第3話 破壊神

 震える指が操縦桿に触れた瞬間、カイの脳は覚醒した。  

 日和連邦陸軍汎用人型歩行兵器、ST-03『旭風(あさかぜ)』。

 それは航空機が絶滅したこの「粉塵の時代」が生んだ不格好な鉄の化身だ。


 かつてのレシプロ戦闘機の八倍と言われる複雑怪奇な操作系。

 機体を前進させるだけでも、脚部の油圧ペダルを交互に踏み込み、ジャイロの安定度を手動レバーで微調整し、さらにマンガニス供給圧を親指のダイヤルで常に監視し続けなければならない。

 中央士官学校の学生ですら、一人で歩かせるまでに一年を要するこの「鉄の野獣」が、今のカイには自分の皮膚の延長のように感じられていた。


 カイは狭隘なコクピットで、流れるような動作で真鍮製のトグルスイッチを次々と弾いた。

「主電源、投入。燃料ポンプ、圧力上昇。……月田三二型エンジン、全気筒開放! 叩き起こせッ!!」


 ドォォォォォン……!  

 上半身、下半身がそれぞれ独立駆動するこの機体は、単独操縦も可能だが、単独となると操縦の煩雑さが三倍に跳ね上がる。

 

 背後の機関室で、日和連邦が誇る傑作内燃機関『月田三二型』が爆発的な咆哮を上げた。

 高出力燃料マンガニス特有の、鼻を突くような鼻腔を焼く煤煙が排気管から噴き出し、操縦席に強烈なGと重低音が叩きつけられる。  


 アナログの回転計が跳ね上がり、マンガニスの相転移に伴う青白い放電が計器板を走る。

 供給圧は瞬く間に危険域(レッドゾーン)に達し、機体全体が震動で悲鳴を上げた。

 だが、カイの指先はその狂おしいほどの振動を、まるで猛獣を飼いならすようにレバー一本でねじ伏せていく。


「ジョセフ! ミナを頼む!!」


 カイは『旭風』の外部スピーカーを最大出力で鳴らし、瓦礫の影で立ち尽くしていた親友の名を叫んだ。

 ジョセフは爆風で煤だらけになりながらも、カイの声に弾かれたように顔を上げた。

「その声は、カ、カイ……!? その機体、動かしてるのか……ひとりで!? 複座での運用が原則のはずだぞ!」

「いいから早く! ミナを病院へ! 止血が先だ、急げ!!」


 カイの切実な怒声に、ジョセフは我に返り、震える足でミナのもとへ駆け寄った。

 変わり果てた彼女の姿に一瞬息を呑んだが、すぐに自分のシャツを引き裂き、彼女の無惨な傷口を縛り上げる。

「分かった……! 分かったよカイ! 生きてる、ミナはまだ生きてるぞ! 街の診療所まで俺が担いでいく!」  

 ジョセフがミナを背負い、燃える街の路地へと消えていく。

 その背中を、旭風の外部視察窓に備えられた光学望遠レンズが捉えた。

 レンズの周辺光量落ちと収差の向こうで、ミナの力なく垂れ下がった腕が見えた。


 カイの胸に、冷徹な殺意が満ちる。


「……マンガニス、相転移臨界を突破。全バイパス、開放ッ!!」


 砂浜に展開した帝国軍の精鋭、海軍特務揚陸特殊大隊『ヴァーゲスト』は、目の前の「旧式機」が放つ異常な威圧感に一瞬、凍り付いた。

「ふん、日和連邦の骨董品か。中立地帯の警備用玩具を動かしたところで、何ができる」  

 大隊長は傲慢に鼻で笑い、無線機に命じた。 「我が隊の『ガジャ』一機で、そのブリキ細工を十機は解体できる。全機、蹂躙せよ」


 だが、その傲慢は、旭風の爆発的な機動によって瞬時に粉砕された。  

 本来、旧世代の旭風は、上半身の旋回速度だけが取り柄の「機動性の低い重機」に過ぎないはずだった。

 だが、カイが操るそれは、砂浜を滑るように舞い、慣性を無視した速度で肉薄する。

「速すぎる! 照準が、光学照準の倍率が追いつきませんッ!」

「死ねえええッ!!」


 カイの叫びと共に、右腕の鋼鉄杭――パイルバンカーが火薬の炸裂音を響かせた。  

ドォォォォォンッ!!  


 帝国軍の最新鋭四足機『ガジャ』が、一撃で機体の中枢神経コア・シナプスを粉砕され、火達磨となって砂浜を転がる。  

 カイは間髪入れず、左手のアナログレバーをガチリと引き抜いた。  

――キィィィン! ガシャンッ!!  

 旭風の右腕から、熱せられた薬莢が排出され、ジュッという音を立てて波打ち際に突き刺さる。 

 直後、次弾装填装置が唸りを上げ、新たな火薬カートリッジが薬室にガチリと収まった。


「撤退しましょう、大隊長! こいつ、旧式の皮を被った化物だ……っ、ぐわぁぁぁッ!」    

 カイは月田三二型の回転数を巧みに操り、排気圧を脚部の姿勢制御ブースターへと回す。

 それは教科書には載っていない、月田エンジンの癖を利用した彼だけの機動術だった。  

 最後の一機となった隊長機が、逃げる間もなくパイルバンカーに中身ごとコクピットを貫通され、海へと吹き飛んだ。


 三十機、一個大隊。

 本来なら連邦軍の一個大隊が総力を挙げて相手にするべき数を、カイは旧式機の近接兵器一本で――わずか八分間で壊滅させた。


 静寂が戻った砂浜に、月田三二型が吐き出す「ド、ド、ド、ド」という重厚なアイドリング音だけが虚しく響く。

 カイは血の滲んだ手で操縦桿を握り締めたまま、光学モニターの端で激しく点滅する油圧警告灯を、ただ見つめていた。    

 ジョセフがミナを背負い、燃える街の路地へと連れて行った。

 その消えた先を、カイはただ旭風の目だけで追っていた。

「……くそッ!!」  

 カイは拳を計器板の縁に叩きつけた。


 粉塵の向こうから、地の底を揺らすような地響きが聞こえてくる。  

 航空機が消えたこの時代、敵の接近を知らせる唯一の予兆は、この忌々しい「大地の震え」と、味方の通信だけだ。

 カイは血の滲んだ手で、再び煩雑な操作レバーを手繰り寄せた。  

 旭風の右腕。

 三十機を屠ったパイルバンカーの薬室に、新たな火薬カートリッジがガチリと装填される。

 粉塵を割り、水平線を埋め尽くさんばかりの「赤いモノアイ」の群れが現れた。

 今度は一大隊どころではない。ケダの街を完全に包囲し、地図から消し去ろうとする帝国の本隊だ。


「……ここから先は、一歩も通さない」


 カイの覚醒した感覚が、月田三二型の荒々しいピストン運動と完全に同調していく。  

 エンジンの吸気口は粉塵を吸い込んで悲鳴を上げているが、カイの指先は、その不規則なエンジンの「不整脈」すらも反動相殺の機動力に変換するような、繊細かつ大胆な操作を刻んでいた。


 それは、中央士官学校の天才が、ただ一人の少女のために破壊神へと昇華する儀式だった。

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