エルムダスの誓い――セデボラ島――

haruka

門番 エルムダス

島の輪郭は、霧の向こうにぼんやりと浮かんでいた。

波の音も、風の匂いも、どこか遠くの記憶のように感じられる。

ルーシーは、小さな鍵を握りしめていた。

それが何を開けるのか、彼女自身もまだ知らない。

ただ、あの門の前に立たなければならない――

それだけは、なぜか確かだった。



門の向こう、風が甘くなった。

ハイルナの森の奥、そんじょショコラ亭の煙が、空に細く溶けていく。

詩人がまた、何かを焼いている。


エルムダスは、門の影に佇みながら、遠くの気配に耳を澄ませた。

森がざわめく。言葉にならない詩が、葉の間をすり抜けてくる。


「まだ来ぬか。……鍵を持つ者。」


――風に詩がある限り、ここに立ち続けよう。

言葉が絶え、森が沈黙に沈むその日まで。

それが、私の誓いだ――


かつて、彼は詩を捧げた。

百度の木の社にて、風に言葉を託した。


「忘れられぬものを、忘れさせてはならぬ。

忘れたいものを、忘れさせてはならぬ。」


その詩は根に染み込み、社に刻まれ、

やがて“誓い”となった。


それ以来、彼は門を離れられない。

詩が絶えぬ限り、風が言葉を運ぶ限り――

エルムダスは、そこに在り続ける。


門の向こう、風が甘くなった。

ハイルナの森の奥、そんじょショコラ亭の煙が、空に細く溶けていく。


そのさらに奥、誰も近づかぬ場所に、百度の木の社はある。

詩を捧げる者の声が、かつてそこにあった。


エルムダスは目を閉じる。

あのときの言葉が、今も根の奥で眠っている。


「詩が絶えぬ限り、私はここに在る。」


それが、彼の誓い。

それが、百度の木に刻まれた、忘れられぬ祈り。


あの声を、風がまだ覚えている。


「詩が絶えぬ限り、あなたはここに在りなさい。」


それが、チイの言葉だった。


エルムダスは、門の影で目を閉じる。

その声が、いまも百度の木の根に眠っている。


あなたが私を忘れても、

私はあなたを忘れない。


あなたが門を離れても、

私はあなたを呼び戻す。


風が絶え、詩が枯れ、

世界が沈黙しても――


あなたは、そこに立ち続ける。

私の呪いとともに。


チイは静かに跪いた。

百度の木の根は、夜露に濡れていた。


手にした紙片は、すでに湿っていた。

けれど、彼女は迷わずそれを地に埋めた。


「風よ、運べ。

この呪いを、あの人の元へ。」


そう言って、彼女は立ち上がった。

その目に涙はなかった。

ただ、ひとつの詩が、世界を変えた。


この一節が百度の木の根に埋められた瞬間、風がざわりと揺れて、どこか遠くでエルムダスが目を伏せる――


風が、門を撫でた。

どこか懐かしい匂いを運んでくる。


エルムダスは目を閉じた。

それは、あの声だった。


「風よ、運べ。

この呪いを、あの人の元へ。」


その言葉が、今も門の影に残っている。


彼は動かない。動けない。

それが呪いであることを、とうに知っていた。


けれど――

それが、彼の望んだ罰でもあった。
















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