範田さんの右手
SB亭moya
前編
「どええええ!!」
僕達以外誰もいない視聴覚室。
好きな女の子の前で、僕はそれまで人前で見せた事のない驚き方をしてひっくり返った。
今や、尻餅をついてガタガタ震えている。
「ねえ」
彼女、範田明日奈は僕に手を差し出した状態で、足元に転がる僕を見ている。
「これでも私と、仲良くしてくれる?」
* * * * *
範田明日奈は取り立てて目立つところのない子である。
例えば、ヤンチャであるとか、明るく積極的な子であるとか、頭脳明晰であるとか、逆にいつも怠そうであるとか、猫背であるとか、寡黙であるとか。
そのどのカテゴリーにも属さない、『どこにでもいる子』としか言いようがないのが範田さんだ。
身長は160センチ。黒髪のおかっぱ頭。良くも悪くも目立たない。
どこの学校の、どこのクラスにも三人から四人は紛れているであろう子。
それが範田さんだ。
特徴があるとすれば……
右手と左手の大きさがアンバランスと言っていいほど異なっている。
僕の手がすっぽり全体を包めてしまいそうな左手に対して、
猪くらいなら素手で狩れそうな右手を持っている。
そんな手の持ち主なのにも拘わらず、見事なまでにクラスに馴染んでいるのが範田さんだ。
僕はそんな彼女に恋をしている。
でも僕も僕で引っ込み思案だったり、そもそも同じクラスである以外に接点が全くなかったりで、現状友達とすら思われていないだろう。
でも僕は……どうしても彼女の右手が気になる。いいや、そんな右手を持っている彼女の事が気にならずにはいられない……というか、
どうして皆は大丈夫なのだろう!?
僕が彼女について知っていることは本当に少ない。
吹奏楽部に入部しているけれど幽霊部員の状態であるらしい事、焼きそばパンを世界一美味しそうに食べる事、母子家庭で、お母さんが女手一つで彼女を育てたらしい事。
どれも本人から直接聞いたわけではないけれど、誰もあの右手を気にしているのか、いないのか、気にしていて話題に出すのが怖いのか、何もわからなかった。
友達にもなれないし、自分から話しかける甲斐性のない僕は、今日も範田さんを遠目から眺めるだけだ。
特徴のない彼女と、そんな彼女についているであろう右手を思いながら……。
だからそんな僕に、彼女の方から声をかけてきた時は本当にびっくりしたのだ。
彼女の右手が、僕の右肩を「がしん」と掴んだので、上級生に、もしくは鬼に声をかけられたのかと最初思った。
振り返ったらそこには、恥ずかしそうな顔をした範田さんが立っていた。
「あの……吉田くん」
「な、な、なに」
なんでもない日の放課後だった。
帰宅部の僕と幽霊部員の範田さんは学校の拘束から解かれているはずの時間帯だった。
「お話があるの……ついてきて、くれないかな……」
「今からかい?」
そう聞くと、範田さんは恥ずかしそうにうなずいた。
* * * * *
連れてこられたのは視聴覚室。
この辺りで活動している部活は無いので、この時間帯のここ付近は本当に誰もいない。
そんな場所に今僕は、好きな人と二人きりでいる。しかも、お誘いを受けて。
彼女は所在なさそうに手を後に組んで僕の前に立ち、恥ずかしそうに俯いている。
「なんだい? 話って」
「うん」
背の低い彼女は、何度も僕の顔を上目遣いで見ては目を逸らしたりを繰り返している。
「あの、あの、ね、あの……」
「うん」
「あの……パパが……」
「……お父さん?」
すると範田さんは目を閉じて何度も首を横に振った。
「吉田くん!」
「は、はい!」
「私と……友達になってほしいの」
「と、友達!?」
正直告白を期待していなくもなかったのでガックリはきた。
でも考えてみたら僕はいまだに範田さんと友達ですらなかったのだ。
それを、向こうから望んでくれるだなんて、これはラッキーなのではないか?
僕は何度もうなずいた。
「なる! 範田さんの友達に、なる!」
「本当!? ……いいの!?」
「むしろこっちからお願いしたいくらいだよ! 友達になろう! 範田さん!」
「本当の本当?」
「本当の本当だよ!!」
「じゃ……じゃあ……」
すると、範田さんはそっと右手を差し出した。
……『友達の約束』という握手だろうか?
僕はもちろんそれに応じた。
すると……
僕の右手が握った範田さんの右手が、すっぽりと彼女から抜けた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。僕の右手が握っているのは、もともと範田さんの右腕についていた、今はどういう事情なのかは知らないが独立した右手である。
脳が状況を把握するのに、五秒は費やした。
「どええええ!!」
僕達以外誰もいない視聴覚室。
好きな女の子の前で、僕はそれまで人前で見せた事のない驚き方をしてひっくり返った。
今や、尻餅をついてガタガタ震えている。
「ねえ」
彼女、範田明日奈は僕に手を差し出した状態で、足元に転がる僕を見ている。
「これでも私と、仲良くしてくれる?」
独立した範田さんの右手は、どういう不思議が働いているのか、
僕の右手を握ったままブン、ブンと、上昇と下降を繰り返し、力強く握手をしてくれている。
「何、何、何、何、どうなってんのこれー!?」
「ああ、あんまり怖がらないで!!」
範田さんは右手がなくなってしまっているのに、それをものともせずに僕を落ち着かせようとしている。
独立した右手は、ただただ力強く握手を繰り返している。
「吉田くん、紹介するね。私のパパです」
誰が!?
いや、何が!?
いやいや、本当は分かっている。彼女が何を言わんとしているのか僕でも分かっているつもりだ。
この右手が……外から見ても明らかにアンバランスだったこの大きな右手が、彼女のお父さんという事なのだろう。
それを理解することを脳が全力で拒否していた。
範田さんの右手が握っている僕の右手から離れたと思ったら、広げた掌を天井に向けて、クイ、クイと指を折り曲げた。
まるで僕に、「自己紹介をしなさい」と訴えているように、僕には感じた。
「……は、範田さんの友達の……吉田です」
僕が言うと、範田さんの右手はグ! っと指を畳んで親指を立てた。……サムズアップだろうか。
「よかった。パパも吉田くんを気に入ったみたい」
「パパ?」
「うん」
「……パパ?」
「そうだよ?」
「…… …… ……パパ?」
「だから、そうなんだってば。何度聞いたってパパはパパだよ。『これ』が私のパパ」
範田さんが言うと、サムズアップがピースサインに変わっていた。
彼女は全然、女手一つで育てられていたわけではなさそうだった。
僕は目の前の状況に目が回りそうになりながら、彼女に何て声をかけたらいいのか、言葉が数千文字は浮かんでは消えていった。
そんな状態でもかろうじて、一つ聞くことができた。
「どうして、こうなっちゃったの?」
「うん。それがね……」
* * * * *
「…… って言うことなんだけれど、理解できた?」
おそらく懇切丁寧な説明を受けたのであろう。彼女の言葉の一つ一つは実にわかりやすく、理にかなっていた。
しかしそれを一つの結論に、すなわち彼女のお父さんの現状に結びつけた時に、どうしてもAとBからCに繋がらなかった。
……要するに理解ができなかった。
「ごめんね。わけわかんないよね……」
僕が飲み込みきれない状況に疑問符を大量に頭上に浮かべていると、
お父さんがトコトコと床を走ってきて、僕の肩に乗っかり、ポン、ポンと叩いてきた。
言葉はないけれど、これははっきり分かった。すなわち……
「娘を頼む」と言われていることは理解できた。
こうして僕は、憧れの範田ちゃんと、……お父さんと、友達になった。
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