその時だった。
—————————————————————
スマホの画面には、見慣れない名前が表示されていた。
誰だろう。そう思いながら早歩きで屋上から教室へ戻る。
自分の席で椅子に座り、メッセージを開く。
Ibukiの友人を名乗る人だった。
お伝えしなければならないことがある、とのこと。
嫌な感じがした。
すると、隣の席のクラスメイト達が何やら話しているのが聞こえてきた。
「見て。このニュース。怖いね。」
遠い県だったが、女子高校生が被害にあった事件を伝えるものだった。
その話に聞き入っていると、スマホがもう一度鳴る。
短い文章だった。
謝罪と、事実だけが並んでいた。
Ibukiは、もうこの世界にいない。
同時にニュースからアナウンサーの声が聞こえる。
「被害にあったのは、伊吹 鈴 さん…」
鏡が割れるように衝撃が走った。
信じたくない事実がそこにはあった。
僕はしばらく、画面を見つめていた。
涙も出なかった。
言葉も、浮かばなかった。
ただ、知らなかったことだけが、頭に浮かんだ。
どんな顔だったのか。
どんな声だったのか。
どんなふうに、本を読んでいたのか。
Ibukiが苗字であったことさえ。
それなのに、
どんな言葉を大切にする人だったのかは、はっきり覚えている。
その夜、完成していた小説を捨てた。
新しく物語を作るために。
彼女が好きだった、少し不器用な恋の話。
もちろん、彼女がモデル。
ページの中で、彼女は生きている。
だから僕は、今日も書き続ける。
彼女は、僕の本の中で生き続けている。
だから僕は、本に恋している。
僕は、本に恋している。 ひずまる。 @Hizumaru120
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます