【カクコン11短編】『それは本当に河童の手ですか』
まさつき
前編 土蔵から出てきたもの
拳大の木の瘤のようなものに生えた五本の小枝、まるで霊長類の手のようにも見える干からびたそれを見下ろして、俺と
俺がフラッシュライトで照らし出す、煤ぼけた桐箱の中に収まった手首の先だけの干物みたいな物を見て、久志はぼそりと「河童の手ってやつッスかね」と俺に訊く。
知らんがな――
「田舎の古民家を買ったんで、岡村先輩も片づけを手伝いに来てくださいよ」というなにを根拠に〝も〟とするのかも分からない後輩の頼みを聞いてしまい、俺の貴重なゴールデンウィークが潰されてしまったのだが――悪い気はしていない。
片付けの助っ人はもう一人いた。それが松長久志の姉、この凡夫愚弟にしてなぜかような美婦才媛が存在しうるのかという
それにそもそも、築百年の古民家と聞いて、古い出物があるのではないかという気持ちが心中に鎌首をもたげてしまい、どうにも誘惑に勝てなかったのである。
「ほら、ぼんやり立ってないで、さっさと手を――て、なんですかこれ……」
かび臭く湿った土の匂いがこもる仄暗い土蔵の中に、初夏のさわやかな風の如き香りが鈴を転がすような愛らしい調べとともに、俺と久志の間に割り入った。優美子さんが愚弟と俺の間から顔を突き出し、桐箱の中身を覗き込むや音曲のようなその声音を途切れさせ、息を詰めた。
「姉ちゃんきっとこれ、河童の手だよ。すげーなあ、初めて見た」
感心しきりな声を出し、久志は人の手にも見える謎の品に己が腕を伸ばした。
「ぐえっ」と、お前こそ蛙か河童かというような声を出し、久志の動きが止まる。優美子さんに後ろから襟首をつかまれ、奴の首が締まったのだ。
「ばい菌がついてるかもしれないでしょ、やめなさい。とりあえず、蓋をして」
まったくもって、ごもっともなご意見だ。ぴしゃりと言われて久志も同じく思ったのか、それとも幼いころから姉に逆らうことなど無いように育ったせいか、愚弟君は素直に箱の身に蓋をかぶせた。とたんに息を詰めたのは、今度は俺のほうだった。
「おい、お札が斬られているんだが……どういうことだ?」
箱の身と蓋を張り合わせていたはずの護符が、すっぱりふたつに分かたれていた。
たった今切られたと言わんばかりの、綺麗な切り口は一枚だけではない。厳重にしようと何枚も貼られていたであろう
ぐいと左肩を押し、右肩を引きつけ、九十度回転させて、松長優美子の弟の顔を俺に向けさせた。自分が何をしでかしたかまったく理解していないであろう、阿呆の顔がそこにはあった。
「どういうことって、シールを切らないと蓋が開かないじゃあないですか」
開けるなよ、だいたいそいつはただのシールじゃねえ――
そこに山があるから登ったと言わんばかりの言い訳を聞かされ気持ちが昂るも、俺はどうにか心を落ち着けて話をつづけた。
「で、どこにあったんだ、これ」
後で梱包のシールと封印の護符の違いくらいは、教えておかねばなるまいなと思案しながら、後輩が指さす先へとフラッシュライトの明かりを向けて――仰天した。土蔵の奥には小さな祠が建てられており、締められていたであろう
「あー……松長久志君、これはいったいどういうことかな?」
俺は取り戻していたはずの落ち着きをすっかり手放していることを自覚しながら、少々震える声でもって久志に訊いた。
「いらないものは捨てなきゃだし、まあいいかなって」
よくねえ。優美子さんの手前大いに我慢をしているが、二人きりであればぶん殴っているところだ。警察だって、きっと許してくれるに違いない。
「あのな、ただ片付けの手伝いに俺を呼んだわけじゃないのは、分かってるんだぞ」
「おお、さすが先輩っ」
「何かヤバいものがあるのじゃないかと、お前のちょいと中身の足りないオツムでもって、考えたからじゃあないのか?」
「あらやだ」と、小さな声で優美子さんは呟いて、喉元の震えを堪えて見せた。
しかし、久志は姉と違ってド阿呆ではあるものの、野生動物並みに五感が鋭い。第六感もだ。松長久志は、この世ならざるものにも鼻が利く。古民家という物件を気に入りはしたが、何か感じるものがあったのだろう。
「あ、いや、まー……そうッスね。でもほら、家主としてはきちんと確認をしておかないと。古い建物でしょ、不発弾とかあると怖いじゃないですか」
社の中に爆弾なんぞあるものか――比喩としては正しいのかもしれない。素人が勝手に掘り返してよいはずではないのも同じだ。自衛隊法附則第十四条に基づき、行政に不発弾の処理を依頼するのと同様に、真っ先にしかるべき専門家にいわれの分からぬ社や祠の扱いを依頼するのが筋である。つまり、俺みたいな相手にだ。
とにかく、こうなっては仕方がない。見たところこの祠は、長年この土蔵に隠されてきたものらしい。簡単に人目に触れないようにと、他の荷物を手前に積み重ねていた跡がある。今ではすべて、久志がその脳筋にふさわしい逞しき肉体をもってどかしてしまい、祠の隠蔽の役割を果たしていた品々は、土蔵の外に積まれていた。
この古民家がどのようにして今に伝わってきたかは知らないが、少なくとも、祠のいわれについてなにがしか後代に伝える書付か書物のようなものが残されているに違いない――と信じたい。手掛かりなしには、対処のしようがないのだから。
「一緒に古本とか、なにか書付のようなものがあったか、覚えているか?」
「それならあっちに積んであるッスよ。もうすぐ回収業者が――」
聞き終わらないうちに俺の足は猛然と回転を始め、この古民家の玄関先まで走り出した。日頃の運動不足がたたり腸腰筋が悲鳴を上げるが、構うものか。すでに業者のものであろうディーゼルエンジンの響きが、刻一刻と俺の耳に届いていたのだから。
§
廃品回収業者には丁寧に詫びを入れてお断りをし、後日改めて依頼を出しますということでお引き取りを願い、事なきを得た。血相変えた俺に怒鳴りこまれた業者の中年男は当然ながらに当惑し、初めこそ顔を鬼瓦寸前にまで作り変えて不平不満を言い立てたが、観音様のごとき優美子さんのほほえみと物腰柔らかなとりなしによって、矛を収めて帰っていった。
焼却炉で灰にされる運命から救われたつづらたちを確かめていくと、数あるうちの小ぶりなひとつに和綴じの古書が十数冊、納められていた。日誌のようだ。
母屋へと運び出し、十畳ほどの和室に日誌を並べて、俺と松長姉弟は大きな座卓を囲んだ。無垢材づくりの一枚板、切り出した巨大な断面をそのまま生かしたごつごつとした縁周りは、長年使われてきたであろう経年の風合いがしみ込んで、これで優美子さんが着物でも着ていたらと想像すれば、目を閉じる俺の脳内は一気に時をさかのぼり、ここは明治か江戸末期、白魚のような手がかぐわしい緑茶の茶碗を俺の前にしずと置き――残念ながら薫ってきたのは、深入りのコーヒーの香りだった。一口すする。これはこれで、いい味だ。
「おれにはぜんぜん読めないッスけど、何が書いてあるんスかね」
「日誌らしいな。久志が買ったんだよなこの古民家。売主はどういう人だった?」
「あんま詳しいことは分からないんでスよねえ。役場の人と話しただけなんで。あと、土地ごと買ったのおれじゃなくて、父様ッス」
ウインクのつもりか片目をつむり、ちらっと舌まで出してかわいこぶる。そういうところこそ姉に任せてほしいものだが、楚々として育ちの良いお嬢様然とした優美子さんは、決して舌など見せはすまい。
某財閥の家系を引き、俺のパトロン、金銭的な援助者である二人の親父殿から分けた血が、こうも違う人間になるとはどういうことなのだろう。顔は確かに父親の面影がある。もしかして、どちらかは異界の血でも混じっているのじゃなかろうか。
「でも、今日は岡村さんにいらしていただけて、本当に良かった。せっかくの大型連休でご迷惑かと思いましたが、まさかこんな得体のしれないものが出てくるだなんて――専門家の方にいて頂けるの、とても心強いです」
「とんでもない。専門といっても、俺など単なる在野の研究者に過ぎません」
「お父様の見込まれた方ですもの、わたくし頼りにしております」
持ち上げてくれる姉の言葉に気恥ずかしくなり、咳ばらいを一つしてごまかしながら、俺は松長弟に質問の先を促した。
「役場の人からは、昔から続いた旧家だとは聞いてるッス。この古民家を建てたのは百年前だから……大正?」
「もう、ギリ昭和かもな。家主の血筋はもっと古いのか?」
「住んでた人は武士の子孫だとかで。だから、時代劇みたいな昔ッスね。でも、二十年くらい前だったかな、跡継ぎがいなくなって家が絶えちゃって、それでずっと空き家になってたとか聞いたッス」
武家の子孫か。先祖が退治した妖物から切り落とした手とかなんとか? いや、退治したのであれば丸ごと燃やしてしまえばいい。なら、命はとらずに悪さはせぬようにと封印したとかなんとか――うーん、想像するばかりでは、やはり分からん。
日誌と一緒に持ち出してきた桐箱を開けて、俺たちは改めて「手」のようなものを眺めた。すでに封印は破られている。目の届くところにあったほうが、まだ安心ができるというものだ。それに今のところ、なにか起きる様子もない。
「〈河童の手〉なるものは、日本中で見つかっているがほとんどが偽物だ。しかしこいつは、たしかに――」
「本物ッスねえ」
「分かるか、やっぱり」
「匂うッスもん。味はまだ、確かめてないッスけど」
一瞬、優美子さんの顔に般若のような
「あ、いや、まだ触ってもいないから、大丈夫だって」
慌てて久志は否定する。すっと柔和な容貌を取り戻して、優美子さんが俺に目を戻した。
「でもこれ、河童というより――猿みたいですね、水かきもありませんし」
ふむ、確かに。しかし〈猿の手〉などという呪物が日本にあるとは聞いたことがない。主に東北地方に伝わる〈猿手〉はあるが、あれは
「へえ、〈猿の手〉かあ……てことは、こいつがあれば、なんでも三つの願いが叶うってことッスかねえ?」
阿呆のくせに久志は妙なところに知識がある。とはいえ、そいつはフィクションだ。W・W・ジェイコブズというイギリスの作家が書いたホラー短編の古典ネタ。
「本物だったりして。先輩はどう思うッスか? ほら、ジェイコブズが元ネタにしたのは『三つの願い』じゃなくて、本当は実在した――」
久志はすいと〝手〟を取り上げて、たかだかと頭上に掲げた。まるで、小説に登場したハーバートがやったようにだ――て、おい、やめろ。良からぬことを考えるな。ほんとうに、〈猿の手〉を用いた呪具だったらどうするんだ、何が起きるか分からないんだぞ。
「願いかあ。まー、三つ目の願いで『願いを増やして』は無理だろうけど、でも、何を願っちゃおうかなあ……?」
バカな金持ちというのはなんでこうも欲深いのだ。少しは姉を見習ったらどうなんだ……しかし、久志が口にした願いは物欲ではなかった。もっととんでもないことを、口にしたのだ。
「おれも姉ちゃんみたいに、頭の良い人になりたいなあ」
一瞬、目の前が真っ暗になるような錯覚に捉われた。久志と優美子さんが身を硬くする。蝋で固めたみたいに微動だにしない。動いたのは――〈猿の手〉だった。
伸びていたはずの小枝のような指が握りこまれ、拳の形を作っていた。何が起きてしまったのかと俺まで硬直し、固唾を呑んでつい見守ってしまう。目の前で、〈猿の手〉の親指と人差し指が立った。まるで、「よし」と返事でもするみたいに。
ぴんと二本の指が伸びきると、松長姉弟は糸が切れた
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