第5話 崩れゆく現実

 尋問室は、収容所の惨状とは切り離された別世界だった。  

 磨き上げられた黒檀のデスク、重厚な革張りの椅子、そしてテーブルに置かれた琥珀色の蒸留酒が、微かな光を反射している。


「あの旧式機(旭風)で一個大隊を翻弄し、さらに追撃の四機を瞬時に屠ってみせた……。素晴らしい。実に素晴らしい機動だったよ、カイ・イサギ士官候補生」


 アシュラフ技術大佐は、ゆったりと椅子に背を預け、穏やかな、慈しみさえ感じさせる声で言った。

「我が帝国は、かつて剣を競い合ったライバルである日和極東連邦に、深い敬意を抱いている。……どうだろう、まずは我が軍の先行試作機に座ってみてはくれないか?」


 カイは、椅子に深く腰掛けたまま、眼前の男を射貫くような視線で見つめた。

 額の傷は乾いているが、体内の怒りは未だ沸騰を続けている。

「断る」  

 吐き捨てるような、一瞥だった。

「ほう? 理由を聞かせてもらいたいものだね」 「理由だと? お前たちが、ミナの……あいつの足を奪った。この街を、故郷を焼いたんだ」

「なるほど」


 大佐は少しも気分を害した様子を見せず、むしろ親身になって頷いた。

「だが、恨みで失った足は戻らない。今、君がなすべきは過去を呪うことではなく、彼女に十分な医療を提供することではないかな? 我が軍の医療班なら、最新の義足と、壊死を防ぐための高度な処置が可能だ」


 カイの拳が、膝の上で白くなるほどに震えた。 

 目の前の男の「優しさ」は、薄氷の下に潜む深淵と同じだ。

「……貴様らの慈悲など、毒でしかない」


 それから、奇妙な日々が始まった。  

 アシュラフは数日おきにカイを呼び出した。

 時には脂の乗った最高級のステーキが並び、時には薫り高い異国の酒が振る舞われた。

 大佐は終始優しく、一度として怒鳴ることも、拷問を仄めかすこともなかった。  

 だが、その「優雅な懐柔」こそが、カイの心を執拗に削り続けた。

 バラックで泥水を啜る同胞たちへの罪悪感と、ミナの傷口から漂う死の匂いが、カイの精神を逃げ場のない檻へと追い詰めていく。


 そんなある日、収容所内の全ての区画に設置された旧式のブラウン管テレビが、一斉にノイズを撒き散らして起動した。


 画面に映し出されたのは、鉄の意志を象徴するような帝国の紋章。

 そして、重々しい軍楽と共に始まったのは、帝国指導部による政権放送だった。


『……今、世界の空は汚染され、航空産業は今後百年、あるいはそれ以上の期間、望むべくもない。海も、大地も、かつての輝きを失い、汚染され尽くされた。世界は今、絶望の淵にある』


 演説者の声が、冷たく、そして熱狂を帯びて収容所の泥濘に響き渡る。


『これら全ての悲劇は、かつて第二次世界大戦を引き起こし、今なお利権を貪り続けるゲリマー、アメリア、そして日和極東連邦……これら国家の責任である。帝国は、正義の名のもとに、これら全ての腐敗した国家に対し、宣戦布告を行う!』


 カイの背筋に、凍りつくような悪寒が走った。


『帝国が世界を牽引し、平和を成し遂げる。その証拠として、各経済ブロック最大の最前線基地である「マライカ」、そして西の要衝「テティス運河」、南の拠点「ケルゲレン島」は、既に我が軍の傘下にある。世界最強のシュテルツァーと、尽きることのないマンガニスの炎が、我らにはあるのだ!』


 画面が切り替わり、見渡す限りの漆黒のシュテルツァー軍団と、占領地で誇らしげに掲げられる帝国旗が映し出された。


『恐怖せよ、世界を害する国家に所属する者たちよ。そして、見識ある者たちよ……。早々に降伏すれば、占領地の奴隷ではなく、栄光ある二等国民としての生を許そう』


 放送が終わった瞬間、第48収容所は、墓場のような静寂に包まれた。


 それから数秒後、その静寂は、嗚咽と絶望の叫びへと変わった。

「宣戦布告だと……? 世界中を相手に、まだ戦争を広げるつもりか!」

「二等国民……? 笑わせるな、実質、奴隷になるんだろうが!」  

 捕虜たちは泥の中に膝をつき、天を仰いで慟哭した。

 連邦という「後ろ盾」を失い、自分たちが永遠にこの檻から出られないことを恐怖していた。


 カイは、バラックの外で立ち尽くしていた。

 放送が告げた「空が死んだ世界」。

 そして、唯一の「最強の力」を持つ者だけが生き残るという狂気のルール。


 その背後で、いつの間にか現れたアシュラフ大佐が、静かに、しかし残酷なほど優しく囁いた。 「……世界はもう、引き返せないところまで来た。カイ士官候補生、君はどうする? ミナくんを、この泥の中で『二等国民』以下の存在として死なせるつもりか?」


 カイは、大佐を見なかった。  

 ただ、暗闇の中に鎮座しているであろう、漆黒の先行試作機『アスラ』の気配を、五感の奥で感じ取っていた。

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