第19話 中隊長
「……本日、大東亜経済広域圏とエウロ・ゲルマ・リキは、対帝国軍における特例軍事同盟を締結しました。これは失われた領土を奪還するための、両広域圏共同の断固たる意志であり――」
病院船『芙蓉』の病室に流れる、ノイズ混じりの声明。
それは世界のパワーバランスが根底から崩壊し、再構築されたことを告げる「福音」とも「終末のラッパ」とも取れる衝撃の響きだった。
「エウロと、同盟……?」
ベッドのミナが、恐怖に近い困惑を呟く。
無理もなかった。
大東亜経済広域圏の首長国、日和極東連邦と、エウロ・ゲルマ・リキの首長国、ゲリマーは第二次世界大戦で同盟国であった。
これら二国率いる枢軸軍とアメリア率いる連合軍は世界を二分し、覇権を争ったのだ。
その後、世界が四つの経済圏に分裂した後は互いを「劣った人種の冷徹な官僚国家」「傲慢な人でなし」と罵り合い、完全に仮想敵国としたた不倶戴天の敵同士であった。
窓の外、ケダの港にはその「異形」が姿を現していた。
本土から派遣されたラッタナ・シリチャイ中将。
彼女はシムラーシュの王族に連なり、「バルラートの氷塊」と恐れられる女性指揮官だ。
その傍らには、エウロ軍から派遣されたジャン・リュック・ベルナール少将が立つ。
青い瞳に一切の感情を宿さないその姿は、彫刻のような冷たさを放っていた。
二人の背後には、大東亜の洗練された巡洋艦と、エウロの無骨な装甲に覆われたシュテルツァー揚陸戦艦『グングニル』が、磁石のように惹かれ合い、寄り添っていた。
夕刻、ケダの港は、死にゆく巨獣が上げる断末魔のような重金属音に支配されていた。
かつてバルラート洋の王として君臨した第一艦隊旗艦『大和』。
その中破し、鉄の骨組みすら晒した無惨な躯体に、本土からの曳航艦隊が太い鋼鉄のワイヤーを繋いでいく。
ギィギィと軋むその音は、まるで「まだ戦える」と抗う大和の悲鳴のようにも聞こえた。
カイ・イサギは、タラップのたもとで、その光景をただ一人、仰ぎ見ていた。
彼の肩に乗った中佐の階級章は、沈みゆく琥珀色の夕陽を反射して、残酷なほどに新しく輝いている。
その重みは、彼がもはや一人の少年兵ではなく、数多の命を預かる「英雄」に変貌したことを無言で突きつけていた。
「……本当に行ってしまうのよね?この船は」
不意に背後から響いたのは、凛とした、それでいてどこか柔らかな声だった。
カイが振り返ると、そこには彼が夢にまで見た「光」が立っていた。
白い、清楚で涼しげなワンピース。
風に揺れる裾、そして右肩と右足の「造られた四肢」を優しく隠すような長袖とスカート。
少女であることを主張するピンクのリボン。 昨日まで「壊れた人形」と泣いていた少女は、そこにいなかった。
彼女の腕には、小さな籠が抱えられている。
甘い、香ばしい匂い――それは病院船の調理室を借りて、彼女が不自由な右手の義手を必死に動かして焼き上げた、手作りのクッキーだった。
「ミナ……。歩いてきたのか」
「ええ。自分でお礼を言いたいから。……さあ、行きましょう、カイ。私たちの恩人たちのところへ」
二人は、ワイヤーの接続作業を見守るシムラ中将の元へと歩み寄った。
「中将……閣下」
ミナが深く、深く、その場で頭を下げた。
「私のために、軍の規律を曲げてまで捜索を命じてくださって……本当に、ありがとうございました。この命、一生忘れません」
シムラ中将は、軍服の乱れ一つない背筋を崩さず、しかしその眼差しは慈愛に満ちた実の祖父のように細められた。
「よさないか、ミナ。君を救ったのは私の命令ではない。君という光を失いたくないと願った、この船の乗員全員の意志だ」
シムラはカイの中佐章にそっと触れ、それからミナの手を握った。
「君たちのような若者を、こんなに早く『大人』の世界へ追いやってしまうのは、大人の怠慢だ。……申し訳ない。どうか、年相応の優しさを、心を忘れないでくれ」
シムラは、若き英雄と不屈の少女へ、自分の軍歴の中で最も美しい敬礼を捧げた。
次に二人が向かったのは、艦橋付近で資材を片付けていたマリア・サントス曹長のところだった。
「マリアさん!」
ミナの声に振り返ったマリアは、その白いワンピース姿を見た瞬間、持っていたクリップボードを床に落とした。
「ミナ……? ああ、ミナ……立ってるのね。あなた、自分の足で……」
ミナは微笑み、籠からクッキーを取り出した。 「マリアさん、これ……不器用だけど、焼いたの。あの日、あなたが艦内放送で叫んでくれたこと、聞きました。あなたが私の命を、カイの心を繋ぎ止めてくれた。……本当に、ありがとう」
「バカ、バカよ、ミナ……。私は、私はただ……」
マリアの大きな瞳から、溜め込んでいた涙がボロボロと溢れ出した。
それは止まることを知らない滝のように、彼女の頬を濡らしていく。
それを見たミナの瞳も、一瞬で熱い雫に覆われた。
「……ありがとう……ありがとう、マリアさん」 「よかった、生きててくれて本当によかった……っ!」
二人の少女は、人目も憚らず抱き合い声を上げて泣いた。
鋼鉄と硝煙の戦艦の上で、そこだけが唯一、人間としての温もりに満ちた聖域となっていた。
やがて、最後に現れたのは、大和の護衛任務のためにシュテルツァーを積み込み終えたリーとアニサだった。
「カイ、ミナ。……元気そうで何よりだ」
リーは眼鏡を拭い、不器用に目を逸らした。
その手は、瓦礫を素手で退けた時の傷がまだ癒えず、痛々しく包帯が巻かれている。
「このクッキー、ありがたくもらうよ。本土へ帰るまでの貴重な糧食になりそうだ」
「リー……その手。ごめん、俺のために……」
カイの言葉を、リーは強い首振りで遮った。 「お前のためにやったんじゃない。……僕らが、そうしたかっただけだ。お前はもう、僕らの手の届かない『英雄』になってしまったけど。……困った時は、いつでもこの船を思い出せ。ここには仲間がいるんだ」
アニサは何も言わず、ミナの肩を抱き寄せた。 「ミナ。……その義手、よく馴染んでるわね。……いい? カイがもし変なことしたり、中佐風吹かせて偉そうにしたら、いつでも私に言いなさい。地獄まで追いかけていってぶっ飛ばしてあげるから」
アニサは強がって笑ったが、その声は嗚咽を堪えて震えていた。
ギィィィィン……!
強靭なワイヤーが限界まで張り詰め、海面に白い怒濤が逆巻く。
巨獣『大和』が、ついにケダの港を離れ、ゆっくりと動き出した。
「カイさん! ミナさん! さようなら――!」
甲板の手すりに身を乗り出し、マリアがちぎれるほどに手を振っている。
シムラ中将も、リーも、アニサも、そして数多の水兵たちも。
カイは、右手が痺れるほど強く、魂を込めて敬礼を捧げ続けた。
ミナは、風に白いワンピースをなびかせ、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、いつまでも手を振り続けた。
大和の艦影が、琥珀色の夕闇に溶けて消えていく。
それは、彼らの「青春」が終わったような、大きな寂しさをもたらした。
隣に立つミナの、義足が地面を噛む微かな金属音。
それが今のカイにとっては、どんな軍歌よりも力強く、前へ進むための鼓動に聞こえていた。
その日の午後、臨時司令部に集められた将校たちは、誰一人として口を開けなかった。
「目標は、ケルゲレン島の奪還である」
シリチャイ中将の、低く重い声が空気を震わせる。
投影機で映されたのは、帝国の支配下にある巨大な島。
しかし、ブリーフィングを受けた将校たちは、別の画像に釘付けになる。
大東亜経済広域圏 × エウロ・ゲルマ・リキ 共同開発機。
会場に、波打つような動揺が広がった。
「……馬鹿な。あのエウロが、門外不出のインパクト・ヴェイン制御技術を公開したのか?」
「大東亜の亡霊システムと、ゲルマーのヴェイン技術が一つになるだと……? 冗談だろう」
ざわつく一同を、シリチャイ中将の鋭い眼光が射抜く。
「静粛に。この『すばらしい同盟』の象徴として編成されるのが、第507特務中隊『リヴァイアサン』だ。そして、この部隊を率いる隊長として――カイ・イサギ中佐、一歩前へ」
(中佐!?)
促されたカイが歩み出る。
その肩には、中将の手で少佐の階級章が外され、本来なら十年以上の歳月を要して辿り着くはずの、中佐の銀の階級章が取り付けられる。
「カイ・イサギ中佐。貴公を本日付で本中隊長に任命する」
タケシが隣で、顎が外れそうなほど絶句していた。
学生から、一気に軍の中枢を担う「現場指揮官」への飛躍。
それは、カイがもはや「期待の新人」ではなく、世界を動かす「希望」そのものに成ったことを意味していた。
司令部の地下ドック。
そこに鎮座していたのは、十機の漆黒。
Y-EF02 FENRIR(フェンリル)。
技術将校たちは、その機体を見て震え上がった。
アスラが「剥き出しの狂気」なら、フェンリルは「洗練された暴力」だった。
大東亜の得意とする、指先一つまで精密に操る亡霊システムの「しなやかさ」。
そこに、エウロが誇る「鋼鉄の皮膚(特殊装甲)」と、大出力を生む「ズィード・ブースター」が、接合部の違和感すらなく融合している。
「嘘だろ……。何だこの機体は?こんなに短期間に『共同開発機』なんてあり得ないだろう?」
どこかで一人のパイロットが呟く。
「ああ……無理な機動を、エウロの剛性が支え、大東亜の電子頭脳が制御している。両国の技術者が殴り合いの末に、互いの『最強』を認め合って産み落とした怪物だ」
「やれやれ、ホントだぜ。いつの間に共同開発なんてしてたんだよ。昨日まで憎み合ってた仲だろ?」
タケシが呆れたように呟くと、整備班長のジョセフが、苦虫を噛み潰したような顔で機体を見上げた。
「……『共同開発』なんてのは表向きの言葉だ、タケシ。こいつの正体は、互いの技術を盗み合っていたスパイ戦の副産物さ」
ジョセフが語る真相は、戦慄すべきものだった。
大東亜はエウロの特殊重装甲技術を、エウロは大東亜のガイスト・システムを、数年前から諜報員を送り込んで執拗に盗み合っていた。
両国とも、「相手の技術を取り込んで、相手を殲滅する次世代機」を独自に開発していたのだ。
しかし、どちらも完成には至らなかった。
パズルの最後のピース、心臓部――「根幹となる基礎データ」が欠けていたからだ。
汎用性を極限まで高めたこの機体は、戦況に応じてゲルマー製の超振動ブレード『クリーグ・メッサー』を振るい、大東亜製の『有線誘導ミサイル』を雨あられと降らせる。
予備機含め全十機が、光を拒むようなマットな黒で統一されている。
それは、この不気味な同盟が、世界を真っ黒に塗りつぶす予兆のようでもあった。
大和が水平線の彼方に消えた頃、カイは埠頭の反対側に停泊する揚陸戦艦『グングニル』へと向かった。
そこに、一つの影があった。
車椅子ではない。杖も突いていない。
カツ、カツ、と、一定のリズムを刻む軍靴の音。
ミナ・フェリシアが、そこに立っていた。
右肩から先を包むゲリマー製の精密義手、そして右膝から下の義足。
それらは、数日前まで「壊れた人形」と自称していた少女の面影を完全に消し去っていた。
彼女の歩行は驚くほど滑らかだった。
それは、失われた部位を「精神」という名のパーツで無理やり制御しているかのような、凄まじい執念を感じさせる足取りだった。
「……中佐。第507特務中隊オペレーター、ミナ・フェリシア曹長。ただいま着任いたしました」
彼女の左手の薬指には、血を洗い落とし、鏡のように磨き上げられた銀の指輪がはまっている。 カイは、彼女の瞳を見た。そこには二日前の絶望はなく、ただ、カイと共に地獄の底まで歩むと決めた者の底知れない覚悟が宿っていた。
「ミナ。……その足、大丈夫なのか」
「ええ。あなたのそばに居るって決めたんです。それには立ち止まっている暇なんてありません」 ミナは小さく、けれど不敵に微笑んだ。
埠頭には、漆黒の装甲を纏ったシュテルツァー『アスラ』と、十機の『フェンリル』が、月光を浴びて黒く沈んでいた。
その前には、ラインハルト・サカモト少佐をはじめとする、八名の精鋭たちが整列している。
「中佐! 全員揃っております!」
サカモト教官の声が響く。
カイ・イサギは、ミナを隣に従え、かつてないほど鋭い眼差しで部下たちを見据えた。
「諸君、これよりブリーフィングを開始する。
我らの戦場は、バルラート洋の彼方ケルゲレン島だ。諸君……地獄へ行く準備はいいか!」
「ハッ!!」
八名の戦士、そして一人の不屈の戦乙女の声が一つに重なり、マライカの夜気を震わせた。
英雄として生きることを誓った破壊神が、今、自分だけの部隊を率いて、最大の戦場へと翼を広げた。
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